欧州遠征

第36話 総統からの催促

 東洋艦隊を撃滅した第二航空艦隊はそのままセイロン島に進攻、トリンコマリーやコロンボといったインド洋における英国の要衝を次々に叩いて回った。

 さらに、南方作戦の完了に伴って手が空いた第二艦隊の水上打撃艦艇が同じくインド洋で通商破壊戦を実施、英国の商船を手当たり次第に沈めていった。

 インド洋の制海権を失った英国は当然のことながらインドとの交通線を絶たれる。

 この結果、輸入物資の多くを英印航路に依存している同国経済は極めて深刻なダメージを被り、その継戦能力にも極めて深刻な影響をもたらしていた。


 この英国の窮状を敏感に察知したのが、戦争経済に一家言を持つヒトラー総統だった。

 事実、日本海軍がインド洋の制海権を奪取して以降、連合国軍のドイツに対する戦略爆撃が日を追って低調になるなど、英国の物資不足が顕著に見て取れる。


 これを機に、ヒトラー総統は自身の戦略方針を大転換させる。

 バクー油田を奪取することでソ連の戦争経済に大打撃を与えることを目的とした夏季攻勢とも呼ばれる一大作戦をひとまず棚上げとし、同作戦のために用意された戦力の一部を地中海ならびにエジプト方面に投入することとした。

 そして、地中海の東半分の制海権を完全なものとしたうえでエジプトに進攻、スエズ運河を打通して欧日連絡線を完成させる。


 それに、このことは日本海軍との約束でもあった。

 日本海軍はインド洋に艦隊を派遣する見返りとして航空機の電装系部品や潤滑油、さらには電探や誘導兵器といった最先端兵器の技術供与を求めてきた。

 そして、その約束を履行するためには欧日連絡線の確保は必須条件と言ってもいい。


 さらに、ヒトラー総統はその先のことも見据えている。

 スエズ打通を成し遂げた後は、日本艦隊を迎え入れる。

 そして、その彼らに英国周辺海域で暴れ回ってもらい、英国経済を完全にマヒさせる。

 海外からの輸入物資に頼らなければ経済が回らないどころか自国民の生存すらも覚束ない英国にとって、海上封鎖は死刑宣告と同義だ。


 ヒトラー総統から見ても、日本艦隊はことその実力面においては十分に信頼出来る相手だった。

 開戦劈頭に真珠湾にあった太平洋艦隊を業火の海に叩き込み、マレー沖では英国が浮沈艦と豪語する戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」をあっさりと沈めてしまった。

 さらに、ブリスベン沖海戦で米機動部隊に完勝を収め、先のインド洋の戦いでは東洋艦隊を全滅させた。


 この使い出の有る戦力をドイツのために生かさない手はない。

 もちろん、東に米国という強大な敵を抱える日本がただで欧州に艦隊を派遣してくれるとはヒトラー総統も思ってはいない。

 彼らを働かせるには、十分な飴を用意しなければならない。

 しかも、相当な大盤振る舞いが必要だ。

 しかし、英国を打倒できるのであればそのようなことは些細な問題でもある。

 英国には数世紀にわたって世界中から収奪した富があるのだ。

 国庫の払底にあえぐドイツも、しかしこれを取り込めば一気にその悩みは解消される。

 それになにより、自分に対して散々に煮え湯を飲ませてくれた英首相に一泡も二泡も吹かせられるのであれば、それこそ安いものだ。






 「ヒトラー総統がお代わりを求めてきました」


 いつものように、アポ無しで訪れた平沼龍角。

 しかし、彼の相手をする山本長官も慣れたもので、今では逆に平沼が訪れるタイミングが予想できるまでになっていた。

 その彼に山本長官が機密に触れない範囲で現在の状況について、その話を切り出していた。


 「帝国海軍に欧州まで来てほしい、と。そして、英国を打倒する先兵となってもらいたいといったところですね」


 相変わらず、平沼の推測はポイントを押さえている。


 「このことについて平沼さんはどのようにお考えなのか、それをぜひ聞かせていただきたい」


 平沼に丸投げともいえる問いかけ。

 他の民間人に対しては、絶対に有りえない態度だ。


 「まず、帝国海軍が欧州に出張るためにはスエズ運河とその周辺をドイツなりイタリアなりが押さえる必要があります。そのためには地中海の東半分の制海権と制空権の確保、それにエジプトの英軍をたたき出すことが絶対条件となってきます。

 まあ、このあたりは他力本願なのであまり気にしても仕方がないでしょう。なので、これが成った前提でお話をすれば、ドイツの要請を受けるべきでしょう。英国を戦争から退場させれば、それこそ連合国に与える衝撃は豪州の比ではありませんから」


 小さく首肯し、山本長官は目で続きを促す。


 「現在、ドイツ海軍のUボートと同じく空軍の航空艦隊が通商破壊戦で英国を苦しめていますが、それでも決定力不足なのは否めません。ここに帝国海軍の機動部隊が加わり英商船狩りを実施すれば、英国は間違いなく干上がる。ヒトラー総統もそれを狙っているのでしょう。

 そして、それを実施するためにヒトラー総統はふたたび艦隊の派遣を要請してきた。帝国陸軍や親独派が多い外務省からも同様に艦隊を出すように迫っていることも容易に想像がつきます。帝国海軍が置かれた現状はそういったところでしょう」


 平沼の欧州大戦の分析、それにヒトラー総統からの要請に伴う国内の動きの指摘はまったくもって正確だ。

 これまでであれば、その推理あるいは洞察力に驚嘆していたはずだ。

 しかし、山本長官はもはやそのことには慣れてしまっている。

 今では当然だろうという思いしか湧いてこない。


 「ヒトラー総統の狙いは二つあります。一つは英国を屈服させてこの戦争から退場させること。もし仮に英国が退場すれば、それはドイツに対する戦略爆撃の足場を失うこととイコールです。それに、米国の欧州解放という大義名分も大いに毀損される。あるいは、国内世論の動向次第では米国は戦争そのものを失うかもしれません」


 英国が脱落することで米国が戦争を失うようなことになれば、山本長官としてはそれこそ願ったりかなったりだ。


 「もし仮に、英国が戦争からの退場を余儀なくされたとして、平沼さんは米国が戦争から手を引く可能性をどの程度見積もっておられますか」


 身を乗り出すようにして尋ねる山本長官に対し、しかし一方の平沼の返事はにべもなかった。


 「米大統領のドイツ打倒にかける執念は本物です。合衆国の戦争参加に否定的あるいはドイツに融和的な大統領であれば可能性は高かったかもしれませんが、しかしルーズベルトが大統領の座にあるうちは極めて厳しいでしょうね」

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