第22話 情報支援

 「敵編隊、あと五分で貴隊と接触する。高度は四五〇〇メートルから五〇〇〇メートル程度。各隊ともに五五〇〇メートルまで上昇せよ。敵の戦力構成は単発機が七〇機とそれに双発機が三〇機。単発機のほうはF4Fワイルドキャット、双発機のほうはP38ライトニングと思われる。いずれも初見参の機体だ。総員、用心してかかれ」


 空戦指揮の任にあたる一式艦偵からの命令に、第一次攻撃隊の最先任である板谷少佐は九五人の部下に上昇するよう指示するとともに加速、巡航速度から戦闘速度へと移行する。


 事前情報によればF4Fは米海軍それに米海兵隊で運用されている艦上戦闘機、P38のほうは米陸軍の双発戦闘機だ。

 細かいことを言えば、F4Fのほうは初見参ではなくオアフ島攻撃の際にその姿を目にした搭乗員もいた。

 しかし、それらF4Fは駐機場にある間に撃破され、実際に干戈を交えた者はいまだ一人もいない。

 そのF4Fは両翼に低伸性に優れた一二・七ミリ機銃を四丁搭載し、防弾装備を施した零戦であってもまともにこれを浴びれば致命傷となりうる。

 つまりは油断の出来ない注意を要すべき相手であった。

 一方のP38のほうは入手できた情報が少なく、武装や速力については不明な部分が多いが、しかし双発ゆえに旋回格闘性能よりも速度性能に重点を置いた機体であろうことは容易に想像がついた。


 日米の戦闘機が接触した時には高度の優位は日本側が握っていた。

 戦闘機同士の戦いにおいてなにより大切なことは、搭乗員に対して適切な情報支援がなされるかどうかということが「猛想戦記」にくどいくらいに書かれていたが、しかしそれが真実であることを九六人の搭乗員は今さらながらに実感する。

 指揮管制機以外にも、航法支援として同道している一式艦偵は対空電探を装備し、空からの襲撃者に目を光らせてくれている。

 そのことで、往路に限って言えば敵機の奇襲に神経をすり減らされることもないから、良好なコンディションで敵と相まみえることが出来る。

 さらに、前路警戒にあたってくれている一式艦偵のおかげで敵の新手が現れても即座にそのことを知らせてくれるから、零戦のほうは十分なリアクションタイムが確保できることで不意を突かれることはない。

 また、相手の戦力規模が分かれば、戦うか引くかの判断も容易になる。


 (情報支援、航空管制様様だな)


 九六艦戦で中国空軍を相手に戦っていた頃はまだ手信号が幅をきかせていた。

 属人的、あるいは個人の技量に依拠して戦うことが出来た英雄の時代だ。

 しかし、今は情報の有無こそが死命を制する、ある意味において非人間的なシステムがものを言う集団戦の時代なのだ。

 そのようなことを思いつつ、板谷少佐は前下方にその姿を現しはじめた戦闘機群をみやる。

 どの機体も慌てたように機首を持ち上げ、高度を稼ごうとしている。

 しかし、もはや手遅れだ。


 「全機突撃せよ! 高度の優位はこちらにある。一気に叩き潰せ!」


 板谷少佐のけしかけるような命令に、零戦が次々にその鼻先を敵編隊に向けて降下に遷移する。

 解き放れた猟犬のごとく、上方からかぶるようにして眼下の敵機を包み込み、そして二〇ミリ弾のシャワーを浴びせかける。


 敵機がとったリアクションは様々だった。

 急降下で逃げをうつ者、あるいは旋回して難を逃れようとする者、そして機首を上げて正面からの撃ち合いに挑む者。

 それゆえに、撃ち降ろされる三八四条の二〇ミリ弾の火矢に比べて撃ち上げられる火箭の数はあまりにも少ない。

 その数の差がモロに出て、撃墜破されるF4FやP38が相次いだことに対して零戦のほうはわずかな機体が被弾したのみで、撃墜された機体はほとんど無い。


 このことで、激突した時にはほぼ同じだった戦力比は、ただの一撃で零戦側が数的優位を完全なものとする。

 零戦隊は急降下で離脱した敵機には目もくれない。

 この時代の戦闘機はいったん降下すれば、元の高度にまで戻るまでに相応の時間を要する。

 だから、零戦は旋回で逃げをうったF4FやP38に攻撃を集中する。

 P38の多くはその速度性能を生かして零戦の魔手から逃れることにかろうじて成功するが、しかし脚の遅いF4Fのほうはそうはいかない。

 自分たちより明らかに数の多い零戦に後方や側方から次々に二〇ミリ弾を撃ちかけられていく。

 七・七ミリ弾や一二・七ミリ弾に対してはそれなりの抗堪性を持つF4Fも、しかし二号機銃から放たれる高初速の二〇ミリ弾には耐えられない。


 旋回による回避を選択したF4Fのあらかたを撃破した零戦のうち、半数はそのままの高度を維持して逃げに転じたP38の逆襲に備え、残る半数は急降下で難を逃れたF4FやP38の始末にかかる。

 零戦はいまだに保持し続けている高度の優位を生かして上方から機銃を撃ちかける。

 生き残ったF4FやP38は初戦に比べて著しくその数を減らしていたから、一機あたりに集中する二〇ミリ弾も尋常な数ではない、


 頭上からしたたかに二〇ミリ弾を食らったF4FやP38が火を噴き、猛煙を引きずって次々にブリスベン沖の海に叩き落されていく。

 零戦はその手を緩めない。

 援護すべき攻撃機もなく、ただただ敵戦闘機の掃滅のみを目的とした第一次攻撃隊の零戦はかなりの程度、深追いを許されていた。


 一方、P38のほうはその韋駄天を生かして陸地のほうへと遁走、少なくない機体が戦線離脱に成功したが、しかし劣速のF4Fのほうは零戦に追いつかれ、そして袋叩きにされてしまった。


 (零戦の性能要件について、旋回格闘性能よりも速度性能に重きを置いたのは正解だったな)


 逃げに転じたF4FそれにP38の明暗を分けたのは速度性能の差だ。

 板谷少佐も、相手より速度が勝っていれば離脱も追撃も自由自在だというのは理屈の上では理解していた。

 しかし、戦場でその現実を目の当たりにすれば、改めて思うところも出てくる。


 「全機戦闘中止。これより敵機動部隊上空に進出、敵戦闘機が残っていればこれを叩き、そうでない場合はそのまま帰投する。燃料、それに残弾に余裕がある機体は続け」


 敵戦闘機のあらかたを殲滅したと判断した指揮管制機から新たな命令が入ってくる。

 その指示に従い零戦が集合、編隊を組みなおす。

 最初、九六機あった零戦も空戦が終わった今では七〇機程にまでその数を減じている。

 撃墜された機体は数えるほどでしかなかったから、姿の見えない機体は被弾損傷したかあるいは発動機の不調などで母艦に戻ったのだろう。


 (圧倒的な戦いだったのにもかかわらず、それでも三割近い機体が被弾していたのか。もし、これが防弾装備が皆無の九六艦戦であればその多くが助からなかったかもしれんな)


 彼我が混交する空中戦の実相を垣間見た板谷少佐は零戦の開発にあたって最も重要視されていた要件を思い出す。

 それは搭乗員保護を目的とした、過剰とも言えるほどの防弾装備だった。


 (機体が重くなるからと言って、防弾装備の充実に否定的な反応を示す者もいたが、しかし洋上航空戦の実相を見ればそれが誤りだったことがよく分かる。これからの戦闘機には優秀な通信機とそれに優れた防弾装備は絶対に必要だ)


 そのようなことを思いつつ、板谷少佐は零戦の開発にあたって正しい判断を下した上層部に感謝の念を抱いた。

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