第12話 オアフ島第一次攻撃
友軍編隊を真珠湾上空にまで誘導出来たのであれば、あとは飛行隊の総指揮官という重荷とともにさっさと爆弾を落とすだけだ。
そう考えていた淵田中佐だったが、しかし彼よりも早く襲撃機動に遷移している部隊があった。
あれよあれよという間に低空に展開、突撃を開始した村田少佐率いる雷撃隊だ。
(一番槍を賜ったのは光栄の極みだが、しかし相手がなあ)
目標を発見し、それこそ腹に海面がこするような超低空飛行に移行しつつ村田少佐は胸中で苦笑する。
真珠湾攻撃に先んじて、危険極まりない超低高度による雷撃訓練を重ねたのも、ひとえに戦艦や空母に魚雷を叩き込むためだったはずだ。
しかし、自分たちに与えられた目標は何の変哲もない油槽船だった。
しかも、これは第一航空艦隊司令部が出した命令ではなく、連合艦隊司令長官の山本大将直々のものだということを村田少佐は南雲長官から聞かされている。
雲の上の存在である山本長官の命令であれば是非もないが、しかしそれでも村田少佐としては、出来ることであれば戦艦か空母に魚雷をぶち込みたかったというのが本音だ。
その村田機の後方には川村一飛曹が機長を務める二番機の姿があった。
本来、動かない油槽船が目標であれば村田少佐の一番機だけで十分だ。
しかし、一航艦司令部は慎重のうえにも慎重を期し、二機で油槽船の攻撃にあたるよう村田少佐に命じたのだった。
だが、村田少佐はすぐに上層部の判断が正しかったことを思い知る。
目標とした油槽船の右には数隻の戦艦、すぐ左にも「ペンシルバニア」級かあるいは「テネシー」級と思しき戦艦の姿があったからだ。
つまり、これは油槽船が搭載した燃料で戦艦を炙ることが出来る千載一遇の好機なのだ。
(戦艦群の間に可燃物の塊の油槽船を停泊させるなど、どうかしている)
杜撰あるいは迂闊とも言える太平洋艦隊の姿に小さな侮蔑の念を抱いたものの、しかしすぐにそのことを思考の片隅に追いやる。
その村田少佐の耳に爆発音が飛び込んでくる。
手の早い部下たちが戦艦に向けて魚雷や爆弾を叩き込み始めたのだ。
ぼやぼやしている場合ではなかった。
急いで魚雷を投じないと、目標が煙に巻かれてしまう。
村田少佐は胴体と翼がそれこそ海面に接触するのではないかというくらいにまで高度を下げる。
水深の浅い真珠湾で雷撃を成功させるためには、なにより投雷時に魚雷を深く沈降させないことが肝要だ。
このため、使用される航空魚雷はジャイロと安定翼に手が加えられ、空中姿勢のさらなる安定に成功した。
搭乗員のほうも一式艦攻の水平舵を上げ舵にすることで魚雷の沈降を抑えることとし、さらに投下高度も極限まで低くすることで一二メートルの水深しかない真珠湾での雷撃を可能とせしめている。
(言うは易く行うは難しなんだよな)
一切の操縦ミスを許されない極限状態の中、それでも常人には及びもつかない並みはずれた集中力で高度と針路を一定に保つ。
目標との距離が八〇〇メートルを切ったところで投雷、一トン近い重量物を切り離したことで浮き上がろうとする機体に任せ上昇に転じる。
「二番機はどうか」
出力上昇とともに轟音を奏ではじめた発動機に負けじと村田少佐が怒鳴るようにして問いかける。
「当機に追随しています!」
電信員の平山一飛曹もまた、あらん限りの声を張り上げる。
さらに村田少佐の耳に平山一飛曹の喜色に満ちた叫び声が飛び込んでくる。
「目標とした油槽船に水柱! さらに一本!」
平山一飛曹の報告に満足を覚えた村田少佐だが、その彼の目が風貌に赤い光が差し込んだのを知覚する。
「油槽船が爆発しました! 大爆発です! すごい炎と煙です!」
偵察員の星野飛曹長に周辺警戒を委ね、村田少佐もまた眼下を見下ろす。
そこには炎と煙に飲み込まれてその輪郭すらも見通すことが出来なくなった油槽船の成れの果ての姿があった。
(あの爆発の凄まじさは異常だ。あるいは油槽船は重油だけではなくガソリンもまた積んでいたのかもしれん)
いずれにせよ、油槽船に助かる道は無かった。
防御力皆無の油槽船が横腹に魚雷を、しかも炸薬強化型のそれを片舷に立て続けに食らえば、浮いていることはまず不可能だ。
かつて油槽船だったものは、今では湾内を照らす松明となり燃え盛っている。
その炎は徐々に海面に広がり、左右に投錨している戦艦に迫っている。
(少なくとも右の二隻とそれに左の一隻は相当なダメージを被るだろうな。場合によっては廃艦もあり得る)
鉄は長時間高熱に炙られると脆くなる。
それが一定水準を超えれば、それは船であれば廃艦を意味する。
構造用鋼が脆くなった船など、危なくて使えたものではないからだ。
そして、それは戦艦も例外では無い。
(だが、戦艦以上に脆いのが人間だ)
真珠湾は現在、炎と煙に席巻されつつある。
煙は一酸化炭素や有毒ガスといった人間にとって危険極まりない猛毒を大量に含んでいる。
ほとんどの人間は熱や炎に焼かれる前に煙が致命傷となって倒れていったはずだ。
(油槽船攻撃は理にかなった戦術ではあるが、しかしあまり後味の良いものではないな)
村田少佐をはじめ、帝国海軍の軍人はもっぱら敵国の艦艇や飛行機といった戦闘機械を撃破するためにその戦技を磨いている。
人を殺すために己の技を磨いている者はどちらかと言えば少数派だろう。
もちろん、相手の戦闘機械を破壊するということは、それを操っている将兵を殺傷することにもつながる。
それは間違いの無いところだし、十分に理解している。
それでも、ことさら人を狙い撃ったりあるいは殺そうなどとは思わないし、もし仮に敵兵が洋上で溺れていれば、きっと手を差し伸べるはずだ。
戦争が始まるまで村田少佐はそう考えていた。
しかし、自分たちはともかく、帝国海軍上層部は艦艇よりもむしろ敵将兵の減殺こそを主眼に置いているのではないか。
そのような疑問に囚われ、そしてそれを村田少佐は払拭できない。
油槽船を炎上させれば消火活動や救難活動が著しく困難になる。
それは、つまりは米将兵の死者の激増を意味する。
油槽船の油を使って戦艦を焼き払うのは確かに効率こそ良いが、しかしそれは武士道に、もっと言えば人道にもとる行為ではないかとの疑念が頭から離れない。
あるいは、山本長官にこの戦策を教示したのは悪魔ではないか。
たくさんの米将兵の命を刈り取れとばかりに。
思わずそんな想念が村田少佐の心中にわきあがる。
(バカバカしい。この世に悪魔などいるはずがない)
雑念だと切り捨て、それを頭の片隅に追いやるとともに村田少佐は意識を現実に戻す。
そして、平山一飛曹に打電を命じる。
「ワレ、敵油槽船ヲ雷撃ス、効果甚大」
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