第7話 諸制度変更
昭和一六年四月、帝国海軍に連合艦隊と同格の海上護衛総隊が発足した。
連合艦隊が敵艦隊の撃攘を目的としているのに対し、海上護衛総隊のほうは敵の通商破壊の脅威から日本の商船を守ることを主務としている。
今のところは旧式軽巡や旧式駆逐艦で員数合わせをしている状況だが、しかし今後は現在建造を進めている海防艦をはじめとした専門の護衛艦艇が逐次編入されることになっている。
さらに、連合艦隊のほうでも空母を主力とする第一航空艦隊が編組されている。
こちらは第一航空戦隊の「赤城」と「加賀」、それに第二航空戦隊の「蒼龍」と「飛龍」の四隻の空母を基幹とし、さらに建造を急いでいる四隻の「翔鶴」型空母もまた就役と同時に同艦隊に編入されることになるはずだった。
「まさか、一冊の架空戦記をきっかけとしてこのような大所帯が帝国海軍に発足するとは思わなかった」
連合艦隊司令長官の山本大将が三度目の来訪となった平沼龍角に向かって苦笑する。
平沼が当時海軍少将だった自分に手渡した「猛想戦記」、それが今では帝国海軍士官のみならず、下士官兵やそれに出入りの業者や技術者らをも巻き込んだ、ある種の聖典のような存在となってしまっている。
当然、帝国海軍としては著者である平沼龍角にしかるべき謝礼あるいは印税を払う必要がある。
そうでなければただの不正コピー、著作権の侵害だ。
だから山本長官は平沼にその手続きを進めるよう促した。
「海軍からいただける分につきましては、ありがたく頂戴しましょう。それで、頂いたお金はそっくりそのまま山本さんに寄付させていただきます。山本さんはその立場上、お金はいくらあっても困ることはないでしょう。
それに、これからのことを考えると、根回しの手土産や裏工作の資金などでそれこそ個人では手に余る金が必要となってくることは間違いありませんから。で、その代わりと言ってはなんですが、話せる範囲で構いませんので帝国海軍の現状について教えていただければ幸いなのですが」
平沼から返ってきた意外な言葉に、山本長官は礼を言いつつ相好を崩す。
海軍大将ともなればその俸給は庶民から見れば破格なのだが、しかし一方で出ていく額もまた大きい。
平沼の申し出は山本長官にとってはそれこそまさに干天の慈雨のようなものだ。
そして、これを機に山本長官の平沼に対する態度は初対面のそれから一八〇度回頭することになる。
「まず、帝国海軍では二つの大きな動きがありました。海上護衛総隊それに第一航空艦隊が編成されたことです。このうち、海上護衛総隊についてはあなたからいただいた『猛想戦記』の影響が非常に大きかった」
「猛想戦記」については血沸き肉躍る艦隊決戦がそのメインテーマだが、それとともに地味ながらも日本人が好む縁の下の力持ち的な海上護衛戦の激闘譜とその英雄譚も記されていた。
商船を執拗に狙う狡猾なA国の潜水艦長、それに忍耐強いN国の駆逐艦長の知略を尽くした戦いは双方ともに一歩も引かない頭脳戦となり、最後は差し違えとなって両艦はそのいずれもが航行不能に陥る。
その際、敵国同士であるはずの将兵らが、最後は互いを助け合う場面でフィナーレを迎える。
「これまで帝国海軍では商船護衛は腐れ士官の捨て所などと言われてきました。海外からの輸入資源に頼る島国の海軍でありながら、しかし我々の意識の中において海上交通線保護は非常に軽いものだったことは間違いない。だがしかし、『猛想戦記』の海上護衛戦に触発され、帝国海軍はその重要性に目覚めた。そして、その文脈で編組されたのが海上護衛総隊なのです」
平沼が小さく首肯する。
山本長官を見据えたまま、余計な言葉は挟まない。
それを忖度した山本長官がさらに話を続ける。
「第一航空艦隊につきましては、その名の通り航空機をその戦力の中心に据えた艦隊です。複数の空母とそれらを守る護衛艦艇で編成され、将来は建制化を視野にこれを育てていくつもりです」
「艦隊の人事や予算、それに補給や訓練のことを考えれば建制化は喫緊の課題だと思いますね。まあ、第一航空艦隊に艦艇を供出したくない鉄砲屋や水雷屋の抵抗が激しくてなかなか難しいとは思いますが」
あけすけな平沼の物言いに苦笑しつつ、山本長官が話を本筋に戻す。
「『猛想戦記』は艦艇のみならず、海軍航空にも多大な影響を与えました。その最たるものは陸軍が実施している空地分離方式を海軍でも導入したことでしょうな」
これまで、帝国海軍では空母に搭載されている機体と搭乗員はそれぞれの母艦にその籍を置いてきた。
しかし、それを別組織として分離したのだ。
状況に応じて航空隊、つまりは飛行機と搭乗員だけが母艦を渡り歩くことになるから、その分だけ機動的な運用が容易となる。
人事異動も楽になる。
例えば、作戦の要求に応じて空母の戦闘機の比率を極端に上げる場合でも、母艦の人事を気にせずに飛行機と搭乗員だけを動かせばそれだけで用が足りるのだ。
基地航空隊もまた同様で、飛行隊と陸上支援部隊を区分することで得られる便益は大きい。
これまでだと、陸上基地の航空隊を動かす場合は整備員や兵器員といった支援要員も移動させる必要があった。
しかし、空地分離方式だとこれが搭乗員だけで済む。
だが、一方で搭乗員と母艦乗組員との絆あるいは一体感が損なわれるという反対意見も根強かった。
そのことで、空地分離方式の導入で先行する陸軍に対していささかの遅れをとってしまったが、それでもようやくのことで実施にまでこぎつけることが出来た。
「難航した空地分離方式と違って、戦闘機の小隊編成の変更は楽でした。まあ、こちらはすでにドイツ空軍がその制度を採用しているという現実が後押しをしてくれた側面もあるのですが」
山本長官が言うところの帝国海軍の戦闘機隊はこれまで三機で小隊を編成していた。
これを二機を最小戦闘単位とした四機一個小隊編成に変更したのだ。
ドイツ贔屓が多い帝国海軍にとって、ドイツ空軍がすでに二機を最小戦闘単位としている事実は大きかったが、しかしこの件についてもかなりの部分で「猛想戦記」が影響を与えていたことは間違いない。
戦闘機の小隊編成だが、従来の三機一個小隊の場合だと二番機と三番機はよほどの熟練でも無い限りそのポジション取りに意識のかなりの部分を持っていかれてしまった。
しかし、二機だと長機の動きに追随すればいいだけだからその負担も小さい。
それに、外国の空軍も航空機の大型高速化とともにこのやり方を採り入れるところが増えているし、なにより同盟国のドイツ空軍が実戦において多大な実績を挙げている。
そうであれば、帝国海軍がこれをやらない理由は無かった。
山本長官から一通りの説明を受けた平沼が一礼して辞去する。
いつも通り、要件を済ませたらさっさと帰るスタンスは変わらない。
多忙な山本長官にとっても彼の配慮はありがたいが、しかし今日に関してはなぜかもっと話していたい、話さなければならないという思いにとらわれている。
(あるいは、無意識のうちに彼の知恵を借りたいと願っていたのかもしれんな)
自力本願こそが軍人の本分でもあるのにもかかわらず、他力本願に陥りかけていた自分に山本長官は胸中で反省混じりの嘆息を漏らした。
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