第6話 マル四計画

 「意知字句艦帳」にはこれまでに帝国海軍が策定したマル一計画やマル二計画それにマル三計画の他にこれらに続くマル四計画があった。

 さらに、それ以外にもマル臨計画やマル急計画それにマル追計画などといった細かい計画が複数存在する。

 山本中将がそれらを読み解いた中で分かったことは、後になればなるほど戦艦や重巡洋艦といった大型水上打撃艦艇の優先度が下がり、一方で空母や護衛艦艇が重視されていったことだ。

 そして、基地航空隊の増勢もまた著しい。

 戦争が始まって半年かそこらで多数の空母と航空機を一時に失ってしまい、慌ててそれを補充しようかというような印象さえ受ける。


 いずれにせよ、日米がもし戦えばその形態は水上砲雷撃戦よりも洋上航空戦あるいは海上護衛戦の体をなすということなのだろう。

 おそらく、各計画の主目的は米側が仕掛けてきた海上交通破壊戦に対応するための戦力増強だ。

 逆の立場で考えれば、海外に資源を依存する日本に対して米側は海上交通線を破壊することで兵糧攻めにしようという戦術を取ったのだろう。

 そして、その攻撃手段は大量の航空機とそれに多数の潜水艦になることは明白だ。


 山本中将はマル三計画で「大和」と「武蔵」が建造されなかったことに心底安堵するとともに、長年にわたって平沼の言葉を信じずにいた自身を悔いた。

 もし、マル一計画やマル二計画の時点で「意知字句艦帳」を使っていれば、「最上」型や「利根」型といった高価な巡洋艦を建造せずに済み、その予算で航空戦力なり海防艦や駆潜艇をはじめとした海上護衛戦力を相当程度充実させることが出来たはずなのだ。

 一万トン級巡洋艦が、それも六隻分もの予算があればその効用は甚大だ。


 だが、過ぎてしまったことを悔いてもなんら生産的では無い。

 サンクコストというか高い授業料だったと思ってあきらめ、山本中将はマル四計画に思考を振り向ける。

 全体で一六億円近い予算を投じるマル四計画にあって特に目立つのは二隻の大型戦艦と一隻の大型空母だ。


 「大和」型と同型あるいは改良型と思われる「信濃」と「111号艦」、それに「大鳳」と名付けられるはずの空母を足した建造費の合計は三億六千万円余にのぼる。

 それ以外にも六〇〇〇トン級や八〇〇〇トン級といった複数の巡洋艦も計画されており、こちらは合わせて一億数千万円規模に膨れ上がっている。


 (空母以外はすべて無駄だ!)


 すでに戦争の様態が洋上航空戦あるいは海上護衛戦になるのが分かりきっている中で、大型戦艦やピント外れの水雷戦隊嚮導型巡洋艦それに画餅の潜水戦隊指揮巡洋艦などといった時代遅れの艦を何隻もつくるなど正気の沙汰ではない。


 (水雷戦隊嚮導型巡洋艦などといったものは、仮にそれが必要であれば第六戦隊をバラせば済む話だ。潜水戦隊指揮巡洋艦に至っては、逆に敵潜水艦や敵航空機のいい的でしかないだろう)


 そう思った時には手が動いていた。

 真っ先に「信濃」と「111号艦」、それに「大鳳」の建造を取りやめる。

 さらに、四隻の乙巡洋艦と二隻の丙巡洋艦もまた「意知字句艦帳」から消す。

 代わり使うべき予算については、山本中将は少しばかり悩んだうえで四隻の「翔鶴」型空母を「意知字句艦帳」に記した。


 (艦名は適当だ。『大鶴』と『雲鶴』それに『鳳鶴』と『龍鶴』でいいだろう)


 山本中将が迷ったのは空母を「大鳳」型にするかあるいは「翔鶴」型にするかについてだった。

 「大鳳」型は空母の大きな弱点である飛行甲板に装甲を施しているから、従来の空母とは一線を画す抗堪性を備えているはずだ。

 逆に「翔鶴」型のほうは防御こそ「大鳳」型に及ばないものの、一方でその搭載機数は多い。

 それと、「翔鶴」型はマル三計画でも建造されるから各造船所も少なくないノウハウを積み上げていることだろう。

 建造着手それに完成の時期を考えれば、「大鳳」型のそれはどんなに急いでも戦力化がかなうのは昭和一九年以降になる。

 しかし「翔鶴」型であれば半年程度は早めることが出来るはずだ。

 そして、戦時中の半年は平時の五年あるいは一〇年以上の価値を持つ。

 この要素は決定的だった。


 さらに、山本中将はその建造数についてもいささかばかり逡巡した。

 日本国内で「翔鶴」型が建造できる施設は現在のところ横須賀海軍工廠の船台と呉海軍工廠の船渠、それに神戸と長崎の民間造船所の四カ所だ。

 さらに昭和一五年には横須賀と佐世保で三〇〇メートルを超える船渠が完成する予定だから、その気になれば六隻の「翔鶴」型を建造することが可能となる。

 そして、マル四計画にある二隻の大型戦艦それに一隻の装甲空母さらに六隻の巡洋艦と六隻の「翔鶴」型を比べれば、後者のほうが明らかに建造にかかる費用が安い。

 それでも山本中将がその建造数を四隻にとどめたのはそれよりも優先して整備すべき存在を思い出したからだ。


 それは、潜水母艦「大鯨」それに三隻の水上機母艦と二隻の高速給油艦を空母へと改造することだった。

 こちらは、そのいずれもが機関の換装を伴う大がかりなものになるが、それでも一から建造するよりも明らかに早く完成するし、いずれの艦も平沼が語るところの昭和一六年一二月八日の開戦までにはすでに戦力化が成されているはずだ。

 四隻の「翔鶴」型空母ならびに六隻の特務艦を空母に改造してなお予算が余るが、これらについては電探や新兵器の開発予算への流用ならびに航空予算の上積みとした。


 それとは別に、山本中将は駆逐艦はすべて魚雷戦特化型の甲型から防空タイプの乙型にチェンジするなど、砲雷撃戦を指向する艦艇の建造をことごとく取り止め、洋上航空戦や海上護衛戦に役立つであろう艦にその予算を充当した。

 これらのことで、駆逐艦のほうはマル三計画での措置を含めて「陽炎」型駆逐艦は一四隻で打ち止めとされ、その予算や資材といった建造リソースは「秋月」型駆逐艦へと振り向けられることになった。


 それと、マル四計画については後に山本中将は少しばかり後悔することになる。

 適当な名前をつけた空母のうちの一隻が、胡乱な男の名前とそっくりだったからだ。

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