第2話 マル三計画

 ロンドン軍縮条約、その制限からの軛から逃れたマル三計画。

 もちろん、その計画において新型戦艦の建造が俎上に上げられることは帝国海軍内の勢力図を見れば当然の流れだ。

 なにしろ主流派を占めるのは鉄砲屋たちなのだから。

 だが、そのようなパワーバランスなどいっさい忖度せず、新型戦艦建造に強硬に反対したのが航空本部長の山本五十六中将だった。

 航空主兵主義の第一人者を自負する山本中将にとって新型戦艦ほど無駄に思える存在は無い。

 建造には膨大な資材と資金を要するし、完成したらしたでその後の維持費もまた莫大だ。


 しかし、山本中将の歯に衣着せぬ言動は、新型戦艦建造を推し進めようとする艦政本部長の中村良三大将との諍いを惹起させることになる。

 それは、突き詰めれば航空主兵主義者と大艦巨砲主義者のぶつかり合いでもあった。


 砲戦距離に到達する前に戦艦を余裕で撃破できる力を持つに至った航空機こそを海軍戦備の中心に据え、新型戦艦の建造中止を訴える山本中将。

 逆に戦艦こそが海軍の王道であり今後も主力であり続けると確信する中村大将との対立は、互いの主張を引っ込めることもなく膠着状態に陥りつつあった。


 しかし、軍縮条約明け後を見据え、海軍列強が軍備増強を推し進めようとしているこの時期に議論の停滞は許されない。

 結局、この件については帝国海軍の重鎮である軍令部総長の伏見宮元帥と海軍大臣の永野大将のとりなしによって戦艦と空母をそれぞれ二隻ずつ建造することでひとまずの決着と相成った。

 格上の中村大将を相手に論戦を挑んだ山本中将ではあったが、しかし仲裁に伏見宮元帥と永野大将の二人が出張ってきたのではおとなしく引き下がるしかない。


 巨大戦艦建造という馬鹿げた行為に対し、憤懣やるかたない思いでいる山本中将。

 その彼が数年前に平沼龍角と名乗る男から受け取った「意知字句艦帳」と神筆、さらにそれらと一緒に手渡された「猛想戦記」を思い出したのは、ある意味で必然だったのかもしれない。

 それまで「意知字句艦帳」と神筆それに「猛想戦記」は机の引き出しの肥しとなっていた。


 山本中将は特に何かを思うでもなく「意知字句艦帳」を無造作に開く。

 マル一計画、それにマル二計画とすでに策定を終えているページを読み進めるうち、山本中将は自身が嫌な汗をかいていることを自覚する。

 「意知字句艦帳」に記されているマル一計画とマル二計画の内容が実際のそれと完全に一致していたからだ。

 そして、マル三計画に目を移すと、そこには新型戦艦と新型空母がそれぞれ二隻ずつ予算計上されていることが記されていた。


 「新型戦艦はそれぞれ『大和』と『武蔵』、空母のほうは『翔鶴』それに『瑞鶴』と命名されるのか・・・・・・」


 山本中将はそれとはなしに「大和」と「武蔵」を消し、代わりに新型空母の三番艦と四番艦を追加した。

 そうしたところ、艦名の指定ならびに予算の差額のつじつまを合わせろと促す注釈が浮かび上がる。

 戦艦よりも空母のほうが安いから、その差額を処分しろということだろう。

 どういった仕組みで文字が浮かび上がったのかは分からない。

 本来であればあり得ないことだと言って驚愕すべきところだ。

 しかし、山本中将は不思議なくらいになぜかそのことが気にならなかった。

 あるいは、自身の意識のある部分が麻痺している、あるいは何者かによって麻痺させられているのかもしれない。

 そのような考えが一瞬脳裏にちらつく。

 しかし、そのこともすぐに忘れ山本中将は空母の艦名を記す。

 「神鶴」それに「天鶴」。

 自身が神頼み、あるいは天運頼みの心境にあることを自嘲してのものだ。


 発生した差額についてはあれこれ考えるのが面倒なので航空予算のほうにそのまま上積みした。

 それに、艦艇の建造費の一割にも満たない航空機製造予算はあまりにも少なすぎる。

 他にも新型戦艦のキャンセルに伴って無用となった給兵艦の「樫野」の建造をとりやめ、その予算を同じく航空予算に回す。


 山本中将は自身がバカバカしいことをしているという自覚はあったが、それにもかかわらず存外夢中になってしまった。

 気休めというか、気分転換のツールとしては「意知字句艦帳」も少しは役に立つようだ。

 マル四計画も暇があれば目を通しておこう。

 そう思い、山本中将は「意知字句艦帳」と神筆を引き出しにしまう。

 異変はその翌日に起こった。

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