巻帙の艦隊

蒼 飛雲

巻帙の艦隊

意知字句艦帳

第1話 突然の来訪者

 「なんだね、これは」


 次席随員としてロンドン軍縮会議から戻ってきたばかりの山本五十六海軍少将。

 その彼が怪訝の色をその表情をたたえたまま、目の前の男から差し出された帳面と鉛筆のようなものを受け取る。

 帝国海軍の将来について耳に入れて置きたいことがあるという、いささか大仰な理由で面会を求めてきた人物。

 平沼龍角(ひらぬま・りゅうかく)という名前はおそらくは偽名だろう。

 だが、この平沼という男は、一方で無礼な対応をすることが憚られるような雰囲気をまとっている。

 それは、格だとか貫禄とかいったものとはまた違う類のオーラだ。

 あるいは神や悪魔といった人外が持つような威圧感か。


 山本少将が手にした帳面と鉛筆のようなそれは初めての、もっと言えばこの世のものとは思えない感触を有していた。

 その帳面の表紙には「意知字句艦帳」という文字が記されている。


 「字義通り、字句に込められた意を知るという意味ですよ。読み方はご自由に」


 表紙の文字を凝視する山本少将に、しかし平沼はそのようなことは問題の本質ではないとばかりにさっさと先を続ける。


 「帝国海軍はロンドン軍縮条約の制限下においてマル一計画ならびにマル二計画を、次に同条約の失効後を見据えたマル三計画それにマル四計画といった艦艇建造計画を次々に策定することになります。この帳面はそこで建造される艦艇の一覧がその建造費とともに記されています。これを一緒にお渡しした神筆で修正すると現実世界にそれが反映されることになります。

 気をつけることは追加する艦艇と削除する艦艇が同じ額かあるいは近似値になるように調整することです。ああ、それと新造艦に充てられるはずだった建造費を既存艦の改修費や技術開発費に流用することも可能ですよ。例えば戦艦を空母に改造するなんてことも出来ます」


 平沼の説明を耳に入れつつ、しかし山本少将は胡散臭そうなものを見る態度を隠そうともしない。

 それでも帳面をパラパラとめくるのは、それなりに興味があったからだ。


 「ほう、マル三計画では戦艦と空母をそれぞれ二隻ずつ建造するのか。しかも戦艦は一隻あたり一億円で予算請求しておきながら実際には一億四千万円、しかもその主砲は四六センチ砲ときたか。なかなか面白いが、これなら私のところに持ってくるよりも出版社にでも持ち込んだらどうかね。物好きな編集者だったら、あるいは話くらいは聞いてもらえるかもしれんぞ」


 ちゃかしたような山本少将の言葉に、だがしかし平沼が意味不明のカウンターを返す。


 「いやあ、我々の仲間内で相談したところ、山本さんが一番適任だってことになったんですよ。そうでないと、日米の戦争があまりにもつまらない展開になってしまうものですから」


 平沼の不謹慎な物言いに、山本少将の表情にわずかばかりの怒気が浮かぶ。


 「日米が戦争をするとでもいうのかね。君は予言者か?」


 「予言者ではありません。ですが、いつ戦争になるかは分かっていますよ。今から一〇年あまり後の昭和一六年一二月八日、日本は米国に対して宣戦を布告します」


 「ほう、えらく具体的だな。それで日本はどうなる」


 怒りを含んだ表情から一転、今度は挑発的なそれに変わった山本少将に対して平沼のほうはまったく変化が無い。


 「最初は勝ちますよ。装備が貧弱で数が少ないフィリピンやマレーといった米英の弱小植民地警備軍に対しては。ですが、敵の正規軍との戦いでは最初の一年を除いてほぼ負けっぱなしです。局地戦で勝利を収めることもありますが、全体としては負け続き。で、昭和二〇年八月一五日に白旗を揚げます」


 「日本が負けるのはけしからんというつもりは無い。相手が相手だからな。

 いや、あの米国を相手に四年近くも戦い続けることのほうが奇跡に近いだろう」


 そう言って山本少将は時計に目をやる。

 海軍将官で暇を持て余している人間などいない。

 そもそも怠け者では将官になどなれるはずが無い。

 昼行灯と呼ばれる人間でも、実際には人の見えないところで仕事をしているものだ。


 平沼は忖度上手なのだろう。

 山本少将の態度に対して切り上げ時を見誤ることも無く「意知字句艦帳」と神筆を置いたまま一礼をして辞去しようとする。

 山本少将は帳面と神筆を持って帰れと言いかけて思い直す。

 根拠は無いはずなのに、なぜかそれを手放してはいけないような思いに囚われたからだ。

 逆に口から出たのは、ふとした思いつきの言葉だった。


 「この帳面に書けば望みの艦艇が建造されるという話だったが、それよりもそこに書いただけで人を殺せるようなものは無いのか? あらかじめ国内の対米強硬派を排除するか、あるいは米国の対日強硬派を抹殺して戦争を回避する努力をしたほうが手っ取り早いと思うのだが」


 山本少将の人としてはいささか不穏当な物言いに、しかしそれまですまし顔だった平沼の表情に一瞬苦い色が浮かぶ。


 「それは、その・・・・・・まあ著作権というか、いろいろと問題がありまして・・・・・・」


 言葉を濁す平沼に対し、山本少将はそういった帳面もまた実在する可能性が高いことを察する。

 それと同時に、今さらながらに湧き上がった疑問の言葉が口をついて出た。


 「君はいったい何者だ」


 少し間を置き、平沼は意味不明の笑みをたたえながら答える。


 「まあ、この国でいうところの紳士というやつですね。あっ、その帳面と神筆は我々にとっての軍機ですからくれぐれも取り扱いには注意してください」


 「我々と言ったな。君たちは何らかの組織人なのか」


 「いえ、単に暇を持て余しているだけの悪・・・・・・、じゃなくてあくまでも一般市民ですよ。ああ、それと忘れるところでした。これもお渡ししておきます。私が書いた『猛想戦記』です。まあ、気が向いたらお読みください」


 そう言って平沼はニヤリと笑うと霧散するかのようにしてその場を後にした。

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