episode.12 崩壊

 レグルスは、ミレアを失うのが怖いと言った。では、レグルスは? レグルス自身のことは、どうなってしまうというのだろうか。ミレアはそのことが気懸かりでならなかった。賢者の水を狙うということは、最高魔術研究院を相手取るということと同義だ。侵入の段階で、レグルスに何かないとも言い切れない。ミレアがそのように問うと、至極簡単なことのように彼は答えた。

「俺はいい……これ以上生を貪って何になるというんだ。死んだところでこれまでの罪が償えるとも思わないが」

 ミレアには、その言葉が酷く投げ遣りなものにきこえた。それでは意味がない。ミレア一人生き残っても、彼女にとってはなんの意味もないのだ。

「良くないよ……そんなの良くない。私は嫌だよ、私の為にすることでレグルスがどうにかなっちゃうなんて」

 ミレアはレグルスの傍へ寄り、俯く彼の下から顔を覗き込む形になる。この孤独な青年を、今いる闇から掬い上げねばならない。一見確固とした己をもっているようで、その実依存度の強い青年を。しっかりと捕まえていなければ、どこかへ沈み込んでしまう虞があるのだと、少女は感じた。

「死んでも償えないなら、生きて償えば良いじゃない! 私と共に生きること、それを貴方の償いにすれば良い」

 レグルスが顔を上げたところで、ミレアは彼の腕を掴む。がっしりと掴んだその拳で、ゆさゆさと心ごと揺さぶりをかける。

「私を拾ったことで、貴方は一つの責任を負ってしまったんだよ? 私を、可能な限り最期まで見届けるっていう責任を」

 真摯に瞳を見つめる。双方距離を譲らない。……かと思いきや、先に折れたのはやはりというべきか……レグルスのほうだった。フ、と溜め息のようなものを一つ吐いてから、口を開く。

「……ちょうど、次の侵攻で破壊すべき対象は最後になる。最高魔研所が潰れると同時に、"水"を確保しなければならない……覚悟は、良いな?」

「いつでもどうぞ」

 ミレアはニィッと不敵に笑った。こんな表情もできるようになったのかと、レグルスは場にそぐわずも頼もしく思ってしまうのだった。

 最高魔術研究院に着いてみると、今までの一般的な魔研所と違い、警備は手厚くなっていた。侵入者向けに人員がそれなりの数、割かれている。だがこの程度では、自身を防ぐことなど到底できない。レグルスは驕りでもなくそう分析した。ただ問題は、レグルス一人ではないという点だ。ミレアを連れてなお、彼は一体どこまで無傷で進めるか……。

「ミレア、お前はこの辺りで……」

「嫌だよ」

 レグルスの提案を、間髪入れずにミレアが拒否する。

「私も、行くよ。この五年、ただ漫然と過ごしてきた訳じゃない。私も、レグルスを守る」

「俺が行くからって無理することないんだぞ」

「貴方が行くから、ただついてくんじゃない。私の意志で、一緒に行くの。私はもう、ちゃんと生きてる。自分で自分の生き様、決めてる」

「分かった……遅れるな」

「……うん!」

 こうして、少女と青年は二人して施設に潜入することに成功した。


* * * * *


「やぁっ! たぁっ!」

 ミレアは、先の彼女自身の宣言を証明するかのように、レグルスに引けを取らない動きを見せていた。彼女が師と仰ぐアルフレッドの腕も良かったのだろうが、剣舞自体がミレアの肌に合っていたのだろう。実戦でも、彼女の剣技は舞のように美しかった。

 だがレグルスは、不安を覚えずにはいられなかった。ミレアの身体は今、非常に不安定な状態にある。いつ、どこが機能しなくなってもおかしくないのだ。

 レグルスはミレアを気に掛けるあまり、戦闘に集中できないでいた。ついチラチラと、ミレアの方に視線を遣ってしまう。先に気が付いたのは、ミレアのほうだった。

「……! レグルス、避けてッ」

 パリーン

 辛うじて身を捩ったレグルスは、キッと物が飛んできた方向を睨みつける。階段の踊場から階下に向けて、瓶のような形をした機材を投げつけてきた男がいたのだ。レグルスはそのよく見える目で、男の左胸にあるプレートの文字を読み取った。最高魔術研究院管理責任者──この研究所の、トップだ。

「お前達の望みはわかっているぞ。この、水だろう」

 男の手には、小さな壷が掲げられていた。水──〝賢者の水〟のことだ。瞬時にレグルスは、標的をその責任者の男へと変えた。照準を合わし、一気に階段を駆け上ろうとする。だが、それは叶わなかった。突然のミレアの悲鳴に、足を捕らわれたのだ。

「あ゛ぁぁっ!」

「ッ?」

 振り向くと、まさにミレアの右目から、割れた瓶の破片の一部が引き抜かれたところだった。ミレアは気丈にも突き刺してきた研究員に応戦するも、相手の絶命を確認すると同時にその場でうずくまってしまう。右目は、ミレアの命綱だ。レグルスは身を翻し、急ぎ彼女の元へ向かおうとする。だが今度は、彼が攻撃を受ける番だった。

 ドスッ

「レグルスッ」

 責任者が、壷を持つ手と反対の腕からボウガンの矢を放ったのだ。レグルスの腿に鋭いものが深々と刺さる光景が、ミレアの左目に映る。傍に駆け寄ろうとして立ち上がったところで気が付いた。足が、動かない。

「どうし、て?」

 ガクン、と振動があった後、ミレアの腰は再び地へと吸い寄せられた。右目を負傷したことで封じてある魂にも傷がつき、四肢にまで影響が出ているのだ。

「どうしてこんな時に、動かないの……!」

 悔しさに歯噛みする。拳を握り締め、地面を叩きつける。

 ──こんなところで、足手まといになんかなりたくないのに……!

 ズブリ、と鈍い音を立て、レグルスが矢を引き抜いた。かつてミレアが着用していた眼帯を取り出し、気休めに止血帯とする。再び責任者の男に向き直ると、男は何を思ったか、壷の栓を抜き取り、"水"を頭からかぶったのだった。

「ハハ……残念だったなぁ。屍に魂を定着することができるならまた、生きた体にもその応用が可能なのだよ。これで私から魂は離れない。そこな〝亡霊〟ではなく、この私が不死を得ることにな……」

 ザクッ

「悪いな。この刀は吸魂刀……水が回る前に着くべきモノがなければ話になるまい」

 男が長々と講釈を垂れようというその隙に、レグルスは踊場へと一気に飛び乗り刀を一閃させた。刀が男の魂を吸い上げてゆく。男の体はその場にくずおれ、"水"の海へと沈み込んだ。

 刀を仕舞ったレグルスは、しゃがみこむミレアの元へ行き、突かれた右目を気遣いながら抱き起こした。

「すまないミレア……"水"は取り損ねた」

「良いんだよレグルス。貴方が無事ならそれで良い。だって言ってくれたじゃない。私にもちゃんと人格があるって。私はもう、ミレアっていう、一人の人間だって」

「そうだな……お前はもう人間だ。ミレアという、立派な一人の人間だ」

 その時、轟音が鳴り響いた。レグルスの言葉通り最後の標的であるこの場所を破壊したことで、世界の魔術バランスが大きく崩れていく音だ。そんな騒音にも負けず、ミレアの澄んだ声はレグルスの耳に届く。

「私、もういいよ」

 ミレアは微笑んだ。

「私、もう十分〝生きた〟。レグルスに、生かしてもらった。レグルスが自分で言ったんじゃない。始めてしまったことは、遂行しないと。それこそ犠牲者への冒涜だって。だから、レグルスはやり遂げなきゃならない」

 世界から魔術を無くすことを言っているのだ。たとえ自分が存在できなくなるような世になってしまうとしても。悲願を成就させよと、そう彼女は言っているのだ。

「そうして、今度こそ私を、ちゃんと死なせて?」

 そして、ミレアはその目を閉じて、静かに気を失った。

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