episode.8 齟齬

 ──ねぇアルフ、どぉして人はこんな時代なのに芸を見に来るのかな?

 いつだったか、そんなことをミレアが尋ねたことがあった。まだ言葉遣いが幼い者のそれだった頃だ。アルフレッドは、うーんと唸った後、自分なりの答えを述べた。

 ──こんな時代だからこそ、じゃねぇかな

 ──どぉいうこと?

 ──争いの中にあってこそ、人は娯楽を求めるんだ。恐怖という現実から虚構へ逃げ込むんだな。魔法が溢れた世界だからこそ、人は魔法ではないものを求める。そうすることで、この狂った世の中を何とか生き延びてるんだよ

 ──……ふーん?

「あの時は、結局よくわかんなかったっけなぁ」

 フフ、と小さく笑いながら、ミレアはかつての少年に想いを馳せた。思えばアルフレッドには、数多くの〝「なんで?」攻撃〟をしたものだ。

「今ならわかる気がするよアルフ。人々が自ら進んで狂言に興じる、その理由が」

 現在彼女達の居場所は、街外れから更に少し離れた位置にある廃墟だ。ミレアは今、今夜の寝床を探しに出ている最中だった。旅芸一座を離れることをミレアが決めたので、ともかく一旦街から距離を置くことにしたのだ。レグルスの目的はまだ果たせていないので、今暫くはこの近辺で滞在することになるのではあるが。

「黙って出てきちゃったけど、怒ってるかな、アルフ……」

 一方のレグルスは、率先して出て行ったミレアに代わり荷物番をしていた。この辺りの地理なら、多少ではあるがミレアのほうが詳しいからだ。そんなレグルスの元へ、思わぬ来客がやってくる。

 パキッ

「……」

 人の気配に、レグルスは無言で刀に手を遣る。月が雲に隠れる宵闇に、互いの顔は良く見えない。だが相手もこちらに人がいるのはわかっているようで、迷わずその歩を進めてくる。影が近付く。

「……ミレアを返せ」

「……」

「アイツは五年前までの記憶が無いんだ。唯一憶えていた特徴が似通っていたから、本人とアンタを混同しているだけだ」

「記憶?」

 レグルスの表情が僅かに動く。だがそれに、影の主──アルフレッドが気付くことはなかった。

「そんなもの、あるはずないだろう。五年より前、いや、今でさえ、ミレアは正確には〝生きて〟などいないのだから」

「……は? アンタ、何言って……」

「レグルス! あっちに休めそうな廃屋が……」

 その時、無邪気にミレアが駆けて来た。アルフレッドに気付き、足を止める。彼女は驚愕に目を見張った。

「……アルフ? 嘘、なんでこんな所……」

「ミレアッ!」

 そんなミレアの言葉を遮り、アルフレッドは叫ぶ。レグルスは両者に鋭く視線を遣る。空が晴れ、月光が彼の瞳に明るく差した。そこでアルフレッドは、漸くレグルスの全貌をハッキリと見たのだった。

「緑の髪、金の瞳……! そいつ、もしかして魔荒らし……!」

「!」

「離れろミレア! そいつは危ない!」

 アルフレッドはミレアに駆け寄り、ガシッと腕を掴みにかかった。常ならミレアに対し手加減してくれる彼だが、この時ばかりはよほど余裕がなかったのか、力一杯握り締めてくる。ミレアは痛みに顔を歪めた。

「お前、コイツに騙されてるだけだっ! 考えても見ろよ、魔荒らしと名高いこんな殺人鬼と、お前が一緒にいた訳ないだろ! 戻って来い、今なら座長も笑って許してくれる!」

「アルフ、なんでレグルスのこと……」

「……危惧した通りだったな」

 レグルスが口を挟んだ。ミレアがそちらに顔を向ける。

「やはり、この五年で俺の顔は割れている。ミレア、今ならまだ間に合うぞ」

 これが最後の機会とばかりに、レグルスは通告する。

「お前はここに留まれ。俺などと共にいるべきではない。折角迎えが来たんだ。五年前そこで拾われ、それ以降生活の基盤を作り上げてきた。お前の居場所にはそこのそいつの元が相応しいやもしれんぞ?」

「まだ言う。どこが私の居場所に相応しいかなんて、決めるのは私の勝手でしょ。レグルスに拾われた命なんだから、私にはレグルスの所業を見届ける権利がある。無関係じゃないんだから、最後まで付き合わせて」

「俺は本気で言ってるんだぞ」

「あたしだって本気だよ」

「くそっ、勝手に話進めんなよ……母さんだけじゃなくて、ミレアまで奪いやがって! どいてろミレアッ」

 ミレアを突き飛ばし、キンッ! と短剣を抜いたかと思うと、アルフレッドはレグルス目掛けて切りかかった。レグルスは瞬間的に抜刀し、受け止める。ミレアが声高く叫んだ。

「アルフ?」

「……魔研所関係者か」

「違う。だがアンタに殺されたも同じだ」

 ガキィンッ

 ザザッ

「アンタのお目当ては第八だろ? だったら真直ぐそこへ行けよ、よそ見してると狩られるぜ」

「やめてアルフ、この人、レグルスなの! 私の探してたレグルスなの!」

「どいてろっつったろミレア!」

 ガインッ

「つっ!」

「きゃあっ」

「……どこで調達したか知らんが……余計な情報源は絶たせてもらおう」

「レグルス?」

「うるせぇっ! オレはアンタが許せねぇんだよ、アンタが魔研所さえ破壊しなけりゃ、母さんは苦しまずに済んだのに……!」

 アルフレッドの興奮は最高潮に達していた。ミレアの制止も意味を成さない。レグルスのほうもすっかり応戦する心積もりでいる。

「アルフの、お母さん……?」

「オレの母さんは不治の病だった……そうだよ、治んねぇのはわかってたよっ! けどよ、痛みは魔研所で精製されてた魔薬で緩和できてたんだ。それなのにコイツ、魔薬ごと魔研所をぶっ壊しやがった……! 近所の店じゃ高値で売られて手が出せねぇ、持ってる奴は使わねぇのに分けもしねぇ!」

「酷い……誰も助けてくれなかったの?」

「他の家のことなんざ知らん振りなんだよ」

 ケッ、と吐き捨てるようにアルフレッドは言う。五年間アルフレッドを見てきたが、ミレアがここまで荒れた彼を見たのは初めてだった。それほどまでに、彼の憎悪は、深い。

「誰もが躍起になって不死の法探しに必死こいて夢中になってる。こんなご時勢、よその家を気にしてられる余裕のある奴なんていねぇんだよ」

「そうして魔薬に頼って得た生を母親が本当に喜ぶとでも?」

「死ぬのは目に見えてた、なのに、苦しまずに死ぬ権利も与えられねぇっていうのかよ?」

「……そうした想いはやがて不死の願いへと進行する」

「誰もがそうだと決め付けんのは、傲慢以外の何ものでもねぇぜ」

「少しでも可能性があれば潰す」

 睨み合い、互いの主張を繰り出す二人。一歩も譲らない彼らの様子を、ミレアはハラハラしながら見守っていた。今のこの雰囲気なら、いつまた剣の争いに戻ってもおかしくない。

「こん、の……てめぇこそ妖刀使ってやがるクセに、何が〝魔荒らし〟だ」

「毒をもって毒を制す……兵法の基本だ」

 レグルスが動いた。

 キッ!

 迫る刃に、アルフレッドが辛うじて踏み止まる。レグルスが優勢なのは言うまでもない。

「やめて、二人とも……お願いやめて……」

 五年前共にいたレグルス。五年間共にいたアルフレッド。ミレアにとってはどちらも大切な二人が、今、命のやり取りをしている。ミレアはこの状況に耐え兼ねて、瞳に涙を浮べていた。どうしたら良いかわからない、どちらともにも傷ついてほしくない……。

「ぐぁっ!」

アルフレッドの叫びが響いた。彼の短剣は既に弾き飛ばされている。レグルスが、最後の一振りを降ろそうとした、まさにその瞬間。ミレアはレグルスに向けて短剣を真っ直ぐに振り投げた。

 ガィンッ!

「やめて、殺さないで!」

 舞用の剣を自身の刃で薙ぎ払ったレグルスに、ミレアはガバリと抱きついた。弾かれたミレアの短剣は弧を描き、サクリと地面に突き刺さる。ミレアが初めて、レグルスに反抗した証だった。

「アルフは何も悪くないの! お母さんが亡くなったって、父さんみたいに魔術に走ったりしなかった! 新しい生き方を見つけて、ずっとずっと頑張ってきただけなの!」

「ミレア……?」

 アルフレッドが呆けたようにミレアを見る。泣いていた。五年間、どんなに辛い練習の時も涙を流さなかったミレアが、泣いていた。レグルスは刀を下ろした。

「お前の言う通り、ここへは第八研究室を潰しにきただけだ。始めてしまったことは止められない。それこそ奪ってきた命への冒涜に他ならない。だから俺には完遂する義務がある。行け。邪魔立てするなら容赦しないが、戻るならミレアに免じて見逃そう」

「私からもお願い、アルフ。行って。こんなとこで死なないで」

「ミレア、お前も……」

 だがしかし、ミレアは悲しげに顔を歪め、ふるふると頭を横に振った。

「私、ちゃんと思い出したの。私に歩き方を教えてくれたのは彼だって。私の名前も、言葉も、再び前を向いて〝生きて〟いくことを教えてくれたのも、みんなみんな、レグルスだって」

「だから、それが間違いだって……」

「私!」

 かつてきいたことのないほど大きな声を出したミレアに、アルフレッドは思わずビクリと身を震わした。

「私、レグルスについていく。私がずっと捜していたのは、レグルスなの」

 力なく笑うミレア。儚げで、しかし決意の滲み出た笑み。痛々しいほどに、直向きな思い。それを感じ取ったアルフレッドは、静かに諦念を覚えた。

「ごめんね、アルフ。一緒に行けなくて。でも、仲良くしてくれてとっても楽しかった。今まで有難う」

「……オレたちの一座じゃ、お前の居場所にゃ相応しくないんだな」

 切なげにアルフレッドが言う。ミレアは弾かれるように顔を上げ、慌てて否定した。

「っ! 違うアルフ、あれはそういう意味で言ったんじゃ……!」

「いいんだ、わかった。ミレアが自分で決めたことなんだな。行けよ、どこへなりと。お前の人生だからな、お前の好きにすりゃ良いよ」

「アルフ……ごめん、ごめんねアルフ」

 ミレアがスッと手を伸ばしてくる。これで本当に別れなのだ、とアルフレッドは感じた。

「座長にもお礼言っといて。今まで有難うございました、ミレアは幸せでしたって。直接ご挨拶に伺えなくてごめんなさいって」

 その小さな片手をそっととり、布越しにきゅっと握手する。アルフレッドの手袋越しに、互いの熱が伝わってゆく。

「有難う、有難うアルフ、貴方といて、本当に楽しかった……!」

 そうして、ミレアとレグルスは行ってしまった。一人になってからもアルフレッドは、暫くその場を離れられずにいた。

「ちっくしょっ」

 アルフレッドは八つ当たり気味にカンッとその辺りにある廃棄物を蹴る。つい先ほどミレアに触れた手を見つめ、グッと握った。

「……最後くらい、手袋外して握手してもらやぁ良かった」


* * * * *


 ミレアが身を寄せていた旅芸一座が留まる街から離れて数日。彼女とレグルスの二人は、ちょうど頃合の良い空きビルの廃墟で夜営の準備をしていた。ミレアは努めて明るく振る舞う。レグルスには、それが生来の〝ミレア〟のものなのか、新たな自我の芽生え始めたミレアが無理した産物なのか、判断がつかないでいた。

 そして彼女は、まるでそれが自らの使命であるかの如く、積極的に薪拾いの任を買って出ていた。そのため、今もビルの中に彼女の姿はない。何か役割が与えられていなければ、自身の居場所がないと無意識に感じているかのような行動だった。それほど彼女は、自分の立ち位置というのをどこか求めていた。ここのところレグルスは、ミレアに対し何か焦燥感にも似たものを抱いているような印象を受けていた。

(俺が拒んだことへの反動だろうか……)

 一度拾ったことへの責任を放棄するともいえる行為。記憶を取り戻したミレアにとって、それは唯一の希望を摘み取られたも同じことだ。自分は危うくそのようなことをしようとしたのだと、レグルスは少し後悔した。

 と、そこへ当のミレア本人が戻ってくる。

「レグルスー、今夜の分の薪、これくらいで……あっ」

 真っ直ぐ駆けてくると思われたミレアはしかし、何もない所で躓き、薪を辺りにばらまいてしまった。

「どうした」

「ごめん、何か足が急にカクンって動かなくって……へへっおかしいな、変なの」

「……ミレア、それは……」

「大丈夫大丈夫、もう動くから」

 そう言ってブンブン足を振り回すと、散らばった薪を再度拾い集めるミレア。彼女は平気な素振りを見せてはいるものの、レグルスは不安を覚えずにはいられなかった。何かが、おかしい。

 彼は、ミレアの中で、何かが確実に噛み合わなくなってきているように思えてならなかった。


* * * * *


 多分、幸せだったのだろう。既に世界が狂気に歪み始め、終宴の混沌へとその一歩を踏み出してはいたとしてもなお、それなりには幸せだったと思う。きっかけは誰にでも起こりうる、とても些細な出来事で。あとは世界の大きなうねりに、身を任せれば済むことだった。そうして〝あの時〟は訪れたのだ。

 ごとり、と、酷く不快な音がした。

(私の未来が閉ざされた音?)

(本物の目玉が落ちた音?)

(……違う。これは、この音は……)

 目の前に見慣れた背中が現れた。父だ。自分はこの背中に随分と見慣れてしまった。そういえば久しく真正面からの顔を見たことがない気がする。いつもと違うことと言えば、その背筋が壁ではなく、床と並行であったこと。そう、父は倒れていた。何故かミレアの眼前で。そうだ、自分が最後に真正面から父の顔を見たのは、それが本当に〝最期〟の時で……。

「ぁ、ぁぁぁああああ……!」

 ハッとした。周囲は暗い。どうやら自分は夢を見ていたようだ。ふるりとミレアは辺りを見渡す。近くにレグルスの姿は無かった。

 これには既に慣れたものだ。レグルスは時折、ミレアの眠る間に出張する。連れ回してはいても、よほど狩り場へは共に出掛けたくないらしい。五年前からそうであったが、殊に自我の芽生えた今現在、その傾向は顕著に表れていた。

 鋭く息を吐き、そのあまりに頼りなげな膝を抱え込む。

 レグルスを怨んでいる訳ではない。それは本心なのだ。あれは〝ミレア〟の父親だ。〝生前のミレア〟の親であって、今のミレアと精神的な親子関係にある訳ではない。肉体的な意味で生みの親には違いないのかもしれないが、それによる情愛感情などは、微塵も湧いてはこなかった。寧ろ嫌悪の対象、忌むべき存在。その、はずなのに。

 この不可解な目覚めの悪さは、一体何だというのだろう。あれは今の自分にとって、父親とは呼べないのに。

「どうして?」

 自問する。

「わからない」

 自答する。

「わかんないよ……っ」

 細い細い膝に、自分の顔を埋め込んだ。

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