episode.7 マ アラシ

 五年前の、ある日のこと。野営のために薪に火をくべ、一休みをしていたところだ。例の如く、少女は青年に唐突に質問したのである。

「レグ、ルス」

「?」

「何故? レグルス、まあらし」

 相変わらずたどたどしい口調ではあるが、恐らく「お前は何故〝魔荒らし〟をしているのだ」と訊きたいのだろうと、レグルスはこれまでのやりとりから見当づけた。ミレアにしては何気ない質問だったのであろうが、レグルスにとって、それは彼の本質を尋ねるに等しいものだった。

「退屈な話だ……」

「たい、くつ?」

「つまらん、面白くないということだ」

「おもしろくない?」

「あぁ、実に面白くない話だ」

 そう言って、どこを見るともなしに焚火の方へ視線を遣るレグルス。彼は、想いを遠く故郷へと馳せていた。

「声も知らぬ、少女だった……」

 レグルスは元々、魔道に通じた家の息子だった。彼には魔研所関係者の娘でローラという名の婚約者がおり、向こうの家へ入り婿することになっていた。

 婚約者と言っても、顔を見たのはそれが初めてだった。家へ入る当日。彼が初めて対峙したのは、首だけと成り下がった少女の姿だった。

「やぁ、レグルス。花嫁との対面は如何かね?」

 にこやかな笑顔で応じてきたのは、少女の実の父親だった。右手に吸魂刀を、左腕には少女の首を。彼は既に魔の狂気に身を委ねてしまっていた。家の者は皆惨殺され、残るはレグルスただ一人。

「君の家の名が手に入れば懐も潤うからね。そうなれば魔研所に多額の寄付を注ぎ込んで、妻の蘇生に着手してもらえる」

 要するにその男は、レグルスの家の名目だけ取り込んで、魔研所用に多額の金を吸い取るつもりだったらしい。

「……娘のことは、どうとも思わないのか」

「はははっ、妙なことを言うね。そんなもの、妻が戻りさえすれば後から幾らでも作れる」

 そこから先のことは、レグルス自身もうろ覚えで。気付けば自身の、右は刀を、左は少女の首を手にしていた。

(初対面が死相とは、な……)

「俺も貴女も、人形か」

 両家の惨殺事件は、当事者の死亡により全てレグルスの仕業とされた。真実はレグルスしか知らない。犯人と見做された彼は家名を剥奪され、追われる身となった。〝魔荒らし〟レグルスの誕生である。

 全てを聴き終え、ミレアは問うた。

「その人のこと、愛してた?」

「……彼女と面識は無かった。だから、悲しみも憤りも覚えなかった。ただ、憐れに想ったんだ。ただひたすらに、憐れを感じたんだ」

 刀を傾け、静かにレグルスは応える。生まれた瞬間から、あの日殺される為だけに生かされてきた少女。レグルスは、殺される為に人が生まれてくるなどということはあってはならないと考えた。

不死の法探しの為に人を殺す……その矛盾が、レグルスには堪えられなかったのだ。

「全ての魔に関わるものを消したら、この刀自身も折り砕き、俺も罪を被って世から消えよう」


* * * * *


「あぁぁああっ!」

「ミレア、しっかりしろ、ミレアッ」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 荒かったミレアの息が、次第に落ち着いてくる。レグルスはミレアを支えつつも、次にどう接すれば良いか、わからなくなっていた。先に口を開いたのは、ミレアのほうだった。

「思い、出した」

 その言葉を聴き、レグルスの胸がツキンと痛む。

「全部、思い出した。母さんのことも、レグルスのことも……父さんに、私が何をされてきたのかも」

 本来交わることのない記憶が、全て合わさってしまった。擬似魂が右目に馴染むと同時に、身体の記憶と共に一体化し、定着してしまったのだろうか。ミレアの発言が真実なら、今の彼女は生前の身体の記憶と、死後の擬似魂の記憶、その両方を持ち合わせているということになる。

 ──恨まれて、当然。

 レグルスは、次のミレアの詰りに覚悟した。しかし、少女の口から出てきたのは、心底意外な言葉だったのだ。

「連れてって」

「……な、に?」

「連れてって。また、私を。五年前の、あの日々のように」

「……俺は、お前の父親を殺した男だぞ?」

「それでも。貴方には、そうする理由があった。父さんも、私にしてはいけないことをした。母さんが死ぬ前の父さんは好きだったけど……その後の父さんは、正直好きと言い切れない」

 ミレアは、視線を真っ直ぐレグルスに向けて、そう言い放った。彼女は本気だ。自棄になってそう言っている訳ではない。本気で、レグルスについていきたいと言っているのだ。彼女の目が、それを物語っていた。

「貴方のしてきたこと、そしてこれからすることの、行き着く先を見届けたいの」

「駄目だ」

「ッ! ……どうして?」

 ミレアは顔を歪ませる。声も掠れ、酷く頼りなく聴こえた。

「どうして、そんなこと言うの?」

「お前は、今いる場所にいた方が良い」

 しかし、レグルスは無碍に言葉を返した。彼は支えていたミレアの肩から手を放す。そうして、静かに息を一つして、こう警告した。

「俺と共にいては危険だ」

「そんなの今更だよ。それでも五年前は一緒にいた」

「そうじゃない」

「何が違うの?」

 つい声に力が入る。何故レグルスが拒むのか、ミレアには皆目見当がつかなかった。

「五年前とは情勢が違う。俺は顔が割れてる可能性がある」

 そう、五年前、まさにミレアとはぐれたあの日。現れた魔研所関係者の男は、ミレアの存在を知っていた。あれから五年、レグルスが〝第三室の亡霊〟を連れているという推測がたっているはずだ。加えて、レグルスの親族と婚約者一族の殺害事件のこともある。同時期から見つからない家名剥奪者と魔荒らしの像が、とっくに結び付けられていてもおかしくない。今二人連れになると、レグルスが魔荒らしであることが露見する危険性が高くなる。そうなれば、ミレアも実験の成功例としてつけ狙われることになるだろう。

 だがミレアは、そんな理由で納得する訳にはいかなかった。

「そんなことが問題なんじゃない。誤魔化さないで」

「だが事実だ」

「ッ……レグルスの、嘘つき!」

 双方譲らない。ミレアは勢い余って、レグルスの腕に縋りついた。レグルスは眉一つ動かさない。

「言ってくれたじゃない、生かしてやるって。あれは約束じゃなかったの?」

「約束、か。それもそうだな」

「! じゃあ……」

「なら尚更だ。お前は既に〝自分〟を確立している。お前はもう人形じゃない。ちゃんと立派に〝自分〟ができてる。お前は一人の……ミレアという人間だ」

「そうだよ。私はもう何にも知らないミレアじゃない。ちゃんと自分を見つけた。この世界のこと、たくさん知った。それでも、ついてくって言ってるの!」

 レグルスは、ミレアの頭に静かに手を遣る。しっかりと、彼女の双眸を覗き込んで告げた。

「お前はもう……俺とは、関わらないほうが良い」

 ミレアの腕から、ゆるゆると力が抜けてゆく。

「酷いや……こんな所で棄てるの? 飽きたから、こんなお人形はもう要らない?」

「っ!」

 レグルスの顔色が変わった。ミレアが初めて、彼の前で涙を流したのだ。その手は儚げな力で、レグルスの外套を掴んでいる。思いの丈を伝えようと、持てる勇気の全てを以て。

 これには驚きだった。今までのどの〝ミレア〟とも違う。

 ──全く別の自我が芽生え始めているのか……?

「棄てる、か……ハハ、参ったな」

 レグルスが力なく笑った。どうやら、彼の降参のようだ。

「確かに。一度拾った者を無責任に捨て置く訳にもいかんか。それに、お前はもう人形などではないと言っている」

 と、ミレアがキョトンとしていることにレグルスは気付いた。口に虫が入るぞ、と言いたくなるような間抜け面だ。

「……!」

「……どうした?」

 避ける間もなくレグルスに、ミレアはキュ、と抱きついた。

「レグルスが笑った」

「笑いもするさ。生きているのだから」

「ウソ、レグルスってば滅多に表情動かないんだから。私はちゃんと色んな顔があるって知ってるからわかってあげられるけど、皆は凄く誤解してるんだよ? 今くらい自然に笑えば、もっとちゃんと理解してもらえるのに」

「可笑しくもないのに笑ってどうする」

「もう、そういうことを言ってるんじゃないってば!」

 一頻りやり取りした後、レグルスがフッと息を吐いた。

「共に行こう。俺達が人形などではないことを証明しに」

 立ち上がり、少女に手を差し伸べる。

「後で碌でもない命運につき合わされたと文句を言うかもしれんがな」

「言わない。さっきも言ったはずだよ。私は貴方の行き着く先を見届けたいの。その為なら、どこまでだってついてく覚悟だよ」

「良いだろう」

 闇に二つ、影が融けていった夜だった。

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