~after five years~

episode.6 約束

 夜でもないのに暗い道を、少女は一人歩いていた。魔による荒廃を象徴するかのように、暗雲垂れ込める昼の空。最早この世界に明るい場所など存在しないのかもしれない。黒い衣をはためかせながら、少女はそんなことを考えた。荷を抱える両腕にグッと力を籠め、〝一座〟への家路を急ぐ。

 五年ほど前、少女はとある旅芸一座に拾われた。彼らが偶々立ち寄った水辺で、頭を中心に血塗れで倒れていたところを発見されたという。息があったため一応の手当てはされたものの、一座の誰もが手遅れだと思った。

 だが、予想に反して少女は見る間に回復し、今では当時の傷痕さえ残っていない。身寄りのない少女を一座が迎えて以降も、怪我を負っては驚くべき速度で癒されていた。この五年、風邪らしいものも一つもひいていない。健康と言えば聞こえは良いが、少女自身、少し不気味に感じていた。

「ミレア!」

 突如かけられた声に、ビクリと肩を震わせて、少女は思わず立ち止まる。だが、前方に見えた顔が見知ったものだとわかった途端、警戒を解いた。

「アルフ」

「遅い! 買い出し一つにどんだけかかってんだよ」

「ご……ごめん」

 どうやら迎えに来てくれたらしい少年アルフ──アルフレッドは、少女にとって一座の先輩に当り、また剣舞の師でもあった。アルフレッド自身はパントマイムで生計を立てている。一座に入った以上、何か芸をして生活するのが決まり事だ。芸など何も出来なかった少女に、自分同様身軽そうだと目をつけて、剣を教えてくれたのがアルフレッドだった。年頃も近く、唯一の肉親であった母を亡くしているというアルフレッドの境遇は、身寄りの無い少女自身と重なり、親近感が湧いた。アルフレッドからも何かと声を掛けてきてくれるので、自然と少女が一座の中で最も話す回数が多いのは彼となっている。件の水辺で倒れていたミレアの第一発見者も、彼だ。

(ミレア……それが多分、私の名前)

 彼女に唯一残された身元判明の手掛かりは、服についていた名前らしき刻印入りの不可思議なプレートと、『レグルス』という謎の人名。頭を酷く打った衝撃なのか、それ以外は本当に何も覚えていないのだ。当時は言葉も覚束ないほどだったと、よく一座の者にもからかわれる。

「あんま一人でうろちょろすんなよ? この辺もそろそろ来そうだしさ」

「来る……? 何が?」

「『魔荒し』だよ」

 『魔荒し』。

 何故かその名を耳にした瞬間、ミレアの右目がドクリと疼いた。しかし、ミレアのそんな様子には気付かないまま、アルフレッドは話を続ける。

「もう五年も前から騒がれてんのに未だ捕まんなくてさ、どんな末端施設でも、魔術に関わる場所ならぶっ壊しちまう破壊魔なんだと」

(五年……ちょうど私が一座に拾われる頃……)

 ミレアは奇妙な引っ掛かりを覚えた。だが、何か、思い出してはいけないことを思い出してしまいそうな気がして、無理やり胸に押し込める。と、アルフレッドがじっとこちらを見つめていることに気がついた。穴が開くほどとは、まさにこのことだ。

「な、何?」

「いや、お前の言う『レグルス』って奴が、もしかしてソイツだったりしてな、とか思って」

「んな訳ないって」

 茶化すようなアルフレッドの様子に、慌てて否定しようと手を振るミレア。パッと両腕を離したすきに、荷が落ちることに気付かない。

 ぼとり

「あっ」

「あーあ、またやった」

 アルフレッドの口ぶりからするに、ミレアはこうしたミスを常日頃からしがちなようだ。

「ごめん……」

 謝りながら拾うミレアに、「ったくしょーがねーなー」と文句を返しつつも手伝ってやるアルフレッド。お互い拾いあいながら、不足が無いか確認する。

「そんな人と一緒にいたなら、間違いなく私生きてないでしょ」

「だよなぁ。襲われた研究員は皆殺しだって噂だし」

 不思議そうに呟くアルフレッド。ミレアも心中でその名を呟く。

(『魔荒し』、か……)

「なんか……怖いね。そんな人がホントに来たら」

 何か心に引っかかるものを覚えつつも、率直にそう思ったミレアは口にする。今、自分は一人ではない。そして身を寄せるその集団は、すぐには逃げ切れないような、大きな荷馬車を抱えているのだ。

「魔術には関係ないけど、一座の中には小さな子もいるのに……」

「バーカ。てめ、そゆ時のためにオレらは護身術習ってんだろーがよ」

アルフレッドたち旅芸一座は、時として大儲けしている金持ちだと勘違いされ、巡業先で狙われることも多い。

そのため、ある一定の年齢以上の者たちは、普段からある程度鍛えられているのである。

「そ、うだよね、うん! 私もこの五年で少しは強くなったろうし、アルフ直伝の腕で役に立たなきゃ」

「……お前はいいんだよ」

「へ?」

「だーかーらぁ、お前より何倍も強いこのオレがいるからお前は何もしなくて良いって言ってやってんの」

「あははっ、うん、頼りにしてるよ」

「……お前馬鹿にしてるだろー」

「えー? そんなことないよ」

 からからと、笑いながら二人は駆けてゆく。闇の向こう、ほんの少し明るく灯った、暖かな光の元へと。


* * * * *


 レグルスは、以前にも増して破壊の手を速めていた。まるで何かにとり憑かれたかのように。そうでもしなければ、呼吸すらままならないかのように。

 始めてしまったことは、取り消せない。ならば、最後まで仕上げなければ、今まで潰してきた命も無駄になるのだと、なんとも都合の良い言い訳をしていた。自分にそう思わせることで、自身を騙し、偽っていた。

 五年前、ミレアが崖に落ちてから、レグルスは下へ降りてミレアをすぐに探し始めた。しかし、そこに残されていたのは、レグルス自ら術を施した魂封じの布切れだけで。大量の血の痕の周りに、彼女の姿はどこにもなかった。

 忘れずに研究関係者を始末してから流れに沿って歩いてみたが、下流に辿り着いてもミレアを見つけることは叶わなかった。自分でも、らしくないと感じている。このようなことで動揺するなど。このようなことで、自分が保っていられなくなるなど。おかしい。明らかに今の自分はおかしいのだ。わかっていて変えられない、それが酷くもどかしくて、レグルスは刀に苛立ちをのせてしまっていた。

 レグルスはとある街に身を潜めている。近くに魔研所があるこの街は、現在旅芸一座が滞在していて、辺りはほどよく活気が良い。人混みに紛れて移動するには、とても都合が良かったのだ。

 今、彼は件の旅芸一座の舞台横を擦り抜けようとしていた。喧騒の中、フッと偶々、本当に偶然、そこに視線を投げたその時。彼は信じられないものを目撃した。

 ──そんな、まさか。

 目に映ったのは、一人の少女の舞う姿。剣を携え、華麗に舞台を縦横に駆け回る。

 タン 

 タタン

 タタタタン

 晴れやかなその相貌に、非常に良く似た者を知っていた。しかし彼女は、〝ミレア〟は剣舞などできるはずがない。そもそもこんなに上背はなかった。あの肉体でこれだけの成長がありうるのかどうか……。

 レグルスはコートの裏ポケットから、過去、少女につけさせていた眼帯を取り出した。そうすることで目の前の現実から目を逸らしたかったのだが、そこであることに初めて気がついた。血塗れた布、そこに施したはずの魔術の結界の紋が見当たらないのだ。

(珍妙な……)

 だがこれで、彼は仮初の心の平穏を手に入れることができた。紋が破られ魂が剥れてしまったなら、やはり彼女は生きてはいまい。そう納得することで、レグルスは漸くその場を離れることができた。フラフラと、いつになく頼りない足取りではあったのだが。

 数刻後、彼は不覚にもならず者の集団に狙われていた。一人路地裏を歩いていて目をつけられてしまったのだ。次々と襲い掛かってくる男たちに対し、レグルスは一見冷静に対応しているように思われた。だがしかし、頭では先の少女の舞う姿がちらついて仕方なかったのである。

(くっ……)

 胸が落ち着かず酷くざわつき、頭が痛くなってくる。彼は最後の一人の、最期の一手が振り翳されるのに気付いていなかった。


* * * * *


「もー、座長ってばいつまでも私を遣いっぱしりにするんだから」

 ミレアは再び、一座の遣いに出されていた。なんでも野菜が「ミレアが落としたせいで」傷んでいたから、もう一度買い直して来いとのご指令なのである。

「今からの時間じゃ、裏技の店しか開いてないっての」

 少々アルフレッドの口真似をしながら、小道を駆けてゆくミレア。ふと、前方から不穏な音が聞こえてくるのに気がついた。

(やだ、こんなとこでも追い剥ぎ……?)

 おそるおそる、慎重に進んで行くミレア。店はこの先にあって、遠回りできる道も知らない。

巻き込まれないよう願いながらそっと様子を窺うと、一人の男性が大勢のならず者に襲われている様子が見て取れた。

「酷い、多勢に無勢じゃない……」

 しかし、ミレアの心配をよそに、一人で戦っている男のほうが優勢であるのは一目瞭然だった。事実、彼が応戦すべき相手は、早くも残すところあと一人である。

 だがそこで、異変は起こった。頭が痛むのか、優勢だった男が突然額に手を当て俯いてしまったのだ。好機とばかりに、ならず者は凶器を翳す。ミレアは見つからないよう身を潜めていたはずなのだが……体が、勝手に動いてしまった。

「危ないっ!」

 両者の間に割って入り、ミレアはならず者の凶器を短剣で受け流した。直後に男がトドメを刺した。自分から加勢したとはいえ、あまり気持ちの良くない光景に、ミレアは思わず固まった。

「お、お怪我はありませんか?」

 なんとか声を振り絞る。そこで両者は初めて顔をきちんと合わせた。と、二人とも何かに気付いたかのようにハッとした。声を掛けるのは、ミレアのほうが速かった。

「レグルス?」

「……」

「あ、の、ごめんなさい。もしかして貴方のお名前、レグルスっていうんじゃあ……」

 男は無言だが、何故かミレアにはそれが肯定のように信じられた。

「やっぱり! あの、私のこと、知りませんか? 私、五年前までの記憶がなくって、レグルスって名前のことしか覚えて無いんですけど、今の貴方見て、なんとなくそうなんじゃないかって思って、あの、それで……」

(五年……!)

 レグルスの背筋が冷える。

「……お前、本当にミレアなのか?」

「……!」

 ドクリ

 〝ミレア〟、という名が彼──レグルスの口から出た瞬間、またもミレアの右目は疼いた。頭の中が情報で溢れてゆく。相反する想いで満たされてゆく。

 ──駄目だ、思い出してはいけない。

 ──駄目、思い出さなきゃ。

「あああああ!」

「……ミレアッ」

 突如、ミレアは右目を抑えて蹲ってしまった。思わずレグルスは彼女を支える。そして、恐ろしいものを見た。眼帯に施したはずの結界紋が、ミレアの右目に浮き出ている。

「母さんはなんで死んじゃったの?」

「私はどうして死ななかったの?」

「どうして父さんは死ななきゃいけなかったの?」

 ぞわりと冷える。体内の温度が一気に低下した気がした。記憶だ。彼女は記憶が混同しているのだ。何故かは解らないが、五年前の、あの落下の衝撃で紋は右目に定着した。体内に定着したことで、〝生前〟と〝死後〟の記憶が混同しているのだ。

 ──殺した。俺が殺したんだ。生きてた、まだ死ぬはずのなかったミレアの父親を……トドメを刺したのは、ミレアを今抱く、この腕だ……!

(嘘つき)

(約束したのに)

(自分を創れって)

(〝生かして〟やるって)

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