episode.3 五感
瓦礫の山に、腰掛けて。それは、食事を摂っていた時のことだった。匙に一掬い口に含んだと思ったら、それきりミレアは動かなくなったのだ。いつもなら咀嚼が始まっているだろう頃合になっても口を動かさず、ただただ目を見開いている。いい加減レグルスが怪訝に思い始めた時分に漸く、もしゃくしゃと噛み潰してからミレアが発した言葉は、レグルスの思いもよらぬものだった。
「味が、わかる」
「……今までそんなに味付け薄かったか?」
そんなつもりはなかったのだが、と、試しにもう一口レグルスは味を確かめた。別段いつもと変わった濃さでは無いように思える。これまで誰かに味オンチと指摘された憶えも無い。
だが、人の味覚も十人十色。レグルスにとっての普通の味も、ミレアの味覚にはそぐわなかったのかもしれない。レグルスの出したその結論は、次なるミレアの発言によって杞憂に終わった。
「何、も、感じなかった」
「は?」
「今まで、『味』、が何か、わからなかった。今、やっと、わかった。これが、『味』……」
「……」
レグルスは理解しかねた。逡巡すること暫し……そして、彼なりの答えを導き出す。〝創り物〟の彼女は、五感がまだ不安定なのだ。思い当たる節もいくつかある。
滅多に表情を崩さないレグルスでさえ、思わず顔を顰めるほど強烈な悪臭垂れ込む研究室に侵入した際も、臭いを全く感じていない様子だったミレア。別の研究室では、蒸気にいつまでも手を翳し、危うく火傷しそうになったこともある。どんな音にもピクリとも反応しない事態には、出会った当初から度々遭遇している。
嗅覚、触覚、聴覚……そして、件の味覚。味のように初めて感じたものもあれば、出たり消えたりする感覚もあるのだろう。 そんな彼の予想が的を射ていることを裏付けるように、ミレアが言った。
「景色、とか、熱いとか、寒いとか。味みたいなの、いっぱいあると、頭、スッキリする気がする」
相変わらず要領を得ない発言だが、レグルスはそれとなく頷いておくことにした。今日のミレアは、いつにも増して饒舌だ。
「でも、時々、見えない。見えないの、嫌」
「……見えない時はどうしてたんだ?」
「なんとなく、わかる」
説明不足な回答に、レグルスは再び脳を最大限稼動させて推測する。見えなくとも、感覚的にわかる、と言いたいのだろう。
実際今のミレアの本体は擬似魂であって、肉体の機能はあくまでも補助的なものに過ぎない。視力がなくとも単純な移動くらいならできるのかもしれない。
だがそれが動きの支えをしているのも事実で、普通に歩いているようで妙に転び易い時があるのは、恐らく視覚が麻痺している時だったのだろう。
「……次からは、見えない時は俺に言え」
「? 何故?」
「今のミレアは不完全だ、その〝なんとなく〟の感覚も正確とは言い切れない。そのままじゃまたいつ転ぶかわからない。だから、ちゃんと俺に言うんだ。わかったか?」
「ん。よくわからないけど、わかった」
ミレアの言動が矛盾しているのはいつものことだ。だから、レグルスにとってはミレアが自分の意見に同意したという点だけが重要だった。
「それでいい。忘れるな」
コクリと首を縦に振ったミレアに満足し、レグルスは半ば独り言ちるように続ける。
「その内感覚全てがまともになって、五感として安定するはずだ。今はまだ、慣れずとも」
「ほんと?」
「嘘かもしれない」
「……」
突っ込んだ言葉に対し、あまりといえばあまりな切り返しに、ミレアは思わず珍妙な顔のまま固まる。レグルスとしては至極誠実な返答のつもりだったのだが、ミレアが黙りこくってしまったのを見て取り、少し思案するとこう言い直した。
「お前に関する全てにおいては、不確定要素が多すぎる。だから断定出来ない。だが……恐らくは、楽観的に見て問題ない」
「……オソラク」
「あぁ。恐らく、だ」
それを聞くと、感心したように数度首を揺らしたミレアは再び食事を開始した。皿の上の料理は少し冷めていた。今の彼女には、この温度がわかるのだろうか。そう思いながら、レグルスも少女に倣い、静かに食事を再開させた。
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