episode.1 "壊"と"創"

「ひぃっ!?」

 ガシャーンと、器材の落ちる音がした。研究員は恐怖に歪めた顔で、現れた青年を凝視しながら後ずさる。一歩入られては一歩退き、遂には壁が迫ってきた。

「ま、『魔荒し』……」

 容貌は知れずとも、その存在は研究に関わる彼らにとってあまりに有名なものだった。青年の纏う空気に、肌の上をビリビリと悪寒が伝う。声を上げても無駄だろう。彼がいたのはとある施設の最深部の無菌室。目の前に今青年がいるということは、ここに至るまでの数々の障害はとっくに越えて来たということになる。そしてそれは、仲間の研究員たちがもう既に息をしていないだろうことをも暗に示していた。加えて、大規模な実験事故を懸念される魔研所は、往々にして人里離れた場所に置かれている。助けを求めたところで、その声を聞きとがめる者は誰もいないのだ。

「!?」

 己が運命を甘受し、一足先に脳の活動を停止させようと諦めの境地に入っていた彼はだが、次に目に飛び込んで来た場違いなモノに困惑した。殺伐としたこの空間にあまりにもそぐわないその存在。幼い少女が、この部屋の扉に手を掛けて、半分だけその姿を見せていたのだ。止まりかけた研究員の思考が、瞬時に活発な動きを再開させた。

「お前はっ、まさか、第三のサンプ……」

 しかし言葉は、最後まで紡がれることを許されなかった。研究員の背から刃と赤が見受けられる。無表情のまま彼の胴を一突きにした青年は、刀を引き抜きながら呟いた。

「執着から解放され、ゆっくり休むが良い……」

 一瞬にして急所を突かれた研究員は、そのまま床に吸い寄せられる。その様子を無感動に見つめながら、それまで黙っていた少女が口を開いた。

「さんぷ……?」

 少女が小さく発した言葉は、然程意味を成してはいない。それでも青年は、クルリと身を翻すと擦れ違い様に手を伸ばし、少女の頭をクシャリと撫ぜた。

「気にするな」

 言い置いてその場を後にする。不意に撫で擦られた頭に自身の手を遣り、少女は部屋を出て行く青年を目で追った。

もう一度だけ無菌室に視線を戻した彼女はやがて、どこか納得したように、

「気にしない」

 とだけ呟いて、静かに戸を閉め立ち去った。

 青年は名をレグルスと言った。巷で『魔荒し』と呼ばれる彼だが、実は顔は割れていない。仰々しい二つ名にも関わらず魔道に秀で妖刀を扱うことも、誰も知らない。レグルスの姿を認めたら最後、その者の命は確実に彼に奪われるからだ。

 ところが最近になって、一つの例外が発生した。ぎこちない足取りで彼の後をついて来ている幼い少女がそれに当たる。第三研究室長の娘であったと思しき彼女は、本来その身が屍のはずであった。

 だが思いの外進んでいたらしい研究は、擬似的に魂を作り上げる術を編み出し、その成果を試験的とはいえ彼女の右目に凝縮させていたようなのだ。

 よって、現在彼女の仮初の命は、全てその右目に押し込まれている『擬似魂』に集約されていることになる。

 しかし、そこにあるのはあくまでも擬似的なモノである。擬似魂に〝生前の少女〟自身の記憶は無い。経験も無ければ自我も無い。あくまで似せたモノに過ぎないのだ。だから新たに生まれるのは、〝少女〟の身体を宿に得られた、全く別の意識となる。

(こんなことを、人は蘇生と呼ぶのか……)

 下らないなと感じる以前に、惨いものだとレグルスは思う。このような事態は、生前の彼女の身体を、そして意識を冒涜するものだとは考えられないのだろうか。既に正気の沙汰とは思えない。どこまでも腐った連中。魔道の力に酔い痴れた自惚れ屋たちが、世界を死へと導いてゆく。

(俺もその一人、か)

 ひたひたと迫る虚無の香り。生のみを至上のモノとする盲信者たちが、狂ったように不死を目指す。人の為と言いつつも、結局は己の欲求を満たそうとしているに過ぎない愚かで脆弱なエゴイストたち。それを端から端まで潰して回り、最後には自身をも破滅させようとしている自分。全ては、既に進み始めた狂宴だ。幕を下ろすには、その進行を終焉に向けて加速させていくより他にない。レグルスは、ある種の諦めにも似た覚悟をしていた。

 『魔荒し』が例外である幼い少女を、何を思ったか連れ歩いているのもまた、知る者の無い事実だった。恐らく例外が居るということ自体、どこにも伝わってはいないだろう。

 酷く、奇妙な構図ではあった。レグルスは魔道を憎んでいる。関連するのが人であれば殺し、物であれば破壊の限りを尽くし、世界から魔道というものを根絶すべく動いている。

 しかし、連れてきた少女の命は現在、まさにその魔道による恩恵を賜ることで支えられているのだ。

(副産物に、罪は無い)

 それがレグルスの出した結論であったが、彼自身ひどく言い訳めいているとも感じていた。気紛れに連れ出したに過ぎはしないが、自分でも疑問に思えてならないのだ。敢えて答えを出すなら、重なったから、だろうか。

 壊す者と、創られし者。

 ともすれば対極に据えられそうな存在の二人。だが自分も、〝彼女〟も、この少女も、糸が切れたらそこで終わりの人形ではなく、ちゃんと自分で動けるのだと、そう声高に主張したかったのかもしれない。

 少女は相変わらずどこか呆然としており、無表情のまま辺りを見回してはぽてぽてと頼りなげに歩を進めている。少女が自分に追いつけるようにと足を止め、聞いてはいまいと思いつつも、レグルスはぽつりと言葉を洩らした。

「お前は俺が〝生かして〟やる……だからお前も、〝自分〟を創るんだ」

 危うい歩みで漸く追いついた少女は、軽く口を開いたまま不思議そうに首を傾げた。

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