11-8:晴子の兄評 下

「兄は普通の人だと言いましたが……ある意味ではその通りで、ある意味では違ったのかもしれません。兄は、世間に対する感性が優れていたのだと思います」

「感性が?」

「えぇ。中庸というか、バランス感覚が取れているというか……ある程度は客観的に物事を見て分析も出来る人でありましたから、何かを一方的に悪と断定することもしませんでした。

 それと同時に、感情の面を慮ることもできました。とくに、兄は誰かが困っているのを見ると放っておけなかったようで……自分の目で世界を見れるのと同時に、優れた倫理観を備えていたんだと思います。

 なんというか、世の中のことに対して希望も絶望もしていないけれど、困っている人には手を差し伸べようという信念があったんですね。そういう意味では、やはり見知らぬ女の子を守って亡くなったと聞いて、悲しみに暮れる中にも……あぁ、私の兄さんはそういう人だったと、妙な納得感があったんです。損得勘定を抜きにして誰かのために行動できる兄は、いつも自分のことを後回しにしてしまう人でもありましたから」


 晴子は右京達から視線を外し、曇り空の方へと首を回した。


「だからこそ私は兄に絵を描いてほしかったのかもしれません。絵を描いている時だけ、自分のために時間を使っている……兄自身のために行動している、そんな風に見えたから。

 都合のいい話ですよね、私は兄に頼る一方で、自分のために生きて欲しいと思っているだなんて、矛盾していて……」

「……きっとお兄さんがこの場に居たら、人間なんてそんなもんだって言うでしょう」


 そう言った右京の方へと晴子は振り返り、ビックリしたような表情を見せた。きっと、それがオリジナルの思考を正確にトレースしていたからだろう――その証拠に、もしあの場にもし自分が居たら、全く同じように返答したであろうから。


 AIに作ってもらった偽りの言葉でなく、原初の虎に直に触れた少年だからこそ紡ぎだせた言葉に対し、病床の少女は次第に表情を柔らかくして、笑った。


「えぇ、その通りだと思います」


 少年に対して頷き返し、晴子は立ったままで若者たちの成り行きを見守っていたべスターの方を仰いだ。


「あの、手術の件ですが……もう少し待ってもらっても良いでしょうか? 兄のことを思えば手術を受けるべきだとも思うのですが……やはり病院での生活が長いせいで、この場でなかなか踏ん切りは着かないと言いますか……」

「えぇ、大切なのはアナタの意志ですからね」


 晴子の悩みも致し方の無いモノだろう。仮に退院しても、行く当てもなく頼れるものもないとなれば、この場で決断をするのも難しいのは頷ける。とはいえ、ここに来た時に見た、今すぐにでも消えてしまいそうな雰囲気はなりを潜めている――グロリアと右京と話したことで良い影響があったに違いない。


 そう思っていると、グロリアがまた身を乗り出して晴子の細い手を取った。


「あの、また来ても良いですか?」

「えぇ? でも、退屈でしょう?」

「いいえ、そんなことないです……ね、右京?」


 振り向いたグロリアに対し、右京は少々戸惑ったようだが、ややあってから頷いた。


「……そうですね。僕もまた、アナタに会いに来たいと思っています」

「ふぅ……こんな所に来たいなんて、変わっていると思いますけれど……でも、また来ていただけると嬉しいです。私も、久々に色々と話せて楽しかったですから」


 穏かに笑う少女に、べスターも「必ず来ます」と返事をして、一同は病室を後にした。


「……綺麗な人だったね」


 廊下を歩いている途中で、ふと右京がボンヤリとした表情で呟いた。グロリアは驚きに目を見開き、言葉を失っているようだった。


「いや、なんというか、儚くてさ……ごめん、忘れてくれ」


 失言したと思ったのだろう、少年は珍しく気まずそうに顔を背けた。グロリアは歩きながら、そっぽ向く少年の方を指さしながらべスターを真顔で見上げてきている。


「ベスター、これってアランには言った方が良いのかしら?」

「いいや、黙っておいてやろう。せっかく弱みを握ったんだからな」

「右京のためじゃないのね……」


 実際は右京のためなのだろうが――この男もなかなか素直ではないから、黙っておくというのを素直に言えないだけだろう。


 しかし、最終的な顛末を知っている自分としては、心中穏かでないと同時に、晴子と右京の二人は惹かれ合うべくして惹かれ合ったようにも思う。二人とも物静かで、理知的で、どこか影がある――そんな共通点があって、互いにしか理解できないこともあったのだろうから。


 もしこの時のオリジナルが右京が晴子に惹かれている様子を見たら、きっと最初こそは納得いかない調子でありながらも、最終的には背中を押したのではないか――そんな風に思った。

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