11-7:晴子の兄評 中

「おかしかったのは……えぇ、兄の絵の技術は正確だったと思います。独学の状態でも上手な風景画を描きました。しかし皮肉なことに、兄の絵は上手なだけで、それ以上のものに昇華されていなかったんです。

 本当は写真と差別化するためにアナログの道を選んだはずなのに、眼で見たものを正確を映し出しているせいで……それはそれで、凄まじい観察眼だったと思いますけれど……結果としては正確に世界をコピーできる写真の劣化にしかならなかった。つまり、絵であること、アナログであることの意味が消失していたんです。

 ですから正直、私は兄は絵描きとして大成できないだろうと思っていたんですよ。兄の絵は上手いけれど、人の心を動かすほどの凄味はありませんでしたから」


 晴子の絵の品評に関して、ティアとの会話が脳裏をよぎった。風景画は抜群に上手いが、多少拙くとも人物画の方が好まれていたこと。大切なのは絵の巧みさではなく、真剣に少女たちを描き出そうとしたこと――そう言われたことを思い出した。


 なるほど、自分にはどうやら、サイボーグ化する前のオリジナルの絵の技術は正確に伝わっていたらしい。もちろん、オリジナルも自分も、風景画に対して手を抜いていた訳ではないが、言われてみれば見たままを描くことに集中していて、あまり自分なりの解釈だとか、そういったものを風景には乗せていなかったかもしれない。


 いや、きっと乗せようとはしていたのだ。しかし、こだわりがあるからこそ技法に頼ってしまっていたのだろう。もっと簡単に言えば、本気であるからこそ舐められたくない――下手だと言われたくないあまりに技術が先行し、本当に表現したいものを落とし込めていなかったのかもしれない。


 そんな風に自らの絵に関して思い返している傍らで、スピーカーの方から「でも」と晴子の声が続く。


「兄は私のそんな評論を聞いてもへこたれませんでしたし、どんなに言われても……父に反対されても夢を諦めませんでした。

 それに、絵を通して世界に何かを働きかけようとする兄のひたむきさは本物でしたし……そんな一生懸命になれる兄の姿が好きだったんです。だから、私は兄に美術大学に進学して、チャレンジしてほしかったんですよ」


 ブラウン管の中では、穏かに微笑む晴子の手前でグロリアが頷いている。


「なるほど……お兄さんとは仲が良かったんですね」

「えぇ、そうですね。割と異性の兄妹って思春期なんかは疎遠になるイメージがありますけれど、ウチの場合はそんなことも無かった……いえ、兄があまりにも適当で抜けているので、結構私の方は呆れかえることも多かったかも」

「ふふ、そうなんですね?」

「えぇ。でも……今にして思えば、兄はそれを半分は狙ってやっていたのかもしれません。適度に抜けていて気やすいので、年上でも気やすく接しやすかったですし……兄はそういうところがありました。

 結構何も考えていないようで周りをよく見ていますし、誰かが困っていたら放っておかないんです。妹の私に対しても例外ではありませんでした。私が両親と気まずかったり、学校で嫌なことがあったりして沈んでいるとすぐに気付いて声を掛けてくれましたし、時には私の味方をして解決してくれることもありました。

 だから、私は兄のことを信頼していました……本当に小さいころからたくさん助けられてきました。そういう意味でも、兄に美術大学進学をサポートするのは、恩返しの意味合いもあったんです」


 今の言葉から、レムがアラン・スミスを頼った経緯が垣間見えた気がする。信頼する兄の言葉なら――クローンである自分ですらおもはゆいが――信じることができると。同時に、恩返しに兄の夢をサポートしようとしてくれた妹の思いを聞くと、甲斐甲斐しさを覚えるとともに胸が締め付けられるような心地がする。


 病室の面々も同様だったようで――神妙な雰囲気になる二課のメンバーに対し、晴子は細い指を立てながら悪戯っぽく笑った。


「……まぁ、散々褒めましたけど、残りの半分は素というか、何にも考えてないだけだと思いますけれどね?」

「何にも考えてなくても人を助けられるのは、立派なことだと思いますよ」

「そうですね……えぇ、その通りだと思います。いつでも駆けつけてくれる、優しい自慢の……」


 オリジナルをフォローしてくれる右京に対し、晴子はそこまで言って言葉を切った。正確には、言葉を紡げなくなったのだろう――瞳から流れる涙によって。


「……ごめんなさい、なんだか胸がいっぱいになってしまって」


 胸に左手を当て、右手で頬をなぞる晴子に続いて、室内にもう一つ嗚咽の声が響く――泣いているのは肩を揺らしているグロリアだろう。


「いいえ……大切だったんですもの。その、今更ながらに……そんなお兄さんを失ったら、色々なことがイヤになるのも分かります、なんていうのもおこがましいかな。でも、私には兄妹がいないので、少し羨ましいです」

「ふふ、まぁ、私に多少ブラコンが入っていたのは認めますけど……多分、私がふさぎ込んでいた原因は、それだけじゃないと思います。

 兄を失ってしまった今では、困った時に誰を頼ればいいか分からないから……こんなにも辛い思いをしているのに助けてくれる人がいないなんておかしいって、私は世界に対して拗ねていたんだと思います。

 兄が生きていたら……いいえ、亡くなった今でも、私に手術を受けて欲しいって分かっていても……その後、何を頼って生きていけばいいか分からずにふさぎ込んでいたのかもしれません」


 感情は落ち着いたのか、晴子は頬を拭うのを止めて話を続ける。

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