11-3:右京とグロリアの説得 上

 扉の位置で動けなくなっていた視線の主は、しばらくして意を決したのか、ベッドの方へと歩き出した。

 

「……伊藤晴子さんですね?」


 ベッドのすぐ隣で声を掛けて、晴子はやっと人が居ることに気づいたのか、生気のない眼を男の方へと向けた。


「はい……アナタは?」

「私は、アナタの相続した遺産を管理している司法書士事務所の者です」


 べスターは事前に用意していた名刺を取り出し、晴子の方へと差し出して見せた。晴子の後見人をしていた本物の事務所の名刺だ。実際に何度か事務所の人間が晴子の元に来ていたらしいので、怪しまれないように本物と同じものを準備したとのことらしい。


 晴子はしばらく名刺を虚ろな目で見つめ、しかし何か吉報と思ったのか、ようやっと瞳を輝かせて微笑を浮かべた。


「もしかしたら、やっと父の遺産がそこをつきそうだ、という連絡のために来られたのですか?」


 晴子の言葉に対し、べスターが返答できなかったのも仕方がないことだろう。本来なら遺産が尽きそうというのなら、不安な表情を浮かべるはずだ――その上で彼女が喜んだ理由は、恐らく一つしかない。


 病床の少女は、これ以上の延命を望んでいなかったのだ。事故の手術自体は成功しており、足が無いこと以外は問題なかったはずであるが――といっても、歩けなければ体力も落ちるが――生きる希望を失っている少女は、飲まず食わずという生への抵抗によって死を望んでいたのだ。


 そんな自分の推測を裏付けるよう、先ほどまでのボンヤリした様子が嘘のように、晴子は饒舌に話し出した。


「少々おかしいな、とは思っていたのです。二年もの入院費用を賄えるほどの金額があったとは思えませんから。でも、病院にご迷惑をおかけしないため、せめて葬儀費用だけでも残っているとありがたいのですが……」

「い、いえ。まだしばらく入院されていても問題ないほどの遺産はありますよ」


 男の返答に対し、晴子は表情は曇り――「そうですか」と短く返した後、また視線を落としてボンヤリとし始めてしまった。


 その様子に、べスターは途方に暮れてしまったのだろう、困ったように辺りを見回すと、説得すると息まいていたグロリアも唖然として寝台の少女を見つめている。


 しかしただ一人、この沈黙を打ち破るために動き出した者が居る。静寂の支配する病室に足音が響くと、べスターの横に右京が並んだ。


「私たちは、アナタに手術を受けて欲しくて来たのですよ」


 そう言いながら、右京は近くにあった丸椅子を引いて、晴子と視線の高さが合うようにそこに腰かけた。


「アナタは……?」

「僕は彼の後輩で、星右京と言います」

「……手術を受けるつもりはありません」

「もし、術後や退院後のことを心配されているのであれば、その点は問題ありません。アナタはまだ未成年ですので、国からの保証は受けられますし……」

「いいえ、違うんです……そういうことじゃないんです」


 右京の説明を遮って、晴子は長い髪を揺らしながら首を横に振った。


「仮に足を再生させたとて、こんな絶望だらけの世の中の、一体どこを歩けば良いというのでしょう?

 いいえ、分かっているんです。勝手に絶望しているのは私だということは……何者でもない小娘が、勝手に世界の真理を分かった気になって死にたがっているということは、私自身が痛感しています。それでも……家族も、足も、時間も失って……」


 そこで晴子は言葉を切り、首を回して外の曇天へと視線を向けた。


「何よりも自分の夢を諦めて、私のために尽くしてくれた兄さんに対し、私一人だけ生きているのが申し訳なくて。一生懸命勉強をして未来に情熱を向けていたというのに、私が事故に遭ってしまったことで夢を捨てて……最後には見知らぬ女の子を守って死んでしまうなんて。

 兄さんらしい最後でもありますが……誰かのために自分を犠牲にし続けた兄さんのことを思うと、今更私だけ元気になって、外の世界を歩きたいなどと、どうしても思えないのです」

「そんなの駄目よ! だって、アナタのお兄さんが……!」


 グロリアにその先を言わせてはマズいと即座に反応したのだろう、右京が振り返って自身の口元に人差し指を立てた。グロリアも勢いで口を滑らせてしまったと気付いたのか、自らの口に手を当てて俯いてしまった。


 一方で晴子は、グロリアの口ぶりに違和感を覚えたのだろう。訝しむ様な表情を浮かべながら首を傾げている。


「アナタ達は兄のことを知っているのですか? 兄の交友関係の中に、アナタ達のような方は居なかったと記憶していますが」

「いいえ、直接会ったことはありません。しかし、今更ではあるのですが……アナタのお兄さんの遺品の中から、自分の身に何かあった時のためのメモが見つかったのです。お兄さんはアンドロイドの導入できない小さな建設会社の危険な現場仕事についていましたから、万が一のことを想定してアナタにメッセージを残していたようなんです」

「本当ですか?」

「えぇ、少々お待ちを……」


 右京は鞄からノートパソコンを取り出して、起動ボタンを押してからキーボードを数度叩いた。べスターの視点から見ると、それは何かのプログラムだったらしい――どうやらAIにアラン・スミスの行動パターンを解析させており、簡単な指示でそれらしいメッセージを即席で生成しているようだった。ものの数秒でそれなりの分量の遺言が生成されたため、まさかこの場で捏造されたものだと気付ける人間はそこまで多くはないはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る