幕間:塔の最下層にて 下

「だがね、君が勝手に考えている他者の思考とやらは、結局は自らの取った経験から来る反応を体系化した類推にしか過ぎない。そういう意味じゃ、君は本当は分かりもしない他者の思考とやらに苦しめられて、勝手に心を痛めている。そんなのは全くナンセンスだ。

 いわんや、君の推測が他者の思考を言い当てていたとしてだ。だからって何になるんだ? 感情を類推できるからと言って、他者の感情を……用意周到に行動し、言葉を選べば多少はできるだろうが……完全にコントロールすることは出来ないんだ。

 それこそ、アンドロイド相手なら可能かもしれないが……」

「いいや、作用には必ず揺らぎがある。言葉の定義が人によって違う以上、自然言語処理においては百パーセント望んだ答えが返ってくるわけじゃない。どれだけ機械学習をして予測の精度を上げたとしても、特定状況下における変数によって思わぬ答えが返ってくることはままある。

 そういう意味じゃ、より機械的な第五世代はもちろん、ヒトゲノムを持って感情を持つ第六世代の感情を完全にコントロールすることも不可能だ」

「だろう? そんなものに心を痛めているのがナンセンスだって言いたいんだよ、僕ぁさ。結局相手を完全に満足させることだってできないし、君自身だって完全に満足することは永久にないんだから。

 結局さ、億万の言葉を持ってすら、人って奴は完全に分かり合えることは無いんだ……生まれてから死ぬまで、結局僕らは独りなんだよ」

「……そうだね」

「何より、僕の言葉で感傷的になっている今の君は、まったくの贅沢者だ。自らの感情を言語化して感傷に浸るだけの知能があるんだからさ。

 足りてない者は、自分が孤独だということにすら気付けないんだ……餓えれば食欲を満たし、眠くなれば眠り、魅力的な相手を見れば性欲を爆発させて欲情することしかできない。本能かそれに近い部分しか認識することはできないし、またそれに準ずる行動しかできないんだ」

「……今日は妙に突っかかってくるじゃないか。嫌なことでもあったのかい?」


 右京の言うように、アルジャーノンは右京の何かが引っかかったように見える。彼の口調がくどいこと自体はいつものことだが――これは学長ウイルドに宿っていた時から変わらない――どことなく神経質な物言いから察するに、彼は右京に対して確かな苛立ちを覚えているようだった。


 基本的に、アルジャーノンは他人に対して興味がない。それ故に議論に発展して相手の言い分を否定することはあっても、人格的な部分にとやかく言うことは珍しい。もちろん、大前提として「後悔するくらいならこんなことをしなければ良かった」という彼の忠言自体は正論そのものなのだが――何やら過剰に反応している理由は気に掛かる。


 直感で言えばコンプレックスが原因のように思われるが――アルジャーノンは星右京と比べても遜色ない、むしろ知能指数そのものにおいては智謀の神アルファルドすら上回るはずだ。それなのにどこにコンプレックスを覚える理由があるのだろうか。


 当然ながら、その真相は自分には不明だ。自分に共有されているのは今の事象と過去の知識のみで、アルジャーノンの感情や生い立ちに関してはうかがい知ることも出来ないのだから。我が身体の主は再び大きくため息を吐き、これ以上話すのは無駄だと言わんばかりに椅子を回してディスプレイへと向き合った。


「解析を他人に任せて、勝手に沈んでいる君を見てればこうもなる……文句を言われたくないなら、さっさと自分の仕事に戻ったらどうだい?」

「さぼっているつもりな訳じゃないんだけれどね。これ以上君を怒らせたいわけじゃないし、言われた通りに仕事に戻るよ」

「あぁ……いや、一個だけ伝え忘れていたことがある」


 アルジャーノンが一つのレポートを開くと、右京が身を乗り出して画面を注視し始める。そこには、衛星からの写真が一枚、深海で百メートル四方程度の漆黒の渦が発生している場面が映し出されていた。


「これは……?」

「どうやら海底のモノリスで特殊な力場が発生しているようなんだ。君の方でモノリスのコントロールはしているはずだが、気付いていなかったかい?」

「あぁ、制御で手いっぱいで、こんな現象が起こっているのは認識していなかった……解析は?」

「言っただろう、特殊な力場だって……出来ないから伝えてるんだ。モノリスを活用して海に魂を封じ込めてるんだ、その中心はこの宇宙で最も多次元宇宙に近い。何が起こってもおかしくはないんだが、時空間が捻じれているが故にこの中で何が起こっているかを覗き見ることは出来ないね」

「成程……分かる範囲で良いんだが、それは僕らにとって不利益になりそうかい?」

「そんなもん分からんさ。解析できないものはプラスにもマイナスにもなりうる、まさしく量子力学で言うところのアンノウンボックスみたいなもんなんだからさ……強いてを言えば不確定因子で予測不能な分、差し引きマイナスって所か」

「まぁ、そうだよね……ありがとう、ゴードン」


 そういう右京の顔には、少しばかり不安の様相が伺える。元々自分はシンイチに宿っている時の彼と行動を共にしていた時間はあるのだが、あまりこういった表情を見ることは無かった。思い返せば魔王軍との戦いなど彼にとっては百手先まで決まっているボードゲームのようなものであり、不確定要素など無かったが故かもしれないが。


 強いて言えば、ゲンブという人形を見た時に、このような険しい表情を浮かべたか――対する魔術神は右京の不安な表情に少し胸がすいたのか、口角を吊り上げて作業へと戻った。


「はは、ありがとうっていう顔じゃないね。心配性な君のことだ。こういうのは嫌なんだろうが。まぁ、引き続きコイツの分析は一応続けるよ」

「あぁ、頼んだよ」


 少年は浮かない顔のまま背後の席へと戻り、自らの作業を再開したようだった。魔術神の方も包装紙を一つ手に取り、中の飴玉を口に放り投げ、鼻歌交じりに解析作業に戻るのだった。

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