3-22:一人の偵察 下

 考えることもなくなってからは、ただ無心に周囲の気配に注意を向け続ける。恐らく、ポイントに居る連中は交代で寝ているに違いない。寝れるとはうらやましい限りだが、しかし必ず一体の息遣いは感じる――無為に近づくのは危険だ。


 特に歩哨を潰すために配備されている魔族となれば、気配には相当敏感だと警戒したほうがいい。慎重に慎重を重ねて行く方が良いだろう。それに不思議と、体も心も、まだそれなりに余裕はある。むしろ、緊張感のおかげで眠くならなくて丁度いいくらいだ。


 見張りの連中も、ここに人間が居て、勝手な我慢比べを仕掛けているなどと思っていないだろうな――しかし、我慢のかいもあってか、チャンスは来た。それも二つ同時にだ。見張りが交代のためなのか、それとも飯でも取りに行ったのか、ポイントにいた魔族たちが持ち場を去っているようだ。本来なら次の見張りが来てから持ち場を離れろとも思うのだが、そこまで知能の高くない奴を配備しているのかもしれない。


 そして、そのタイミングはちょうど辺りが薄青くなり始めてからだった。今のタイミングなら、まだ薄暗くはあるものの、夜間よりは遠くが見渡せそうだ。


 茂みから出て、望遠鏡を取り出しつつ、ポイントのほうへと向かう。もちろん、警戒は怠らない――今のところ、自分の直感に引っかかるヤツはいない、この勘を信じていくしかない。


 地図に書かれたポイントは、木々がまばらで遠景が見渡せる場所だった。まず、望遠鏡を持たずにざっと景色を視認してみる。幾分か拓けた荒野のような場所の奥に、巨大な柱のような物が見える。アレは城というより、柱という方が相応しい気がする。細長い何かが、少し斜めの角度をつけてそびえたっている。また、その柱には血管のように赤い光が幾筋も流れているのが見えた。


 背後には山があり、丁度柱の頂上と高さが一緒くらいのようだ。地図を見る限り、山の方は火山であるらしい。


 さて、これ以上は望遠鏡を使わないと見えないか。一瞬警戒を強めて周囲の気配を手繰る――まだ大丈夫そうだ――望遠鏡を構えて、魔王城の偵察に戻る。


 まず、敵の部隊がどんなものか確認したほうが良いだろう。魔王城の前の荒野の方にレンズを向けてみる。地形的に、死の渓谷を抜ける場所にすぐに陣を敷けるよう、野営をしているようだ。野営地は結構大規模なものだが、やはり時間帯も良くないのか、外を歩く魔族はまばらだ。ハッキリ言って、その数を正確に把握することは難しい。


 とはいえ、気にしなければならない点は、渓谷を抜けた先の東にも僅かながらに魔族が陣を敷けるよう準備しているということだ。恐らく、北と東からの魔術による十字砲火を狙っているのだろう。

 

 ほかに何か無いものか――レンズを段々と魔王城のほうへと向けていくと、先ほどの巨大な柱の麓にたくさんの住居があるのが確認できた。とはいえ、テントのような簡素なものや、ボロボロに朽ちかけた煉瓦づくりなどが中心である。端的に言えば、スラムのような趣の街、というのが正しいだろうか。


 今度はもう少し視線を上げて、今度は魔王城らしきものを覗き見てみる。魔王城は、前世でいうところのブロック遊びのように、様々な素材が継ぎはぎされているように見えた。遠景からは柱だったが、恐らく支柱を元に、後から継ぎ足していっているのだろう。


 そして、その継ぎ目の部分が、赤く光っている――その辺りを注視してみる。


 支柱の壁の部分は、最初は鉄かとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。ともかく、金属板のようなものが見え、そこの間をネオンのように赤い光が通っているように見える。なんというか、アレは、前世でいうところの現代的な機構に近いような気がするが――。


 もう少し魔王城の正体を見ようと注視していると、こちらに近づいてくる気配があった。望遠鏡を覗き込むのに集中していたせいで、ちょうど百メートルくらいの位置までの接近を許してしまったらしい。


 そうとなれば、この場から去ることにしよう。再び息を潜め、足音を殺し、身をかがめながら背後の藪の中に戻っていく。こちらが移動するより向こうのほうが速いが、幸いにしてポイントに魔族が着いた時には気付かれず、そのままゆっくりと距離を離すことができた。


 しかし、ここからは戻らなければならないが、どうしたものか――夜だと闇夜に紛れて動きやすかったが、二十四時間以内に戻るといった手前、日のあるうちに砦まで戻らなければならない。渓谷の横を直進すれば半日ほどで帰れるだろうが、その周りは活動中の魔族も多く、返って時間を取られるかもしれない。


 そうなれば、少し迂回して戻るのが正解か。本当は渓谷の東側も確認して戻りたかったが、その余裕はなさそうだ。逆に渓谷から遠ざかれば遠ざかるほど、魔族の数は減るはず――そうと決まれば早く戻ろう、晩飯までには戻ると約束したのだ、その約束を守らなければならない。


 ◆


 迂回作戦は半分成功、半分失敗だった。道中魔族に接近することはほとんどなかったが、単純に道が険しく、予想の倍近く時間を取られてしまった。すでに西日が傾き、世界が黄昏色に染まりつつある――しかし、もう少しで砦に戻れる。


 とはいえ、やはり丸一日寝ずに動きっぱなし、砦を出る前も普通に起きていたわけだから、流石に疲労は隠せない。足はすでに棒になっており、なんとかトボトボと歩いている感じだ。


 体に鞭を打ちながら坂を昇り切ると、ようやく眼下に人類側の野営地が見えてきた。見てきたことを報告したら、明日の朝までぐっすり寝たい――そう思いながら、最後の力をふり絞って歩みを進める。


 だが、その疲労が良くなかったのだろう、また、人類世界に戻ってこれた安堵に気を抜いてしまっていた部分もある――こちらに急激に接近する気配を、ギリギリまで感知できずにいたらしい。物音のする方に振り返ると、茂みからワーウルフが一体、凄まじい速度で襲い掛かってきている。


「くっ……!」


 袖から短剣を取り出し、その眉間に向けて放り投げる。一瞬魔族の動きは緩んだものの、浅かった――獣が咆哮をあげながら、再びこちらに向けて走り出してくる。


 二刀目を投げるより、相手の接近のほうが速い。だが、こちらには左腕に新兵器がある――そう思っていると、自分の目の前を黄色の稲妻が轟音と共に煌めき、直後には獣人の体は跡形もなく消え去り、結晶が乾いた音をたてて地面に落ちた。


「……アランさん!」


 声のしたほうを見ると、ソフィアがこちらに向かって走ってきているのが見えた。近づいてくると、次第にその目の下に大きなクマを作っているのが視認できた。恐らく、寝ずに待っていてくれたのだろう。ともかく、魔族を倒してくれたことに礼を言わなければ。


「ソフィア、あり……」

「アランさん!」


 ソフィアの勢いは止まらず、そのままこちらの体に抱きついてきた。しかも、割と本気で力を入れているのか、疲労の残る体では身動きが取れないほどに強く抱きつかれてしまった。


 少女は少しの間、顔をこちらの胸にうずめていて――顔を上げた時には、目元のクマが気にならないほどの可憐な笑顔を浮かべてくれていた。


「アランさん、おかえりなさい!」

「あぁ、ただいまソフィア」


 なんとなしに、少女の柔らかそうな髪を撫でようかなとも思ったが、腕ごと強く抱きしめられて動けないことに気付く。


「……なぁ、ソフィア」

「なぁに?」

「動けないんだが……」

「むー……これはバツなんだから」


 頬を膨らませるソフィアは、しばらくその力を緩めてはくれず、後ろから歩いてきたエルに「そいつも疲れてるんだから」と窘められて、やっと解放されることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る