3-20:勇者の依頼 下

「……シンイチ、アレイスター、確認だ。様子を見てくるのは、死の渓谷だけでいいか?」


 蠟燭の炎に眼鏡を輝かせながら、アレイスターが眼鏡を押し上げる。


「もちろん、魔王城の周辺の情報も欲しいのが本音ではあります。死の渓谷は罠の危険性が高いという話で、本丸で対応できない事態は避けたいですから」


 アレイスターが言葉を切った後、すぐにシンイチがこちらを向いてくる。


「しかし、魔王城周辺の五つのポイントが全て潰されたとなれば、恐らく警戒レベルは相当高いと思った方がいいね……近づくだけでも危険なのならば、ひとまず死の渓谷の状況だけでも分かれば良いと思うな」


 大体予想通りの答えが返ってきた。それなら、行けるところまで行ってみるか。


「了解だ、地図は借りていくぞ……マストは死の渓谷、出来れば魔王城周辺まで見てくる。今から二十四時間、それで帰ってこなかったら、ぶっつけ本番で頑張ってくれ」


 机の地図を雑に握って袖に入れてメンバーの顔を見る。概ね心配そうにこちらを見ているが、やはり特に対照的な二人が気になる。


「あぁ、アランさんならきっとできるよ」


 何の確証があるのかも分からないが、シンイチは笑顔でこちらを見ている。対して、ソフィアはしょんぼりと、膝の上で握っている拳に視線を落としているようだった。


「……なぁ、ソフィア。せっかくだし、見送りしてくれないか?」

「うん……」


 俯きながらソフィアも立ち上がり、移動しようと振り返った瞬間、左に座っているクラウに袖を引っ張られた。


「アラン君、ちょい待ちです」

「なんだ? お前も見送りしてくれるのか?」

「いえいえ、私はそんなにかいがいしくはないので……聖水と毒を追加で渡しておきます。アンデッドや悪魔相手なら聖水、獣人や亜人なら毒である程度対処できると思いますから」


 そう言いながら、クラウは腰の鞄から聖水の瓶を三本と毒薬を一本とりだし、机の上に置いた。


「あぁ、助かる」

「はい……大盤振る舞いしてるんですから、早く帰ってきてくださいね?」


 よくよく見ると、クラウも唇を尖らせて視線を逸らしている。この子も心配してくれているんだろう、それなら頑張らないといけない。


「はは、了解だ。明日の晩飯には間に合うように帰ってくるよ」

「絶対ですよ? アラン君なしの本番は無いんですからね」


 なるほど、先ほど二十四時間で帰ってこなかったら、という発言が気に入らなかったのだろう。


「あぁ、知ってるだろう? 俺はしぶといんだからな」

「ふぅ……そうやって強がるんですから。でも、信用はしてます。頑張ってきてくださいね」


 手を振るクラウにこちらも振り返し、ソフィアを連れて外へと出た。砦の外では、兵たちが野営をしており、所々松明の灯りが点々としている。逆に、その周り以外はうす暗く、みなソフィアが居ることにも気付いていないようで――こうしょんぼりと歩いていたら、普段は元気な准将の気配を感じないのも仕方ないかもしれない。


「……シンイチの言葉、きつかったな」

「うぅん……シンイチさんの意見は正しいよ……」


 ソフィアは相変わらず沈んでいるが、怒っているとかそういう感じではない。どちらかと言えば、周りの正論に対して感情が追いついていないと言うべきか。


 しかし、正直ソフィアはシンイチに対して結構思うところがあるのではないかと思っていたが、そうでもないのだろうか?


「少し気になってたんだが……シンイチと再会したとき、ソフィア、シンイチに対して怒ってなかったか?」

「うぅん……怒ってたわけじゃないの。どちらかと言えば、怯えてしまってたのかな……」

「まぁ、一回は自分を追放した相手だもんな。なんて思ってるか考えれば、不安になるのも分かるが……」

「うぅん、そうじゃない……」


 ソフィアは顔を上げて、考えこみ始め――少しして言語化出来たのだろう、円らな瞳でこちらを射貫いた。


「うん、今は落ち着いたけれど、あの時の感覚は、畏怖……理屈じゃなくて、ただ怯え畏まるしかない、そんな感覚だった」

「えぇっと……」


 なかなかその感情には共感できないものがあった。理屈的には、人が絶対的なものと対峙したときに、平伏するしかなくなるような感じに近いのか。そのような感情を自分が抱いた記憶もないし、シンイチ自身は柔和な雰囲気で、そんなすくむ様なことも無いとは思ってしまうのだが。


 そんな風に考えていると、ソフィアは再び視線を落として、ぽつりと呟きだす。


「……私、悪い子だね」

「なんでそんな風に思うんだ?」

「わがまま言って、皆を困らせて……今もアランさんを困らせてる」


 困っていないと言えば嘘にはなるが、別にソフィアが悪いわけではない。少し元気づけたくて呼んだだけで――などと考えているうちに、ソフィアが続ける。


「それに、私、嫉妬してるんだ……クラウさんは、アランさんに色々なアイテムを渡せて、離れていても協力できる。エルさんも、何の疑いもなく、アランさんなら一人でやれるって、信じ切ることが出来てる……私は、どっちもできなかった」


 なるほど、シンイチの件だけでなく、色々こじらせた結果、自分の感情を処理できなくなった感じか。とはいえ、人それぞれ、出来ること、出来ないことがある。エルとクラウに出来ないことが、ソフィアには出来る――それだけの話だとも思うのだが、それを言っても本人は納得しないだろう。


 上手いこと少女を笑顔にする術はないものか、それも中々思い浮かばない。更にこちらが黙っていれば、余計に俺を困らせていると少女は更に落ち込んでしまうだろう。こうなれば一か八か、ひとまず思っていることでも伝えてみるか。


「……なぁ、ソフィア。俺は君に感謝してるぞ?」

「うぅん、私のほうがアランさんに感謝してるよ?」

「ははは、またこの感じか……ソフィアは頑固だからなぁ」


 このまま続けると、水掛け論になるだけだろう。そう思って笑ってしまうと、ソフィアは納得いかなかったのか、頬をぷくーっと膨らませた。でも、それは先ほどのこの世の終わりみたいな顔よりは余程いい。


「……この世界に来た時にさ、ソフィア、俺のために色々手配してくれたり、協力してくれたりしてくれただろ? 普通のお偉いさんだったらさ、俺みたいなヤツは面倒だから、ずっと牢にぶち込んでおくと思うんだよな。

 でも、ソフィアが俺に対して優しくしてくれたから、今俺はここに居られるんだ。だから、感謝してる。それに、ソフィアの考えや行動力に、俺ももちろん、エルもクラウも助けられてるさ」

「……でも、私、今はアランさんのために何もできてない」

「うーん……」


 先ほども考えたように、今ソフィアがやるべきことが、俺の手助けでないというだけなのだが。そもそもこの子の体は一つしかないのだから、なんでも自分で背負いこんだところで限界はある。


 というか、一番のポイントは、俺のためになることをしたいということか。それなら、こちらからソフィアにして欲しいことをお願いすればいいかもしれない。 


「それじゃあ、ソフィア。一個頼みがある」

「……何?」

「俺が帰ってきたら、一番に出迎えてくれ。笑顔じゃないとダメだぞ?」

「……私じゃなくてもできるよ、それは」

「いいや、ソフィアがいい。出来れば見送りも笑顔だと、よりやる気が出るな」


 うん、なかなか決まったんじゃないか。きっと今頃、ソフィアも笑顔で見送らなきゃと元気に――全然なっていない、むしろ先ほどよりも頬を膨らませて、ぎろり、とこちらを見ている。


「アランさん勘違いしてる。私はそもそも、アランさんに一人で行ってほしくないんだよ?」

「アーうんそれは確かに?」


 年頃の女の子は難しい。まとめると、シンイチにあれこれ言われたり、エルやクラウと比べて自分はダメだとしょ気たりしていたものの、そもそもの要因は俺が一人で行くのがイヤという、なんというか複合的な要因で落ち込んでいたのだ。それを、一人で行くことを肯定してくれと言われたら、怒りたくなる気持ちもわかる。


「……でも、お帰りなさいっていったら、アランさん喜んでくれる?」


 二の句をどう継ごうか困っているところを少女の声が遮った。


「あぁ、それは絶対だ。ソフィアが迎えてくれると思えば、頑張れるよ」

「うん、それじゃあ……」


 そこでちょうど、ソフィアが立ち止まった。気が付けば、野営地の端まで来ていたらしい。奥に見える松明の炎が逆光になって、少女の表情は見えにくい。それでも、瞳の灯りは柔らかになっているようには感ぜられる。


「……見送るときは、ちゃんと笑顔では送れないけど……帰ってきたときは、きっと一番の笑顔で迎えるよ。うぅん、アランさんが帰ってきたら、きっと自然に笑顔になっちゃうと思う」

「あはは、大げさだなぁ……でも、楽しみにしてる」

「うん……それじゃあ、行ってらっしゃい、アランさん」

「あぁ、行ってくるよ、ソフィア」


 少女と人間世界に手を振り、振り返る。今日は星の少ない夜、灯りもほとんどない――だが同時に、闇に潜むには好機ともいえる。息を少し大げさに吸って覚悟を決め、広がる闇の奥へと駆けだすことにした。


 ◆


 ソフィアが中々戻ってこないので、様子を見に外へと出た。しばらく進むと、小さな背中が暗闇の奥を見つめているのが見えた。


「……こんなところにいたの、風邪を引くわよ」

「エルさん……」


 振り返った少女は、瞳に涙を貯めているようだった。


「そんな心配しなくても……殺しても死なないわよ、アイツは」

「うぅん、違うの、違うくて……」


 ソフィアは首を振ってから、再び闇の方へと向き直った。


「なんだか、アランさんを一人にさせたらいけない気がするの。あの人は、すごく強い人……だから、きっと放っておいたら、一人でどこまでも行ってしまう……いつか、あの背中に追いつけなくなってしまう、そんな気がして……」


 そう言う少女は、あの闇の奥に消えていった背中を見つけようと、動けずにいたのかもしれない。そんな、過大評価だ――そう言いかけたが、確かにソフィアの言う事も何となくだが分かる。


 あの日、偶然に出会った男には、得体の知れない何かがある。それは、おぞましいとか、そういうものではないけれど――実力的には、一人で暗黒大陸の魔族と戦えるほどの実力はないはずなのに、それでも彼は、この短期間ですら驚異的な成長をしている。


 いや、多分違うのだ。成長しているのではない。その強さは、彼の中に元々内在していたもののように思う。だから正確に言えば、取り返していっている、というのが正しいのかもしれない。


 本能的に備わる危機感知能力、確実に相手の急所を狙う投擲術――そして何より、直近数日の鍛錬で見せていた、あのしなやかな動き。彼の持つ戦闘能力は人間的というより、野性的という方が近いように感じられる。


 そう、アラン・スミス、彼はまるで――。

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