2-28:諸刃の刃 下

「こんなものか、人間……だが、貴様らの絶望が、私を……」

「……おぉぉおおおおおお!!」


 お義父様から教わった剣、ハインラインの剣には、ほとんど決まった型は存在しない。ただ、己の肉体を鍛え上げ、最短で、最速で、相手の急所を斬り、突くのみである。悪魔も気迫に気付いたのか、見上げていた兵からこちらへ視線を移してくる。


 姿勢を低くし、大地を蹴り上げ、更に加速し――悪魔の左手に小さな魔法陣が現れるが、詠唱のない魔術なら凝った術ではない、恐らく直線を描く攻撃魔術。敵は直進か、こちらが跳ぶと推測するだろう。それならば――。


「……ぬっ?」


 射出された黒い稲妻を、より前傾姿勢になって躱す。背中が少し焼ける感覚があるが、踏み込みを止めるほどの痛みではない。この低姿勢から放てるのは刺突、だが、悪魔の体にこの軍用刀が通用するかは分からない。ならば、胸板に護られて厚い心臓よりも、幾分か細い首を狙うべきだ。相手の喉仏、そこを一点に狙いを定め突き上げ――魔術を空振った悪魔は、こちらの速度に反応しきれず、僅かに身を逸らすだけだ。


「……取った!」


 相手に動かれたため、狙いは少し外れたが、それはそれで問題ない。こちらから見て相手の左の首筋に刺さった剣を、そのまま思いっきり右に薙ぐ。思っていたよりはあっさりと剣筋は通り、結果、悪魔の首が宙を飛んだ。


「……ふぅ、意外と呆気なかったわね」

「いやはや、人間の女は乱暴なのが多い……話す暇もくれない女子おなごばかりだな」


 姿勢を正して剣を鞘にしまおうとした瞬間、地面のほうから声がした。見れば、飛ばしたはずの首が喋っているようだった。


「……アナタ、ルール違反は止めてくれない? 普通の生き物は、首が跳んだら死ぬものよ」

「成程、だがそれは、普通の生き物に当てはまる節理。ご紹介に遅れた、私はタルタロス、見ての通り悪魔だ」

「なるほど……本当に、魔将軍が地下にいたのね。しかし流石の悪魔でも、頭を両断すれば黙るかしら?」

「ははは、なかなか口が減らない娘だ。だが、よそ見はいかんな?」


 頭が動くのだ、警戒はしていた。すぐに後ろに跳んだおかげで、頭の亡くなった体から放たれる爪の一撃は宙を切る。だが、距離を離したのがマズかったか、悪魔の左手が分断されている頭のほうに伸びると、不思議な引力が働いて、頭蓋が左手に収まる。そして、再び首にくっつけると、悪魔の首は元の状態へと戻ってしまった。


「……さて、こちらは名乗ったのだ。貴様も名乗るのが筋ではないか?」

「悪魔に聞かせる名前なんかないわ……!」


 仕切り直しだが、全く太刀打ちできないほどではない。この前の竜と違って、人型なら対応する術もある。


 こちらから前進し、大悪魔に肉薄する。今度は、心臓を刺し貫く――しかし、こちらの動きを読んでいたのか、悪魔はこちらから見て左へと体を素早く捌く。


「……そこ!」


 こちらも身を引いて、すぐに刀身を左に払いながら引き寄せる。敵の外套を少し切るだけに終わり――同時に相手の右の貫き手を、ブレストプレートの表面でいなす。鋼鉄の板が簡単に抉れているのを見れば、直撃したら即死――しかも、衝撃だけでもこちらの体にはダメージがある。


「……ちっ!」


 近接しなければこちらの攻撃も通らないのだが、流石大悪魔、魔術師と言っても体術もかなりのものだ。一旦距離を離すため、目くらましに腰の短剣を――宝剣でないほう――相手の眉間を狙って放つ。なんの仕掛けもない鉄の短剣なのだが、警戒してくれたのか、相手がそれを弾いている隙に後ろに跳ぶ。


 しかし、距離を置いたら置いたで、これも敵の間合い。敵の背後に現れた魔法陣から火球が現れ、こちらに向けて射出される。これ以上引いてもより強力な魔術を撃たれるだけだ。着地と同時にすぐに横に側転し、空いた左手で地面を叩きながら――火球がすれすれの位置に着弾して少し焦ったが――跳び、足が地面に着くと同時に再び前進する。


「……人間にしては出来るな。先ほどの女ほどではないが……」


 敵はこちらを狩りの対象から興味の対象へと変化させたのか、硬化しているらしい腕で剣戟を受けながら話しかけてきた。先ほども女子とかなんとか言っていた、もしかするとクラウのことかもしれない。


「その女、生きているの?」

「あぁ、地下の亡者にやられていなければな……勇者の供でもないのに、いや恐らくそれ以上の強さだった。恥ずかしながら退かせてもらったよ」


 クラウは生きている、それは朗報だ。それならアランも生きているだろう、何せしぶといし。しかし、先ほどの女ほどではないと言われるのは違和感がある。流石にクラウよりは接近戦は強いという自負もあるのだが。もしかすると、彼女の中にあるもう一つの魂が、この悪魔と対峙していたのか知れない。


 とはいえ、生粋のアタッカーとしては、どれほどティアの力が抜きんでていたとしても、技量が負けているというのは面白くない。


「……余り舐めないでよ!」


 派手に大上段から振り下ろすと、案の定だが悪魔の右手に刃が握られる。刃が鈍い悲鳴をあげる――吸血鬼の握力で、簡単に鋼鉄は砕けたのだ。その上位互換のコイツの力で潰せない道理はないだろう。


「……どうした、勝負を焦ったか、女……!?」

「死の女神、無敵の女王……其の軛に繋ぎ止めん!」


 切っ先が砕けるのと、宝剣の仕込みは同時だった。左手でヘカトグラムを抜き、切っ先から重力波を悪魔に叩きつける。


「それは……失われていたはずの宝剣……!」

「……チェストぉおおおお!!」


 悪魔の体が重力によって地に臥すのと同時に、右手の軍刀を振りかぶる。切っ先こそ無くなっているものの、まだ刀身は半分残っている。その刃は重力に引かれて更に加速し、悪魔の額を勝ち割った。


「ぐっ……だが、浅い!」


 コイツ、額を割られてもまだ動けるのか。恐らく、何かしらの魔術が来る――そう思い、軍刀の柄を手放して横へ跳躍する。自分が立って居場所の上から稲妻が落ちてきていたらしい、派手な轟音が耳をつんざき、舞う土煙に視界が奪われているこちらの隙に、重力の軛から逃れた悪魔もまた自分から間合いを離すように跳躍した。


「成程、旧神を自称する人形が言っていた通り……本当に、宝剣の持ち主がこのレヴァルにいたとは。つまり貴様、エリザベート・フォン・ハインラインだな?」


 タルタロスは頭から刃を引き抜き、それを無造作に投げ捨てた。こちらも、地面に落ちている適当な軍刀を拾い上げる。


「ふん……これを見たからには死んでもらうわ。もちろん、見なくても死んでもらうつもりだったけど」

「ふふふ……威勢がいいな、女。確かに、甘く見ていたかもしれん……この認識、訂正しよう。だが、その剣にも弱点があることを、私は知っているぞ」

「何……!?」


 悪魔を黒い瘴気がその身を包み、身に着けているローブが蠢いている――布を裂くような音、そして悪魔の背後から、右に二本、左に二本、計四本の腕が新たに生え出し、その手のひらの一つ一つに魔法陣が浮かんでいる。


 攻撃はすぐに始まった。火球に稲妻、氷の矢に風の刃、それらが悪魔の腕から射出される。けん制用の下級の魔術なら、動き回っていれば当たるほどのものではない。こちらだって、宝剣ならば多少距離が離れていても攻撃できる。


「……ヘカトグラム!」


 波状攻撃を避けながら、敵に向かって重力波を打ち込む。だが、こちらが動き回っていれば敵の攻撃に当たらないのと同じで、向こうも距離さえあれば、宝剣の軛を避けることが出来る訳だ。こちらのけん制はいとも簡単によけられてしまう。


 もっと、出力を上げればいいのだが――そうは出来ない理由もある。


「……女、逃げ回るだけで手一杯か?」


 タルタロスの撃つ魔術が、街の建物を破壊していく。自分は的になりながらも、それを躱し続けることしかできない。


「忠告だ、あまり私にばかり見蕩れているものではないぞ?」


 その言葉に、一瞬だけ周囲を見回す。倒れていた兵たちが起き上がり、ただれた皮膚を覗かせて、こちらにゆっくりと進んできている。


「ちっ……!」


 確かに敵が増えたのは厄介だが、敵の魔術に亡者を巻き込めばいい。実際、走り回っていれば、アンデッドが盾代わりになってくれている。だが、確かに移動範囲は限られるし、タルタロスの魔術の軌道に集中できなくなったのも厳しい。


「……さて、舞踏は終わりだ、エリザベート・フォン・ハインライン」


 こちらが亡者に気を取られているうちに、敵は第四階層相当の魔術を練っていたらしい――それは、結界の無い状態で受ければ即死クラスの魔術になる。


「しまっ……」

「エルさん!!」


 名前が呼ばれると同時に、飛んできた短剣を起点に自分の前に結界が展開される。放たれた極太の稲妻は、その結界の前に四散した。そして、視界に何本かの瓶が飛んできたのが見えると、すぐさまそれらは鋭利な物に撃ちぬかれて、割れた瓶から水がまき散らされる。その水が亡者に掛かると、煙を上げて亡者どもは動かなくなり、結晶と化して倒れ込んだ。


「エル、無事か!?」


 声のした方へと振り向くと、大聖堂の扉の前にアランとクラウが立っている。


「……遅いのよ! どこで道草食ってたの!?」


 口では憎まれ口を叩いてしまうが、自分の口角が上がっているのは何となくわかる。対してへっぽこコンビは「地下だが」「地下ですが」など、素っ頓狂な返答をしていた。


「うわっ! アイツ手が増えてますよ!? 動かすのに頭を使いそうですねぇ……」

「そうだなぁ……頭使いすぎて血管切れて倒れてくれないかな、アイツ」


 二人のタルタロスを見た感想がそれだった。この緊張感の中で適当なことを言うあの二人は、間違いなく馬鹿だ。


 対するタルタロスは攻撃の手を止め、聖堂から徐々にこちらに近づいてきている二人を見つめて笑っている。


「遅い登場だったな……おかげで、多くの絶望を集めることが出来た。この腕はその証。私は絶望を糧に力を増すのだ」


 タルタロスはわざわざ腕が増えた理由を言って後、背中から生えている四本の腕をわさわさと動かしている。多分、こんなに自由自在に操れるのだから、血管が切れることはないと言いたいのだろう。なんというかこの悪魔、意外と律儀な奴なのかもしれない。


「赤い目の女でないことは気になるが……だが、これで役者は揃った。今度こそ幕引きにしよう」


 タルタロスは一気に真顔になり、一気にその体から覇気を噴出させる。そして、後ろに大きく跳躍する――その高度はかなり高く、こちらからの攻撃は狙えないほど――その六つの腕のそれぞれと、ヤツの額とに、再び魔法陣が浮かび上がる。


「……我開く、七つの門、七つの力」


 しまった、アレは第七階層魔術。魔族は魔力弾を持たないため、魔力には限りがある。それ故、ヤツは最大の一撃で一網打尽できるよう、クラウが来るのを待っていたのだ。そして、第七階層が直撃したら、クラウの使える結界程度ではひとたまりもないはず。


 しかし、奴が一番好むのは雷の魔術――それなら、手段はある。私は、アランとクラウの前に出て、宝剣を構える。


「クラウ! 全員に補助魔法! 結界最大出力で私の前に!!」

「は、はい! できるだけ重ねます!」


 自分の目の前に幾重にも結界が張られるが、そんなのも相手は織り込み済みだろう。タルタロスは奥の建物の屋根に着地し、腕の六つの魔法陣が額のモノに重なり合い――。


「我招くは暗澹あんたんたる絶望、冥府の怨嗟……地獄の底でのた打ち回る雷よ、今ここに開放せん!」


 そして、一つの大きな魔法陣が出来上がる。こちらも、覚悟を決めなければならない――宝剣を強く握り、迎撃する準備をする。


「漆黒の冥界雷刃【アビススパーク・ボルテックス】!!」

「ヘカトグラム、最大で行くッ!!」


 互いの全力が、レヴァルの広場で衝突しあう。向こうの放った魔術は、幾重にも幾千本にも連なり、拡散する黒い稲妻の嵐。迎え撃つのは巨大な重力波。魔術と言えども、稲妻の魔術は光の性質を持つ。重力は、光すら曲げる性質がある――それは、お義父様から聞いていたことだ。


「ぬ、ぐ……!」


 曲げると言っても、無効化しているわけではない。稲妻の多くは捻じ曲がっていくが、それでも何本かはこちらに飛んでくる。それは、クラウの結界である程度耐えられている。


 そして苦痛の最大の要因は、敵の攻撃ではない。その重力波の強さにある。あまりにも強い力の余波が、こちらの身をも蝕んでいるのだ。


 骨が軋み、内臓が潰れそうになる痛みが走り――だが、ここで倒れるわけには行かない。後ろには、仲間が居るのだから。


「……おぉぉおおおおおお!!」


 力の限り叫んで、自分の足に喝を入れる。しかし、周りのけたたましい音のせいで、自分の声すら聞こえない――。


 そして、全てが過ぎ去ったあとには、様変わりした広場が残っていた。数千年の歴史を持つ聖堂は半壊し、周囲の建物は瓦礫と化している。恐らく、背後の街並みなぞ、城壁ごと消し飛んでいるに違いない。


「はぁ……はぁ……アラン、クラウ、生きている?」

「あ、あぁ……」

「なんとか……です……」


 後ろの二人に関しては、魔術によるダメージを負っているわけではないはず。重力の強さに、味方すらも巻き込まれてしまったのだ。


 一方で、タルタロスのほうは未だ健在のようで、瓦礫を退けて立っていた。それはそうだ、こちらは重力波を防御に回し、互いの技は中央でぶつかったのだから、相手を仕留めるには距離が空きすぎていた。


 再び、魔族の六つの手に陣が浮かぶ。流石に第七階層を連発できるだけの魔力は残っていないか、とはいえ第六階層でも、次の一撃が来たらかなり厳しい。


「……それが、宝剣ヘカトグラムの弱点。あまりに強い重力波を撃とうものなら、自滅どころか、味方すら巻き込むもろ刃の刃……」

「……それでは、神剣があれば、どうですか?」


 どこからともなく響く、第三者の声。その声の芯は、いつかの日に聞いたことがある気がする――雲の隙間から一筋の光が刺す。そして、自分の目の前に一本の剣が降り立ち、それは石畳の残骸に刺さった。


「……お義姉さま、アウローラを!!」


 声に背中を押されて、剣の柄を握る。地面から抜き出した剣を正段に構えると、その刃は天の光を受けてたのか、翡翠色に美しく輝いていた。

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