2-24:慟哭の青 下
「クラウディア、貴女には世を恨む権利がある。故郷を追われ、教会に無理やり入れられ、そして都合が悪くなれば見放され、追放され……教会に恨みがあるのではないですか? 女神に恨みがあるのではないですか? ……世界を怨んでいるのではないですか?」
「わ、私は……」
おかしい、こんな与太話に付き合う事なんてないのに、クラウは完全にジャンヌの雰囲気に飲み込まれているようだった。まさか、何か魔法で、クラウの精神を揺さぶっているのかも――そうなれば、これ以上ジャンヌを泳がせておくわけにもいかないか。
そうと決まれば、ひとまずあの饒舌を黙らせてやる。周囲への警戒は引き続き行い――袖から一本、ナイフを出し、そしてそれを祭壇に向けて投げる。距離にして十メートル、一番得意な距離、流石に殺してしまったら話が聞けないので、狙うは肩だ。
「……ふっ!」
女の肩の高さに流線が走る。それは、ジャンヌの右腕だった。そして、その指の間には、投げたナイフが挟みこまれている。流石は教会の者、武闘派――いや、多分ジャンヌやクラウが特殊なだけだと思いたい。
「……アランさん、乱暴ですね。私はクラウディアと話しているんですよ?」
「あんまりにも無視されてるもんでな、寂しかったんだ」
それだけ言い、クラウの肩を掴む。振り返るクラウの青い目は、不安に揺れているようだった。
「おい、クラウ。あんな奴のいう事なんか聞くことないぜ……仮に、アイツのいう事が本当だったとしよう。それでも、それは人間と神の問題だ。魔族と組むのはお門違いだろ? いや、百歩譲って、魔族と組むのもいいとしてもだな……」
言いながら、クラウの肩越しに人類の敵対者をにらみつけ、続ける。
「どんな理由があったって、罪もない人を殺していい理由になんか、ならないんだ」
「アラン君……」
こちらの言葉に、祭壇の乙女は表情を忌々し気なものに変貌させる。
「……アラン、アラン・スミス。なるほど、確かに邪魔な男……それと知らずに声を掛けて、クラウディアと引き合わせたことは、失敗でしたね……」
ジャンヌは挟んでいた短刀を払い、そのまま右手で指を鳴らす――直後、背後から急にもう一つの気配が発声し、それが急速にこちらに近づいてくる。
「しまっ……」
「さぁ、アルカード、最後の仕事よ」
急な接近に対処できず、そのまま蘇った吸血鬼に羽交い絞めにされ、クラウとの距離が離される。振り払おうとするが、恐ろしい力で押さえつけられており、振りほどくことが出来ない。
「アラン君……!」
クラウの手が伸びる前に、吸血鬼の吐息が首筋にあたり――そして、その牙が、こちらの首に齧り付いてきた。
「ぐぁ……!」
「アラン君ッ!」
見えるのは、悲鳴のような声で名を呼ぶ悲痛なクラウの顔。今回は、龍の時と違い、確かな痛みが首筋に走る。首から肩にかけて、妙に暖かい――かなり血が出ているのだろう、恐らく頸動脈をやられた。吸血鬼の体はそこで硬直したように動かなくなり――この牙が抜ければ、一気に血が噴き出し、そのまま失血死してしまうだろう。
「……さぁ、クラウディア、こちらへ」
再び、ジャンヌは妖しい笑みを浮かべながら、クラウに向かって手を差し伸べている。恐らく、言う事を聞かないなら俺を殺す、そういう流れだろう。
「……お、い……クラ……」
なんとかそれを止めようと、彼女の背中を止める。クラウは振り返り――少し目元に涙を貯め、しかし強い瞳で頷いた。
緑髪の少女が、祭壇を上がっていく。それを、力が抜けていくことでは止めることが出来ず――ただ、見守ることしかできない。
「良い子ね……さぁ、共に行きましょう。欺瞞たる神々を滅ぼし、真なる自由を掴むのです」
差し出されている手を、クラウは俯いたまま取ることはしない。
「……アラン君を、助けてくれますか」
「それはダメです。あの人は、偽りの神に心を侵されてますから。しかし、選ばせてあげますよ、クラウディア。アランさんを一思いにすぐ殺してあげるか、それとも苦しみ藻掻いて死んでもらうか……彼の安楽は、貴女の手のひらの上にあるのです」
なんてこった、生かす気なんか全くなかったらしい。単純に、このまま首を噛みちぎられて死ぬか、引き抜かれて徐々に血を失いながら死んでいくか、どちらかという感じだろうか。どちらにしても勘弁はしてほしいが――それより、あの女の顔がいけ好かない。自分を絶対者のように勘違いしている顔。クラウが惑わされて、道を誤るくらいなら――どうせもう助からないなら、せめて彼女だけでも助かってほしい。
そう思っている向こう側で、なおもジャンヌから伸ばされる手を、クラウは取るわけでもなく、固まっている。
「……もう一つ、聞いていいですか。ハイデルの地で、私たちは龍に襲われました……ジャンヌさん、あの時、私を亡き者にしようと思ってたのではないですか?」
言われてみれば、そうとも取れる――というより、クラウが先ほど沈んでいた理由の一つだったのだろう。あの依頼はジャンヌからのモノだったのだから、薬草を摂りに行っているタイミングで魔獣をけしかけてきたとするなら、それはクラウの命を狙っていたということに他ならない。
「……アレは、不幸な事故よ。コントロールを失い……暴走した龍が、近くのハイデル渓谷を襲ってしまった。私は単純に、貴女に依頼をこなすチャンスをあげたかっただけ」
ジャンヌの顔を見る限りでは、嘘ではなさそうだ。その参謀とやらの腹積もりは分からないが、少なくともジャンヌ自身は、あそこでクラウを罠にかけたわけではないらしい。
そして、クラウはやっと顔を上げてジャンヌの顔を見据えた。
「……私を、必要としてくれるのですか?」
「えぇ……貴女の恩寵は本物だもの。貴女の怨みは、絶望は、きっとティグリス様のお眼鏡に叶い、立派な魔族の祭司となるでしょう……ソフィア・オーウェルに与するのならば、どうしようかと思っていたけれど……上手く分断出来て、こうして話す機会が出来てよかった」
「そうですか……」
「分かってくれたかしら? さぁ……」
少し沈黙があり、クラウは再び俯き――そして、ジャンヌから差し出されている手を払った。乾いた音が空間に響き、こちらから見えるジャンヌは、虫を見つめるかのような細い目でクラウを見下している。
「……アナタは、私を必要としているわけじゃない。私を利用しようとしているだけだ!」
そう叫んで、クラウは一歩引いて、ベルトからトンファーを取り出し、両腕に構える。
「私、アラン君と約束したばかりなんです! 本当の名前を聞くって……それに、エルさんも、ソフィアちゃんも好きなんです! 皆、優しくて、暖かくて……やっとできた、私の居場所なんです!!」
「ふん……今の貴女に、何が出来るというの? 魔法も使えない、中途半端なクラウディア……貴女に、何も出来はしない!」
「アナタの言うように、今の私には、居場所を護れるだけの力はないけれど……ティアッ!!」
内に眠る、もう一つの魂の名を呼んだ瞬間、地下空間にも関わらず風が吹く。いや、正確には空気が変わった、というべきなのかもしれない。この場の支配者が変わった――それを象徴するように、祭壇を囲っていた炎が大きく揺れて、その色は燃え盛る赤からより高温の青に変わった。
「あぁ、そうだ……荒事は、ボクに任せればいい」
少女の声色が変わった直後、揺らめく蒼炎の奥で、クラウの体が深紅の光に包まる。赤と青、交わって紫に見えるその光は、二人の瞳の色の交配――クラウディア・アリギエーリの魂の色を象徴しているようだった。
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