2-23:慟哭の青 上

 松明の灯る通路を、なるべく足音を殺しながら進む。クラウも体術に長けているおかげか、気配を殺すのはなかなか上手い。通路が明るいので、すでにカンテラは閉まっており、二人で忍び足で進んでいるのが現状だった。


 しかし、段々と何者かの気配は大きくなってくる。すでに、いつ相手に勘づかれてもおかしくはない。それ故、これ以上は会話も控えるべきだろう。お互い黙って、ゆっくりと進んでいき――そして、通路の終着点にたどり着いた。


 終着点と言っても扉がある訳でなく、ここから先は広い空間につながっているらしい。奥の方には、こちらと同じような通路が見える――恐らく、何か所からか、この最奥部に通じているのだろう。


 広い空間に、敵が居る。それは分かり切っている。同時に、何か話し声が聞こえる――ひとまず、自分は身を屈めながら、大広間のほうを覗き見る。壁が視界の邪魔になって見えない部分があるが――視認できる範囲では、場に一体、跪きながら上を見ているようだ。ただ、自分の勘が、あの場には全部で四体いる、そう告げている。


 とりあえず、まだこちらには気付かれていないようだ。後ろを振り向きながら、クラウに手でジェスチャーして伝える。まずは静かに、と口元に指をあて、その後広間の方を指さす。クラウが頷き返したのを見て、再び屈んだまま広間を見る。クラウは、俺の頭上から、広間を覗き見る形だ。


 改めてみると、跪いている影には見覚えがある――アレは、昨晩襲撃してきた、ヴァンパイアロードだろう。


「……それで? 瀕死になりながら、やっとの思いで帰ってきたと?」


 奥から聞こえてくるのは、女性の声だった。それは聞き覚えのあるものであるが、同時に聞き慣れないもの――その調子の余りの暗さに、あたかも別人のようにも感じられた。


 一方、跪いている魔族のほうは、その体を震わせているようだった。


「……こちらの襲撃が予見されていたのだ。それさえなければ、今頃は……そうだ、あの男だ! 貴様が一番大したことのないと言っていたアイツ! アイツがソフィア・オーウェルを庇いさえしなければ……!」

「確かに、それは私の目測が誤っていたのかもしれません。しかし、人間相手など、赤子の手を捻るより容易いと豪語していたのも、また貴方なのでは?」

「……私をどうするつもりだ?」

「そうですね……その体では、どうせもう役に立ちませんから。せめて、その魔力、返していただきましょうか」

「くっ……ネストリウスゥッ!!」


 アルカードの体が跳ね上がり、視界から消える。直後、鈍い音が響き、吸血鬼の体が吹き飛んできて、壁にたたきつけられるのが見えた。


「……大丈夫ですよ、アルカード・シス。もう少し、貴方には役に立ってもらいますから」


 その声が聞こえた時には、肝心の吸血鬼はピクリとも動かなくなっている。そして、奥の方で、女性とは別のものが動く気配を感じる。


「おぉ、怖い怖い……それで、私はそろそろ退散してもいいですかね?」


 今度は、男性の声。どことなく飄々としていて、底が知れない感じ――本心が全く読めない調子の声だ。


「……感謝いたします、ゲンブ。貴方のおかげで、レヴァル陥落の目途が……そして、自分自身の使命に気付くことが出来ました」

「いえいえ、とんでもない。私は、私の利するように動いているだけ……それが、たまたま、アナタ方と一致しただけです……しかし、不安材料は排除しきれなかったようですが?」

「ソフィア・オーウェル……厄介な子供ね。しかし、問題ありません。細工は流々……この地下と、そして城塞の周囲で構えている不死者の軍勢が、レヴァルを一気に陥落させます」

「はい。吉報をお待ちしておりますよ。それでは、私はイブラヒム卿の所へ参ります……何やら、面白いことになっているようなのでね」

「えぇ、それでは……偽りの神々を滅ぼし、真実の世界を取り戻すために」

「偽りの神々を滅ぼし、真実の世界を取り戻すために……失礼しますよ」


 男の声が聞こえなくなるのと同時に、一つ気配が遠くなっていく。そして、気配がすっかり消えるのと同時に、広間のほうから足音が響いてくる。


「……さぁ、お待たせしましたね、クラウ……クラウディア・アリギエーリ。そこにいるのは分かっています。出てきて、少しお話をしましょう?」


 自分とクラウは一歩下がり、顔を見比べる。クラウは頷くと、こちらよりも先に大広間へと出て行った。そして、自分も広間へと出る――改めてみると、やはりここはこの地下迷宮の中央部、上には無数の通路が、何階層にも渡って繋がっているのが見える。


 そして、炎に取り囲まれた災禍の中心に、祭壇が一つ。その階段の先には、見知った顔――ジャンヌ・ロペタの姿があった。


「……ジャンヌさん。本当に、魔族に与していたんですね」


 祭壇を見上げる少女の肩が震えているのが見える。対して、祭壇の主は、妖しい目で下を見ている。


「……先ほど、ネストリウスと言われていましたね? まさか、ネストリウスの魂は滅びておらず、ジャンヌさんを操って……」

「いいえ、それは違うわ、クラウディア。魔将軍ネストリウス……ロレンツォ・ネストリウスは我が祖父。私は、祖父の遺志を継いだだけ……いいえ、そうでなくとも、自分の意志でもこちらに着いたでしょう」


 ソフィアの憶測は正しかった。ジャンヌは操られているわけではない――自分の意志で魔族に与している。

 

「さて、結論から述べます。クラウディア……私と共に来ませんか?」

「だ、誰が魔族なんかと……!」

「ふぅ……それでは、少し話を聞いてください。貴女の居るその場所は、私たちのいるこの世界は、大きく歪んで、誤っていると……それをお伝えします」


 クラウの背中は、少し震えて委縮しているようだった。この雰囲気に吞まれているからなのか、世話になった人が本当に敵対者であるということが分かったからなのか――恐らく両方だろう。


 こちらとしても、チャンスを伺いたい。そして、もちろん自分も――同じ人間相手なのだから、少し事情は聞いてみたい。ひとまず、いつでも動けるように警戒はしつつ、ジャンヌが話すのを待つことにする。


「……良い子ね。この世界は、七柱の創造神による箱庭……彼らは私たちの思考を覗き見て、進化を抑制し、家畜のように人類を管理しているのです」


 なんだか突然、女は真顔で陰謀論みたいなことを言い出した。だが、言いえて妙でもある。思考を覗き見られているのには覚えがあるし、一部の技術は発達しているのに世界全体は中世風のまま――そう思えば、進化を抑制されているともとれるだろう。


「我が祖父ネストリウスは、その事実に気付きました。故に、教会を追われ……そして、七柱の創造神と対抗する手段を模索したのです。それが、邪神ティグリスの崇拝、そして魔族と手を組むことでした」


 そう言われてみて、祭壇の奥を見てみる。何か、巨大な像がそこには祀られている。それは、人間の顔に、虎のような文様の入った、厳しい顔をした像で――本当の姿は分からないが、あれがジャンヌや魔族の奉る邪神ティグリスか。


「……魔族は、人類の敵対者でありますが、同時に七柱の創造神の敵対者でもあります。私たち地上の生物たちが真の意味で自由になるためには、まず七柱の創造神を滅ぼす必要があるのです」


 段々、個人的には相手の話がどうでもよくなってきていた。しかし、気配が気になる――あと一体、どこかに潜んでいるはずだ。それも強力な奴が。そいつの尻尾を掴まずに動くのは危険か――周囲をどれだけ見渡しても、赤く揺らめく炎の真ん中で、変わらずジャンヌが微笑んでいるだけだった。そして祭壇の乙女は、下に向けて手を差し伸べた。

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