1-9:執務室にて 上

「……これで良し、と」


 巨大な窓ガラスの前、指令室の大きな木製の厳つい机で、ソフィア・オーウェル准将は先ほどの書面に判子を押した。そしてその紙を持って立ち上がり、応接用のソファー、こちらの座っている目の前にある暖炉を遮って座り、コーヒーカップの横に書類を置いた。


「昨日からの手荒い扱い、すいませんでした、アランさん。間者の容疑は晴れました。こちら書面です……えと……」


 そう言えば、レムのやつがこの世界の大半のやつは、簡単な文字しか読めないと言っていた。なので、ソフィアは俺が文字を読めるか判断に困ったのだろう。文字読めませんよね、などと言うのも失礼だろうし、文字読めますか、と質問するのもコンプレックスに感じる奴がいるかもしれない。それで言葉に詰まったのと推察された。


 一応、置かれた書面に目を通す。自分の知っている言葉にすれば一番上に潔白証明と訳せる文字――表音文字だろう、前世の文字に形も似ている――その下には延々と難しい言葉が羅列していた。要は読もうと思えば読めるし、文字面は理解できるが、内容は理解できないし、読みたくもないやつだった。


「対応ありがとう……ございます、ソフィア准将」

「ふふ、敬語は結構ですよ。普通に話してほしいです」

「とはいえ、ここで一番偉い人に、失礼があっちゃ……」


 准将というのなら、他の者たちのこの子に対する態度にも納得出来るものがある。とはいえ、兵たちの態度は畏敬でもない、形式的なものでもない――なんとなく分かる、この子に対して、尊敬半分、親愛半分、といったところだろうか。


 そう思っていると、小さな将軍は寂しそうに笑った。


「失礼なんてないですよ、私なんて若輩者なので……ささ、遠慮なさらず。食事と同じくらいいらないものですよ、遠慮」


 ソフィアは空いている皿を指さした。指令室に通される前に俺の腹の虫が鳴り、気遣いで簡易な食事を出してもらっていた。まぁ、この先長い付き合いになるわけでもあるまい、ひとまず彼女が遠慮するなというのなら、普通通りにさせてもらうことにする。


「えぇっと、ご馳走様……それで、書面の内容は確認しなくていいや」

「そうですか? 一応、内容を私からお伝えすことも可能ですが」

「難しいことは覚えられないからな。すぐ忘れられてもいいなら話してくれ」

「まぁ、契約書ってわけでもありませんしね……じゃあ、これは置いておきましょうか」


 ソフィアは紙の代わりにカップを手に取って、それ大体ミルクだろうという液体に口をつけた。


「なぁ、さっきの検査、いったい何だったんだ?」

「はふぅ……えと、さっきの検査ですね。端的に言えば、二つの検査をしてました。一つが、先ほど言った通り、高等な魔族が人に化けている可能性を懸念しての調査です。もう一つが、人間に魔族が洗脳の魔術をかけている可能性を考えて、ですね。普通なら、どちらにしても簡単な調査で分かるのですが……」


 そこで元コーヒーを口に運び、少女は一息を入れる。


「……アランさんの魔力に、ほとんど勘なのですが、私から見てちょっと違和感があったんです。個体上の誤差と言い切れる範囲なのですが、あまり感じたことが無い魔力だったというか……」


 魔力、という言葉に体が自身の体がぴくっと反応する。もちろん、良い意味で。


「なぁ、記憶がなくてそういうことに疎いんだが、魔力ってのは俺にもあるのか?」

「はい。厳密にいえば、アランさんだけでなく、この星に生きとし生ける者の大半は持っています。人間は勿論、魔族も持っていますね……七柱の創造神【マグニフィセントワンズ】の贈り物です」


 なるほど、別に特別なものではなかったらしい。てっきり、魔力の多寡が魔法の才能に関係しているとか、そんな感じかと思ったのだが。しかし口ぶり的には違和感があっただけで、特別多いというわけでもなさそうだ。というか、魔力が多ければレムが「奮発しました!」とか胸を張って報告していただろう。


 思考を巡らせている傍で、ソフィアが話を続ける。


「それで、その違和感が、私が認識していない変化や洗脳の魔術によるものだと困るので、高位の解呪の魔法をアランさんに掛けました。私の解呪より高度な魔術が施されていても、何かしらの痛みや変化はあるはずだと。しかし、何もなかったので……」

「容疑は晴れた、と」

「はい、そうなります」


 そこで、指令室のドアが叩かれる。ソフィアに促されて入ってきた白いコートの若い者が――それでもソフィアよりは余程年上だが――准将に一枚の書類を手渡した。そして、今日はお休みください、という男に対して、大丈夫ですよ、と少女は返し、コートの男はしぶしぶといった調子で部屋を出て行った。


「……エルさんは、アナタはどこかの船の航海士か何かと推察しておられました。それで、直近の海難事故について、調査してもらってたんです……」


 話しながら、ソフィアは書類に目を通している。そして読み終わったのか、再び紙とコップを入れ替えた。


「はふぅ……どうやら、その可能性は高そう、と言えるみたいです。輸送船セントセレス号という船があるのですが、本来なら三日前にレヴァル港に到着している予定でした。捜索も行われているのですが、いまだ行方不明のようです。東海は比較的穏やかな海ですし、嵐があったとの記録もありません。それでもどこかで座礁したのか、難破したのか……その可能性もあります」

「つまり、俺はそこの船員だったってことか?」

「そうですね、あくまでも可能性ですけれど。船に何かしら事故があって、アランさんは波に流されてきた……その本当は船員名簿まで分かれば、アランさんがそこに乗っていたのか分かるのですが、それはレムリア側でないと確認できなさそうですね」


 エルに引き続き、ソフィアにも、この世界の船員だったのではと推察されてしまった。もちろん、異世界から転生してきましたと言うよりは、余程説得力があるのは変わらず間違いないのだが。


 それに、もしかするとレムが気を使って、自分の身元がこの世界にそれっぽくあるようにしてくれたのかもしれない。航海士の格好と記憶喪失のおかげで、怪しい者ではあるものの即座に排除しなければならないほど危険な者、という判断にもなっていないのだから。


「はは、全然、船の仕事なんて出来る気もしないんだがなぁ……」


 ひとまず、話を合わせてみると、ソフィアはじ、とこちらを見つめていた。整った顔立ちに碧の吸い込まれるような瞳、どことなく人形のような美しさがある。


「……そうですね。船乗りの方は、もう少し日に焼けている印象です。もしかすると、まだ新米というか、船に乗るもの初めてだったのかもしれませんね。アランさん、おそらく二十歳前後くらいだと思うので」


 前世ではあまり外に出ていなかったせいで日に焼けていないのか。もし、船の動力を風に任せている世界なら、船乗りは常に日に焼かれているから、その黒さも半端ではないだろう。そう考えれば、自分の肌があまり焼けていないのは、転生したからとも考えられる。


 しかし、年齢か、ここに来るまであまり意識していなかったが、本当は何歳だったのだろう? それに、未だに自分の顔も確認していない――丁度、指令室に鏡があり、そこに反射する自分の顔を見てみる。高校生と言えばそれでも通じるし、新社会人と言えばそれでも通じそうな顔立ちで、確かに二十歳前後とソフィアが推察するのも納得だった。


「なるほど、それじゃあ船になじみを感じないのも、仕方ないのかもな」

「はい、そうですね……それで、これからのことなんですが……」


 ソフィアはソファーから立ち上がり、再び執務机の方へと向かった。椅子には腰かけず、どうやら引き出しを開けて何かを探しているらしい、えーと、という声と紙が擦れる音が聞こえてくる。そして、ありました! という声が響き、再び少女が目の前に座った。

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