09、女船長へ歌う子守唄

「この船は魔導船なんだよ」


 女船長は胸を張った。ゆったりとした麻の長袖シャツの上に裾の長いベストを羽織っているせいで分かりにくかった胸のふくらみが、見て取れた気がした。


「ジュキちゃんが楽しみにしてたオール漕ぎはないってこと?」


 椅子に座ったままのユリアが船長を見上げる。


「楽しみになんかしてねーよ」


「人力でオールを漕ぐ必要はないね。無風でも向かい風でも、蒸気で満たされたボイラーから勢いよく水が押し出されることで、船は推進力を得るのさ」


 女船長は自慢げに船の仕組みを解説してくれたが、蒸気だのボイラーだの意味が分からない。自分から質問したくせにユリアが居眠りを始めたので、仕方なく俺が尋ねた。


「魔導船って言うわりに魔法は関係ないのか?」


「蒸気を作るには水を熱する必要があるだろう?」


 お湯を沸かすと湯気が立ちのぼる仕組みだよな? うん、それなら俺にも理解できる。


「水を蒸気に変えるための燃料が、火の山で採掘できる特別な魔石なのさ。常に燃え続ける火の魔鉱石で、レジェンダリア帝国に狙われているんじゃないかと鳥人族は恐れている」


「へえ」


 俺はつい他人事のような声を出した。火の魔鉱石なんて帝国では聞いたこともない。だが貴重なものを持っているから奪われるのを恐れて、先手必勝とばかりに帝国へ攻め入る計画なんか立てているのか。


 女船長はふと表情をゆるめると肩をすくめた。


「ま、半永久的に燃え続けるといっても、定期的に魔力を流さなければ火は消えてしまうのさ。君と同郷だっていうイーヴォとニコ、彼らは魔力量が多いから助かっているよ」


 なんと! あいつらが人の役に立つ日が来るとは!


「そいつぁよかった」


 俺はしみじみとうなずいた。魔法は下手くそでもイーヴォとニコは竜人族のはしくれだ。魔力量は人間の三倍くらいある。


 女船長は扉を開けて廊下に出ると、俺たちの部屋を用意するようほかの船員に頼んでくれた。


「分かりました。ペセジュ様――いえ、キャプテン。物置しかあいている船室がありませんので、すぐに片付けますね」


 女性の声が答える。一晩だけなのに面倒をかけちまって悪いな。


 だが明日には水の大陸へ着けるのなら、港町から帝都の師匠にハーピィ便を出して、レモと姉ちゃんたちとはぐれたことを伝えられる。


 部屋に戻ってきた女船長は一仕事終えたと言わんばかりに伸びをして、


「悪いが私は少し休ませてもらう。昨夜は寝ていないんでな」


 と俺たちに部屋から出るよううながした。


 礼を言って退室しようとした俺の服を、いつの間にか起きていたユリアが引っ張った。


「ペーちゃんに子守唄、歌ってあげたら?」


「私の名はペセジュだ」


 即答したのは女船長――ペセジュさんだった。


「ユリアだよー。よろしくね、ペーちゃん」


「だからっ」


 ペセジュ船長が怒り出す前に、俺はすかさず自己紹介をした。


「俺――自分はジュキエーレ・アルジェントです」


「ジュ――すまん。レジェンダリア帝国の名前は難しくて」


 ペセジュ船長は気まずそうに頬をかいた。


「ジュキくんだよー」


 ユリアがまた気の抜けた声を出す。それからハッとして、


「今はジュキちゃんだった」


 と言い直した。ペセジュ船長は首をかしげた。


「イーヴォたちはジュリアちゃんと呼んでいたような?」


 なんでそっちは覚えてるんだよ! 帝国の名前は覚えられないんじゃなかったのか!?


「どっちでもいいの」


 ユリアが勝手に許可を出しやがった。よくねえ。俺の名はジュキエーレだ!


「それではジュリアちゃんと呼ばせてもらおう。彼女のあどけない雰囲気によく合っているからな」


 くそーっ、俺をジュリアちゃん呼びする人間が増えてしまった! 帝都を出れば男らしい普段の俺に戻れると思ってたのに!!


 そもそも海賊船ではなく難民船だったなら女装する必要なかったじゃん! だが今さら変装を明かしては、余計にペセジュ船長の疑いを深めてしまう。俺は涙を呑んで、ツインテール姿を貫くことにした。


「イーヴォたちによればジュリアちゃんは帝都で人気の歌姫だとか?」


「そうなのー」


 またもやユリアが俺より先に答える。難しい話をしているときは空気だったくせに!


「ジュリアちゃんのお歌はとっても綺麗で、どこでもスーッと眠れるんだよ!」


 そんな触れ込みは聞いたことがない。まさかユリアのやつ、オペラ劇場で寝てたんじゃ!?


 ペセジュ船長はベッドに腰かけて、


「それなら子守唄にぴったりだな」


 と声をはずませる。


 彼女に歌声魅了シンギングチャームをかけるチャンスを作ってくれたユリアには一応、感謝したい。


「聴かせてくれるのか?」


 期待に目を輝かせる彼女に、


「もちろんです。助けてもらったお礼に一曲、歌わせていただきます」


 俺がうやうやしく礼をすると、彼女はベッドの向かいに置いてある書斎机を指さした。


「もし必要だったらあの椅子をベッドの近くに移動するが?」


「あ、それくらい自分が」


 答えて古びた机に近寄ると、机上に広げられた海図を押さえるように地球儀が載っていた。


 木製の椅子を運ぶ俺に、


「すまぬな」


 と言いながらペセジュ船長が、格子窓にかかった古いカーテンをしめた。水面を跳ね返る陽射しは黄色い布にさえぎられ、室内には布越しのやわらかい光が入ってくる。


「どうぞ横になってください」


 俺が手のひらを向けると、ベッドサイドに座ったままの彼女は戸惑った。


「失礼ではないか?」


「構いませんよ。よく眠れるように子守唄を歌うんですから」


「それでは遠慮なく」


 警戒されるかと思いきや、彼女はすんなりとベッドに入ってくれた。火大陸を守ることに関しては神経をとがらせているが、俺個人に寝首をかかれるとか物を盗まれるなどとは疑ってないんだな。


 ふとテーブルのほうを振り返ると、すでにユリアが突っ伏して眠っている。俺の歌を聴くとどこでもスーッと眠れるとか言っていたが、あんたはいつでもどこでもずーっと寝てるだろうが。


 俺は気を取り直して、枕元に置いた椅子に腰かける。竪琴の音は小さいとはいえ楽器は響くから、安眠を優先して今日は無伴奏で行こう。


 ベッドの上を見上げると、低い天井から吊るされたランプが音もなく揺れていた。


 どこかなつかしい木材の匂いを吸い込んで、目を閉じた彼女に寄り添うように、俺は小声で歌い始めた。


「お眠りなさい、いとおしい子よ。

 夜は大きな黒い布、あなたをやさしく包み込む」


 ファルセットを混ぜてささやくように語りかけると、透き通った歌声はカーテン越しに差し込む金色の光と綾を為し、木でできた小さな部屋を満たしてゆく。水音も船の駆動音も次第に遠のき、時の流れがゆるやかになったようだ。


 目を閉じれば母さんのあたたかい手のひらが、優しく俺の肩を撫でる感触がよみがえる。母さんの甘い歌声に重ねるように、俺は続けて二番を歌った。


「お休みなさい、大切な子よ。

 朝にはまたの光が、あなたをやさしく包み込む」


 最後のフレーズが木のぬくもりにとけてゆく。


 大自然のゆりかごが船を優しくゆすっていた。


 ペセジュ船長は静かな寝息を立てている。


 シーツに半分隠れた整った横顔をそっと盗み見ると、濃いまつ毛がかすかに震え、ひとしずくの涙がなめらかな頬をつたった。


 ふっくらとした唇が動き、かすれた声を紡いだ。


「母さま、私と一緒に逃げて」


 俺は反射的に、壁に貼られた肖像画を見た。


 そういえば両親の話は聞いてないな。婚約者が犠牲になり、兄が捕虜になったとは言っていたが、この船に彼女の両親が乗っている様子はない。


 彼女のつややかな赤い髪にそっと手のひらを置く。しばらくそうしていると、悲哀に沈んでいた彼女の表情はゆるんだ。


「おやすみ、ペセジュさん」


 俺は音を立てないように船長室を後にした。丸テーブルで爆睡しているユリアは放置して。




─ * ─




次回、『ペセジュ船長の素性が判明』。なぜ彼女が船長を務めているのか?

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