07、海賊船の船長室

 女性がそっと船長室の扉を開けると、思ったよりもこじんまりとした空間にベッドやテーブル、椅子などが詰め込まれていた。


 窓際のベッドに腰掛けていた女船長は、読んでいた書物を閉じると顔を上げた。


「来たか。座ってくれ」


 彼女が目で示したのは、扉のすぐうしろに置かれた丸テーブルだった。テーブルを囲んで三つ、精巧な彫刻が施された椅子が用意されている。そのうちひとつの背があたってしまうため扉を全開できない。


 俺とユリアは半分だけ開いた扉の間から部屋にすべりこみ、きょろきょろと室内を見回しながら腰を下ろした。


 使い込まれた跡が幾筋も刻まれたテーブルに不揃いな素焼きのカップが並べられ、植物の匂いがする湯気を立ち上らせていた。


 女船長はベッドわきのサイドテーブルに書物を乗せると立ち上がった。乱雑に積みあがった本と、枕元に立てかけられた湾曲剣が放つ威圧感は、不釣り合いに見えた。


「ペセジュ様」


 まだ扉を閉めずに廊下からのぞいていた女性が、声をかけた。


「お疲れなのではありませんか? 昨夜だって嵐から船を守るために奮闘なさって、寝ていないのでしょう? 遭難者への聞き取りなど、私たちにもできますのに」


 だが女船長は困ったようにほほ笑み、首を振った。


「その呼び方はもう――」


「そうでしたね。キャプテン」


 泣き出しそうな声で答える女性からにじみ出る訳あり感に、俺は何があったのかと尋ねたくなるのを必死で抑える。


「この者たちへは私から訊かねばならぬ重要な話がある。悪いが外してくれ」


 穏やかだが毅然とした物言いに女性は、


「分かりました」


 と答えて扉を閉めた。


 部屋に沈黙が落ちると、船が波を割って進む水音だけが響く。


 音につられて、格子窓の外に果てしなく広がる海に目をやった俺は、窓の横に家族の肖像画が貼ってあるのを見つけた。板壁にかけられた大きな海図ばかりが目立って気付かなかったが、素朴な筆致で両親と兄妹が描かれているようだ。帝都の皇宮に飾られた、お抱え絵師たちによる美麗な肖像画を見慣れたせいで、お世辞にもうまいとは言えないのに、単純な線と色彩がむしろあたたかみを感じさせる。


「単刀直入に訊こう」


 口火を切ったのは女船長だった。


「お前たちは火大陸を侵略しに来た先鋒か?」


「へ?」


 俺は間の抜けた声を出した。なぜそんな誤解を受けるのか全く意味が分からない。


「えっと、なんで?」


 俺は心に浮かんだ疑問をそのまま口にした。


 隣に座るユリアは会話に参加する気はないらしく、薬草茶のような飲み物の匂いを興味深そうにかいでいる。もし毒でも仕込んであったらすぐに気付くだろう。


 女船長は燃え上がるほむらのごとき橙色の瞳で俺を射た。


「火の精霊王を救うという口実で上陸し、我らの土地を奪うつもりかな?」


「えっ、そんなことしないよ! 俺べつに土地なんて欲しくないし」


「お前が欲していなくとも、お前の雇い主が求めているのでは?」


 雇い主っていうとアントン帝かな? 俺の脳裏に、午後の日差しが降り注ぐ庭で、ドラゴネッサばーちゃんとチェスを楽しむ安穏あんのん帝の笑顔がよみがえった。


「あの、アントン帝は―― えっと、レジェンダリア帝国の皇帝は、ほかの大陸を攻めるなんて、そんな面倒くさいこと考える人じゃないと思います」


 俺の声は弱々しかった。だってこのねーちゃん、美人だけどにらんできて怖いんだもん!


「たとえ皇帝にその気がなくても軍部が独走することもある」


 女船長はあっさりと俺の言葉をくつがえした。軍部っていうと帝国騎士団? 彼らだってそんな物騒なことしないだろ。


「バルバロ騎士団長、そんな悪い人には思えないし――」


 親しい人の悪口を言われたみたいで、あまりいい気分じゃない。頬をふくらませる俺に、


「臣民に対してよき人物でも、他国を侵略することは十分にあり得る」


 俺はまたあっさり論破された。


 もしレモがいてくれたら口八丁の弁舌で女船長を丸め込み、窮地に陥ることなんてあり得なかっただろう。ああレモ、どこにいるんだよ…… 泣き出しそうになるのを必死でこらえていると、再び女船長の冷たい声が降ってきた。


「レジェンダリア帝国が水の大陸のほとんどを支配しているのは、他国を侵略して国土を広げたからだろう?」


 過去については多分その通りだが、百年以上前の話だ。今の帝国はこれ以上、領土を広げないはずだと反論したいが、確証もないし言い返せない。


 どうして女船長さんはこんなに俺たちを疑うんだろう?


 そういえば出発準備をしているときレモが宰相に、火大陸への上陸許可証や通行手形のようなものは発行されないのかと尋ねていた。宰相の答えは、


『火大陸は長い間、各部族に分かれて争っていて統一国家が樹立されたことはないから、そういった証書を発行する機関もチェックする体制もない』


 というものだった。日常的に紛争が起こっている地域だから、考え方が厳しいのかな? 彼女の目には、俺のほうが平和ボケして見えるんだろうな……


「では決まりだな」


 湯気が立つハーブティーには一切手を付けずに、女船長は椅子から立ち上がった。


「待ってください!」


 追い出される前に俺は声を上げた。船に乗ったのはレモたちを探すため。ここで敵認定されて海へ放り出されてはたまらない。


「俺たちの乗っていた船は昨夜の嵐で雷の直撃を受けて沈んでしまったんです! それで仲間とはぐれてしまって―― 俺の婚約者と姉はきっと今も海の上を漂っているんだ」


 一気にまくし立てると、女船長のまなざしに同情の色が浮かんだ。おそらく彼女は悪い人じゃない。だから船員たちに慕われているし、俺たちを救助してくれた。


 彼女はもう一度、木製の椅子に腰を下ろすと沈痛な面持ちで告げた。


「言いにくいことだが―― 落雷で船が大破して乗組員が全員、海へ放り出されたなら、もう助かる見込みはないんじゃないか」


「でもでもっ! 俺の婚約者は魔力量が多くて普通の人族の三倍って言われてるし、風魔法の使い手だし、聖魔法の腕前は帝国一かってくらいすごいし」


 俺の口からほとばしる言葉は祈りのように連綿と続いて止められない。


「それに俺の姉ちゃんも竜人族だし、セイレーン族の母ちゃんの血も引いてるから、簡単におぼれたりしないもん!」


 気付けば俺はテーブルに両手をついて立ち上がっていた。


 だが女船長はスッと目を細め、冷ややかな眼光を俺に向けた。


「ほう、強力な布陣で火大陸に攻め込む準備を整えていたのだな」


 しまったー! 俺たち一行、まるっと疑われてたんだー!


 やっぱり俺、本当に交渉下手くそだ。レモを救えたかもしれないチャンスをふいにした自分が情けない。悔しくて涙が出てきた。


「うぅっ、俺はもう一度みんなと会いたいだけなのに……」


「よしよし」


 隣からユリアの手が伸びてきて、俺のツインテールを撫でる。


 女船長は盛大な溜め息をついた。


年端としはもいかない少女を泣かせるつもりじゃなかったんだがな」




─ * ─




乙女の涙は女船長の心を動かすのか!?

ジュキちゃん、無意識のうちに泣き落とし作戦だっ

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