18、人族じゃないってバレた!?

「ひゃ――」


 小さくあえいで、俺は手で耳を隠そうとした。その手をクリスティーナ様がつかむ。


「さっき手をつないだとき確信したわ。あなたは遠い土地から来たのだろうなって」


 人族じゃないってバレたら、どうなるんだ!? いや、男だと知られなければ大丈夫なのか!?


「そんなおびえた顔をしないで。私はただ、あなたのことをもっと知りたいだけなの」


 クリスティーナ様が指の背で、俺の頬にそっと触れた。


「ふふ、やわらかい」


 ないしょ話をするかのように、秘密めいたささやきが鼓膜をくすぐる。


「お化粧しているのね。肌の色を隠すため?」


 あーこれはもうバレバレですなぁ。竜人族の耳を見られたらアウトだよな、そりゃ。しかも耳までファンデーション塗ってなかったと思うし。


「申し訳ありません」


 俺は震える声で謝った。


「申し訳ないのではなくて、勿体ないのよ」


 彼女は寂しそうにほほ笑んだ。


「一人一人みんな違うから美しいの。まるで楽器のようじゃない?」


 お、また音楽の話に脱線したぞ。


「ひとつの楽器しかなかったら、協奏曲コンチェルトは味気ないものになってしまうわ。異なる楽器同士が生み出すハーモニーこそがいろどりなのよ」


 それはそうですね。うなずくだけで精一杯の俺を気にせず、


「リコーダーの牧歌的な旋律、オーボエの涙を誘う音色、フルートが奏でる小鳥のさえずり――どれが一番か選ぶことなんて不可能だわ」


 なんでこんなに木管楽器しなんだろう、と思っていると今度は、


「このチェンバロはね、一番最近作らせた子で、帝都の職人さんに依頼したの」


 愛おしそうに木の鍵盤をなでる。


「私は名楽器職人の噂を聞くたびに楽器制作をお願いするんだけど、どの子もみんな音色が違うのよ。弾き心地も異なるし、見た目だけじゃなく全て違うわ」


「この楽器は白くて綺麗ですよね」


 俺は思ったままを言った。白地に色とりどりの花々が描かれた可憐なチェンバロは、その若々しい音色にぴったりだ。


「でしょう?」


 彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、俺を見た。


「次来るときは、素顔を見せてちょうだい」


「――はい」


 俺は目を伏せた。今ここで化粧を落とせとか言わないあたり、やっぱり育ちの良い人らしい気遣いを感じる。


「どうして美しいものをわざわざ隠しているのか、訊いても良いかしら?」


「差別を受けるのが怖くて」


 咄嗟に口をついて出た答えに、俺自身が驚いた。人族の変装をしたのは、第一皇子が面倒な依頼を出したから。変装して旅をしていた道中、アーロン支配人に出会ったため、本来の姿を見せられずにズルズルとここまで来てしまったのだ。


「私は、天使の歌声を持つあなたを差別したりしないわ」


 皇后様は、はっきりと言った。


「あなたの歌声を聴いたとき、私は理解したの。あなたは美しいって」


 え? 声が美しいんじゃなくて、俺が美しいの? この人、音楽至上主義なのかな?


 皇后様は俺の肩を抱き、元気づけるように優しくたたいた。


「難しい顔しないで」


 その場の空気を一瞬で変えるような、ほがらかな声。


「楽しみましょ!」


 そのどことなく享楽的なほほ笑みは、息子の第二皇子エドモン殿下を彷彿ほうふつとさせる。


「ねえねえ、あなたはどの音律が一番好き?」


「へ? 音律?」


「そう。調律法のこと」


 うわ~、内容が専門的すぎてよく分からねえ!


「ごめんなさい。俺、知識なくて――えっと、私は竪琴を弾く前に調律するのですが、チェンバロみたいに弦が多くはないので……」


「うんうん、そうよね。知らないことを知らないと言える素直なところ、素敵よ。大丈夫、私が教えてあげるから」


 それから皇后様の音楽オタクトークらしき講義が始まった。


「まず純正律。自然倍音のみで構成された音階は移調ができないし、複雑な和音はすべて不協和音に聞こえるから、最近の曲を演奏するには適さないわ」


 なんで俺は皇后様から音楽理論の授業を受けているんだろう? でもこれで好意を持ってもらえたらラッキーだよな。いや、それよりオーディションの結果はどうなったんだろう?


「この一オクターブを純正律で調律してみるわね」


 調律のために、チェンバロの上に置かれた譜面台を取り外そうとすると、侍女が素早く近付いてきて手を貸してくれる。


 弦を一本ずつ丁寧に調整するのをぼーっと眺めながら、この人は侍女に囲まれていても、彼女たちに専門的な話をしては適当に相づちを打たれる毎日なのかもしれないと、想像する。


「できたわ! 聞いて」


 いくつか和音を弾きながら、


「主和音は完璧に調和した音色だけど、七度の和音は狂って聞こえるでしょう?」


「本当だ、気持ち悪い」


 俺の驚いた顔に満足したらしい。


「次は調律法を変えるわよ!」


 楽しそうな皇后様に付き合っているうちに、すっかり日が暮れてきた。これ、俺はいつ帰してもらえるんだろう? 大体この人が俺を呼んだ目的は何だったんだろう?


 ――こうやって趣味の話を色々したかっただけか。


 皇后という立場で帝国内最高の音楽家を集めることはたやすいだろうが、趣味の話を延々と聞かせられる友だちは見つけにくいのか……


「クリスティーナ様、お夕食の用意が整ったそうです」


 扉の脇にいた侍女がやってきて、小声で告げた。


「今夜も部屋で取るわ」


「運ばせておきます」


「あ、それからこの子の分も」


 えっ――


「かしこまりました」


 侍女は短く答えると扉の方へ戻り、廊下にいるらしい使用人に皇后様の希望を伝えているようだ。


「食べていくでしょう?」


 今さら俺に確認する皇后様。断れないじゃんか。


「では、ごちそうになります」


 はぁ。レモ、心配してるんじゃないかな? 愛する彼女の不安げな表情を想像すると、胸がぎゅっと締め付けられる。目を伏せた俺の手を皇后様がにぎった。


「移動するわよ」


「あっ、はい……」


 手を引かれて廊下に出るとき振り返ると、二人の侍女が優雅な仕草で楽譜を本棚に戻したり、譜面台を片付けたりと働いていた。彼女たちにも一応、仕事はあるらしい。


 扉近くにいる侍女に付き従われて入った部屋では、テーブルクロスの上に食器の準備が整っていた。


 このときの俺はまだ、食事のマナーを間違えたらどうしようなんて考えていた。まさか食後、性別がバレる事態になるなんて、想像もしていなかったのだ。




─ * ─




次回は飯テロ回! 『浴室をのぞかれるのはヒロインの宿命』お楽しみに!

(あれ? サブタイ、飯と関係なくね?)

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