55、婚約破棄されたい公爵令嬢
「夜分、お邪魔しますわ」
レモは堂々と窓を開けて、王太子の寝室にすべりこんだ。俺もそのあとに続く。夜は白竜由来の肌の色も牙もよく見えないだろうから、
「なっ、曲者! 護衛は何をして――」
ベッドの上で腕の中に女性を抱いたサマにならない恰好のまま、王太子と思われる男が当然の反応を示した。
「わたくし怪しいものではございません。アルバ公爵家のレモネッラですわ、殿下」
「あ、ああ」
相手が婚約者だったことが多少は気まずいのか、あいまいな返事をする王太子。女の方は彼の腕からするりと抜け出し、ベッド脇のランプに魔石を置いて点灯した。やわらかな明かりが、王太子のダークブロンドの髪と深い蒼色の瞳を照らしだす。
「レモネッラ嬢か。そのピンク髪には確かに見覚えがあるぞ。いやだから余の寝室に何しに参った!?」
だよな。深夜に窓から訪れる公爵令嬢なんて聞いたことねぇや。
そのとき部屋の外から、野太い声が響いた。
「殿下、このような時間に申し訳ございません! 恐ろしいことが起こりました――」
ネグリジェ姿の女がベッドからはいだし、立派なドアを開けた。廊下に並んでいるのは――服装から察するに衛兵たちだろう。こんな時間に、王太子の部屋に女性がいることにはなんの反応も示さず、起立したまま報告した。
「竜人族と見られる男二人が聖堂に攻撃魔法を打ち込んでいます!」
俺の王城結界破りより先に、イーヴォたちの聖堂攻撃の報告が入ったようだ。
「な、なんだと!?」
王太子は掛け布団をはね飛ばした。
「聖堂にいらっしゃる母上は!?」
「ただ今確認中です。衛兵たちが消火班と救助班に分かれ、聖堂に近づこうとしている最中でして――」
答えながらちらちらと俺たちを見ている。そりゃ気になるよな。
「父上はなんと!?」
だが王太子の質問に答えないわけにはいかない。
「国王陛下のご寝所にはいつも通り鍵がかかっており、お声をかけてもお目覚めになりません」
「そうか。父は政務で疲れて不眠症だから、いつも魔法医に睡眠魔法をかけてもらっている。朝にならないと目覚めないんだ」
それで王太子に判断を仰ぎに来たのか。
ふと窓の外に視線を向けた衛兵の一人が、愕然としてつぶやいた。
「ああ、聖堂が燃えている――」
建物全体が芸術作品のようだったのに、本当にもったいない。俺が言うことじゃないかもしれないが。
「なんてこと……!」
レモが大げさに嘆いてみせた。
「あの、殿下、この方たちは――」
衛兵の問いに答えたのはレモ自身だった。
「わたくしはアルバ公爵家のレモネッラです。クロリンダお姉様が雇った竜人族が暴走して、このようなことを――」
悔しそうに唇をかむ。
「未然に防いでいただこうとお伝えに上がったのですが、遅かったようですね……」
片手でぎゅっとスカートの裾をにぎりしめた。迫真の演技である。
廊下からバタバタと走る足音が近付いてきた。
「聖女様と巫女たちの無事が確認できました!」
若い衛兵が顔を出すやいなや、息せき切って報告する。
「どういうわけか事前に、聖堂からの内部通路を使って王城側に避難なさっていました」
聖堂と宮殿は隣り合って建っていたが、内部でつながっていたのか。
「わたくしがここに来る前、聖女様たちにお伝えしたのです。
レモが普段とは全然違うしとやかな口調で説明すると、王太子が偉そうにうなずいた。
「レモネッラ嬢、賢明な判断であった」
今駆け込んできた衛兵も窓の外に目を向け、
「うわぁ、聖堂が傾いている! 崩れ落ちていく!!」
と悲鳴をあげた。最後の日にあの豪華な建物を見られた俺は、幸運だったと確信する。
「聖堂がなくなってしまったなら、次期聖女は不要でございますわね?」
悲劇的な雰囲気の中、しれっと言い放つレモ。
「へ?」
王太子がまぬけな声を出す。
「レモネッラ嬢、そういうわけには――」
困った顔で衛兵たちに視線を送るが、彼らも目をそらしてしまった。数人が「消火班を応援してきます!」と部屋から出て行き、残ったのは最初に王太子の部屋へ報告に現れた隊長らしき男と部下が二人。
レモは調子よく、自説を展開する。
「祈る場所はもうありませんのよ? 聖女をどこに閉じ込めると言うんですの? こじんまりとした礼拝堂でも建てて、国民がいつでも参拝しに来られるようにすれば良いではありませんか」
ロベリアがラピースラ・アッズーリの魂を瑠璃石から解き放ってしまった今、確かにもう魔力量の多い者が祈り続ける理由はないのだ。
ラピースラ・アッズーリは三人の姉に封印されたと言っていた。その姉たちの子孫が、この国では王族や貴族なのだろう。三人の姉は一族の名誉のためか、ラピースラ・アッズーリの犯した罪に嘘の歴史を上書きして伝えた。だが聖女となった者だけには、ラピースラ・アッズーリの恐ろしさが伝えられたのかもしれない。最初のうちは――
時代が下るにつれ事実は忘れ去られ、創作された歴史が信じられるようになった。そして鎮めなければいけない魂に、個人的な負の感情をぶつける子孫が現れてしまった――そんなところだろう。
今やラピースラ・アッズーリは大聖女と呼ばれ、聖ラピースラ王国民の信仰の
「そ、そういうことは余の一存では決められぬから―― 父上と母上に相談しないと」
もごもご言う王太子。
「そうでしょうね。聖堂の焼け跡から瑠璃石が無事に見つかれば良いですが。あっさり割れていたりしたら、今までのようにあがめたてまつる必要があるのかどうか――」
真っ二つに割れた石が出てくるんだろうなー。
「どちらにしても、大きな過ちを犯したクロリンダの妹であるわたくしが、王太子殿下に嫁ぐことなどできません。婚約を取り消されて当然ですわ」
一応悲しそうな演技をするレモ。
「いやいやレモネッラ嬢」
王太子が片手をあげて押しとどめた。
「妹であるそなたにまで罪をつぐなわせて婚約を取り消すほど、余は小さな男ではない」
王太子は、腕の中にほかの女を抱きながら話す。ネグリジェ姿の女はいつの間にか王太子のベッドに戻っているのだ。
「レモネッラ様がご自分を責められるお気持ちはお察しします」
と衛兵隊長が頭を下げた。
「ですが聖女様のお力は女性にのみ伝えられます。王家は魔力量の多い血筋を必要としておるのです。どうぞご理解ください」
衛兵隊長の言葉に王太子がうなずく。
「そうだ。レモネッラ嬢、そなたの血をみすみす逃すわけにはいかぬのだよ」
なんつー理由だ。レモは人間性を無視され、血筋のためだけに嫁がされるのか。これが貴族社会と分かっていても、訊かずにはいられなかった。
「殿下――、それはレモネッラ様を幸せにするお気持ちがあってのお言葉なのですか?」
俺の言葉に王太子は吹き出した。
「ぷぷっ。護衛くん、きみの頭はお花畑か? 余の子供を産んでほしいだけだ。魔力量三万越えなんて化け物を愛するわけなかろう」
愉快そうに答えながら、王太子は片手で腕の中の女をなでている。
それまで気丈に振るまっていたレモが、うつむいて唇をかんだ。
「あんたにレモネッラ嬢は渡さねえよ!」
俺は叫んで、彼女を抱き寄せていた。
「この無礼者!」
衛兵隊長が吠える。
「構わん。やれ」
王太子が短く命じると、衛兵隊長は剣を抜き俺に斬りかかった。
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「王都の衛兵はさすがにアルバ公爵家の私兵より骨のあるやつらなのか?」
「王太子、ほかに女がいるのにすんなり婚約破棄しないか……」
「レモネッラ嬢はどうするのか?」
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