52、大聖女と呼ばれた者の怨嗟

「くはははは! 取りいてやったわ!」


「なんてことを――」


 唖然とする俺の首を、ラピースラがあやつるレモの手が締めにかかる。


「うぅ……っ」


 たまらず苦痛の声をもらしたとき、レモが右足で自分の左足を思いっきり踏んづけた。途端に俺の首を絞めていた指から力が抜ける。


「何すんのよっ! ジュキの黄金の声帯に傷でも付いたらどうしてくれるつもりよっ!?」


 その口調はいつものレモのものだ。いや、黄金の声帯って……


 しかしその直後――


「ぐおぉ……」


 レモの唇からまたおぞましい嗚咽がもれた。俺の首に伸びようとした手はしかし、レモ自身の頬を平手打ちした。


「私はロベリア叔母さんとは違う! しき魂に簡単に乗り移られたりしないわ!」


 強い。さすがレモだ。


 三度みたび、俺の首元をねらった両手にレモ自身が噛みついた。だめだ、これじゃあレモが傷だらけになっちまう。こんなの見てらんねぇ……!


「ジュキ、歌うのよ!」


 言うやいなや、レモの目が吊り上がる。


「お前の魂を食らってやる!」


 ラピースラがレモに向かって叫んだのだ。


 レモの中にラピースラがいるんじゃ、俺は攻撃なんてできない。それなら―― イチかバチか歌声魅了シンギングチャームに賭ける!


「――羊飼いの少年は、

 朝に昼に夕に愛の言葉をつむぐ。

 連なる白雲の如き羊の群れへ、

 清らかに流るる澄んだ小川へ、

 誰も立ち入ったことなき森へ――」


「な、なぜそんな古い伝承歌を知っている……」


 レモの姿をしたラピースラはくずおれて、大理石の床に両手をつくと小声で歌を口ずさみ始めた。


「――羊飼いの少年、

 あした、昼、夕べと恋のことの葉紡ぎき――」


 リズムと調性は俺が歌ったものとは違っていたが、歌詞と旋律の類似から同じ曲だと分かった。


「ああ、あの人と歌ったのじゃ。戦に連れて行かれてしもうたあの人と。でも帰ってきたのは、あの人が腰につけていた水袋だけじゃった」


 話すうち、彼女の目には悔し涙があふれ出した。


「全てを失った我は聖院に閉じ込められた。この世界を創った異界の神々のために祈れじゃと!?」


 ラピースラはこぶしを床に叩きつけた。


「あの人のいないこの世界など、我にはなんの意味もないというのに! 我は祈ったのじゃ、あの人を返して、あの人を返してぇ……」


 ラピースラが不気味な猫なで声を出した。なんか聞いたことがある話だ――どことなくロベリアと重なる。ラピースラが共感したからこそ、ロベリアは乗り移られたのか。いや逆か? とにかく二人の魂は共鳴しちまったんだろう。


「ある日あの人は帰ってきた。アビーゾ様となって」


 いや違う。それは別人だ。魔神め、恋人を失った女性の心の隙間に入り込んだんだな。


「ラピースラさん、戦地で亡くなったあんたのいとしい人の名前は? アビーゾじゃなかったでしょ?」


 俺はかがんで、彼女の肩に手を置いた。


「忘れてしもうたわ!」


「くそっ」


 ほかに芸がないのか、また首を絞めようとしてくるラピースラ。俺は横に飛んでその手をかわす。


「こんな世界、滅びてしまえばよいのじゃ! 千二百年経とうとも、つねにどこかで戦が起きておる。あの人を奪った戦が――」


 魔神アビーゾではなくかつての恋人を思い出したのか、その目から一筋の涙がこぼれた。動きを止めたラピースラの隙をついて、レモが叫んだ。


「ジュキ、もっと歌って! 今度は私のために――」


 レモのために? そうか――レモの魂は悲嘆にくれていたロベリアと違って、ラピースラとは似ても似つかないことが明らかになれば取り憑けないかも知れない!?


 迷っている暇はない。まだ未完成だけど――今朝きみのことを考えて作った歌を歌おう。


 俺はグローブを脱ぎ捨てると、亜空間収納マジコサケットから出した竪琴を構えた。


「――誰も知らないどこかへ行きたくてたどり着いた

 異郷で太陽みたいな女性ひとに出会った

 新緑の木漏れ日のように輝く君の瞳

 初夏の風のような君の笑い声

 白いカーテン引いたままの小さな部屋に

 すべてを受け入れてくれるあたたかい日差しと

 ありのままを包み込んでくれる優しい風が舞い込んだ――」


 レモの目が輝きだす。赤味を帯びたあたたかな茶色い瞳――俺が愛した人の目だ。


「――それで気付いたんだ

 もし強くなれたのなら

 それは君の幸せを守るためだって

 いつも隣にいてくれる君と手を取りあって

 共に歩いて行こう

 どこまでも――」


「ジュキ、なんて素敵な歌なの!」


 レモが駆け寄ってきて、俺の肩を抱いた。


「うれしいわ、私すっごく幸せ!」


 彼女のはじけるような笑顔は、怒りと嘆きにとらわれたラピースラの魂とは相容あいいれないものだった。幸せを謳歌するレモの意識が、身体からラピースラの霊魂を追い出した。


『な、なんと非情な女よ……! 愛した者を戦に奪われ、自由さえ失い閉じ込められたが苦悩に触れながら、そのように愛に満たされるとは――』


 レモのうしろに浮かんだラピースラが苦悶をぶつけてくる。もうレモには声さえ聞こえないだろう。


 一瞬同情しかけた俺と違って、レモは冷静に状況を判断し、必要なら心を鬼にすることも出来るのだ。非情とは思わないが冷徹かもしれない。だが――だからこそ俺は、そんな強くて賢い彼女にたまらなく惹かれるんだ!


「迷える魂よ、汝を地上にとどめるしがらみ今解かれ――」


 印を結び聖なる言葉を唱える彼女のピンクブロンドの髪をそっとなで、こめかみをすり寄せる。こんな時なのに、いとしさがあふれてくる―― 歌声魅了シンギングチャームで感情を揺さぶられるのは、聴衆だけじゃなく俺自身もなのだ。


「――遥かなる空へかえりたまえ!」


 レモの聖魔法が完成した。


死霊還天聖光トルナ・アル・チェーロ!」


 立ち並ぶロウソクの何百倍もまばゆい光が部屋を満たした。


『ぐおぉぉっ!』


 ラピースラの魂が苦しみにあえぐ。


『千年以上抱えてきたが悲しみが、これしきの聖魔法で浄化されてたまるかっ!』





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「帝都だのアカデミーだの謎を残して早々に退場されてたまるかっ、だよなむしろ」

「でもこいつもう、これ以上なすすべないだろ」

「そういえばイーヴォたち聖堂破壊工作チームはどこで何してんだ?」


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