第36話 シャインアクア②
危険指定区域に入って1分、まだ魔物には一切会っていない。
なのに、疲労が半端じゃない。
目に見えない威圧感が、常に喉に巻き付いてくるのだ。息苦しい。
森を抜けた先に、渓谷があった。
山々に囲まれ、川が一本中央に通った場所だ。
「この道の先に山が見えるでしょ? あの山に〈ノアヴィス洞窟〉があるわ」
ヴィヴィは手に地図を持っている。
「その地図は?」
「図書館にあった樹海の地図よ。山はそう遠くない。数分で着く距離ね」
渓谷に足を踏み入れてすぐ、俺は信じられないモノを見た。
地図に目を落としているヴィヴィは気づいていないが、川を挟んで反対側に、全長10メートルは越える……紫色の塊がある。
「ヴぃ、ヴィヴィ……アレを見ろ」
ヴィヴィの肩をつつき、指で紫の塊に視線を誘導させる。
ヴィヴィもそれを目にして、手に持った地図を落としかけた。
「デッドリークラブ……!?」
クラブ? 蟹か?
そういえば、よく見ると蟹のハサミのようなモノが見えるな。
「知ってるのか?」
「……ええ。私たちがどう足掻いても勝てない相手よ。寝ているようだし、刺激しないよう慎重に進みましょう」
「わかった」
あのレベルの魔物が他にも当たり前のように存在するのだろう。
洞窟の中には居ないことを祈ろう。あんなのと戦ったら即死だ。
「イロハ君、注意深く周囲を観察してね。トレントのように、擬態するタイプの魔物でもあなたなら見破れる」
「言われずとも全開の注意力で臨んでるよ」
瞬間、地面が黒くなった。影の色だ。
ヴィヴィは気づいていない。夜中だから、影が見えづらいのだろう。
影の大きさは……デッドリークラブよりも大きい。
「ヴィヴィ……なにも聞かずに前に走れ!」
俺の言葉で、ヴィヴィも自分たちを包み込む影に気づいた。
同時に、走り出す。
――ゴオォン!!
真後ろで轟音が鳴り響く。
振り返ると、両腕が異常に大きい巨大ゴリラが居た。目が赤く、殺意に満ちた顔をしている。ゴリラは先ほどまで俺たちが立っていた場所に、その巨大な腕を振り下ろしていた。奴の拳を受けた地面には、大砲でも喰らったかのように深々と穴ができていた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーー!!!」
その咆哮は渓谷中に轟いた。
「ヴィヴィ! “風神丸”だ!」
「いま準備してるわよ!!」
ヴィヴィは“ストレージポーチ”から“風神丸”を出す。
俺はそれを受け取り、すぐさま起動させ、ヴィヴィを乗せ……全速で前に飛ぶ。
背後から、巨大ゴリラの地鳴りのような足音が迫ってくる。
「モンキートロール! あんなのも居るなんて……!」
足音がドンドン近づいてくる。
モンキートロールとやらの最高速は“風神丸”の最高速を凌ぐようだ。
このままじゃ追いつかれる。だからと言って高度を上げれば、他の魔物に見つかりかねない……!
「〈ノアヴィス洞窟〉よ!」
――正面の岩壁に、洞穴を発見。
あそこならモンキートロールの巨体は入れない!!
「このまま突っ込むぞ!!」
洞窟に高速で突っ込み、振り返る。
「ガァウ!! ガァ! ガァ!!!」
モンキートロールは腕を洞穴に突っ込んで、探るように手を動かしている。
「間一髪だったな……」
「……本当に、死ぬかと思ったわ……」
何はともあれ〈ノアヴィス洞窟〉に着いた。
“風神丸”から降りる。俺もヴィヴィも全身に汗をかいていた。
帰りをどうするかはとりあえず置いといて、俺とヴィヴィは洞窟を進むことにした。
ヴィヴィの杖の電光を頼りに歩いていく。
洞窟の幅は4メートルほど。湿気が凄く、壁には滑りを感じる。
「ヴィヴィ、待った」
「どうしたの?」
「そこ、地面の色がおかしい」
俺の言葉を受けて、ヴィヴィは杖から雷を発し、地面を焼いた。
すると地面が崩れ、円形の穴が空いた。
「落とし穴ね」
「トラップがあるのか。気を付けないとな……」
俺とヴィヴィは穴を避けて通る。
「別れ道ね」
正面の道が4つに分岐している。
俺はそれぞれの道の地面を注視する。
「一番右の道、この道だけ色が違う。多分、多くの人間がこの道を通っている。踏み固められた地面は色が変わるからな。この道の地面は、踏み固められた色をしている」
「“シャインアクア”は人気がある水だってアラン先生は言っていた。採取に来る人間の数も多いはず……一番右の道を行きましょう」
一番右の道を選択し、進む。
それから10分ほど突き進んだところで、広い空間に出た。
――地底湖だ。
しかも、キラキラと光沢のある湖だ。湖からは蛍の光のような光粒が無数に上がっている。光は差してないのに、その空間は明るかった。“ライトニングロッド”の電光がなくとも見渡せる。
俺とヴィヴィは数十秒ほど、その神秘的な湖に見惚れてしまった。
明らかに魔物もいない、穏やかな空気だ。
「この湖の水が……“シャインアクア”か?」
「ええ。そうでしょうね」
ヴィヴィは“ストレージポーチ”から水筒を出し、“シャインアクア”を中に入れた。
水筒を満たし、蓋を閉める。
「これだけ入れれば余裕で足りるはず」
ヴィヴィは踵を返す。
「帰るわよ」
「帰れるといいな……」
あのモンキートロールが俺たちを諦めて、巣に帰ってくれてればいいのだが……。
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