化生の子(2)
千切れた糸を素早く再び編み上げる。と、同時に、唇を滑る呪語に、その身が淡く光を帯びた。豪雨のごとく空を震わせ注ぐ矢を、人を越えた速度で絡め、捌き、かわしながら、玄月は地を蹴った。
(逃げるな。見つめろ。見透かせ。そして、決意しろ……!)
逃れるではなく、攻めるために。今度は逆に、距離を詰める。
大地を穿つ轟音に霞むように、憐みの嘲笑の声がしとやかに零れるのが聞こえた。
「『威勢はよいのに、天運のないのが、まこと悔やまれるのぉ。どう抗おうと、しょせんそなたの命、間もなく尽きようぞ』」
印を結ぶことすらなく、指のひと弾きで、春明の影から十二の光の人型が現れ出でた。
瞬時に目の前に迫った細い人型が、その手の大太刀を勢いよく振り抜くのに身をかがめる。闇夜を切り裂いて横ざまを狙ってきた鋭い氷の柱の数々を、玄月は宙を舞ってよけた。
だが、息をつく間もなく、目の前にはさらにふたつの人影。振るわれた槍と剣とを絡めた糸で防ぎ止めるも、足元に、朱色の光が蛇の舌のように這ったのが視界に瞬いた。
刹那、業火となって辺り一帯を包んで燃え上がる。月明かりを儚く飲み込んで。闇を焦がし、大地の焼ける臭いを立ち昇らせて、紅蓮の焔が夜空を舐めた。
だがそれに、春明の金色の双眸がうっそりと細まった、瞬間。
抗するような青みを帯びた火が燃え上がり、猛る紅蓮を飲み込んで、もろともに消えた。十二の人型を、かすかな身動きすら封じて、紫の糸が絡めている。
「いまの俺に、本気を出させてくれるなよ……!」
苦しげに、けれど不敵に口端を引き上げて、射干玉の瞳が春明を射抜いた。
引き寄せる動きとともに、縛められた十二の人型が、千々に切られて霧散する。
「『吾子の式神を消すか。よぉやるのぉ。しかし――』」
賞賛をこぼして、春明の唇はたおやかに笑んだ。
闇夜を駆け抜け、迫り来た玄月の糸が、春明を捕らえようと羽のように宙を踊る。
だが、金色の双眸が悠々と細められた、瞬間。
春明の姿を覆おうとしていた糸の束が逆らうように翻った。そのまま玄月の身体を縛め、地面に引き倒すように縫い留める。と、同時に、その四肢を穿ち貫いて、白銀の刃が突き刺さった。
堪らず上がった苦悶の叫びをのんびりと上からのぞき眺めて、春明の姿は言う。
「『人の身としてはまこと、よく術を操る力がある。しかし無理をするものではないぞ。そのぼろぼろの身体が、余計壊れていくからのぉ』」
玄月がいかに抱えた病を隠していのるか、見透かしているのだろう。それは健気さを憐れんで笑った。
「『苦しみもなく、友の手にかかって死ねるなら、良い死に様であろう?』」
「悪くはないが、お前は俺の友ではないだろう? 悪趣味もいい加減にしてもらいたいところだね」
四肢を穿たれたままの痛みを押し殺して、玄月は笑みを象り、悪態をついた。
我が物のように春明の身体を使うそれは、聞き慣れた声音で、ほほほほ、と耳障りな笑い声をたてた。
「『なかなか面白き趣向と思うたのじゃがのぉ。
裏表も皮肉もなく、微笑む金色の瞳には、慈愛めいたものさえたたえられていた。しかしそれは到底玄月には、受け入れも、理解も出来ない優しさだ。
だが抗おうにも、羽虫のごとく捻り伏せられた身体は少し力を入れただけでも痛むばかりで、動かせない。
「『それではのぉ……玄月』」
にこやかに玄月を見下ろした綺麗な顔は、そう指先を弾いた。
中空に生まれた白刃が首元を狙って滑り落ちる。
刹那。玄月の首筋を切り裂く寸前で、その白刃は四肢を貫き止めた刃もろとも、粉々の光の粒となって砕け散った。
身を縛めていた糸が緩む。
春明の顔に驚愕が浮かび、震える指先へ金色の視線が落とされる。
「『吾子……』」
その呟きが落ちきる前に、決死の形相で跳ね起きた玄月が、白銀の髪からのぞく額へと札を張り付けた。
「〈
とたん、薄明の山の端を染めるような紫の光が、春明の身を包んで迸った。
見開かれた金色の瞳。それにゆるゆると黒が差し、やがて瞼が閉じられていく。同時に銀色の髪が黒へと溶け変わり、耳と尾が淡雪のごとくかき消えた。
言葉通り憑き物の落ちきった春明の身体が、光が消えると同時に倒れ込んだのを受け止めて、玄月は痛みに呻きつつも、安堵の吐息をもらした。
「……いやぁ……さっきのはさすがに……ほんと、死ぬかと思った……」
意識を失いきった春明の身体の重さと、傷の深さにへたり込む。苦笑交じりに見上げた夜空は、まだ黒雲が流れているものの、だいぶ星が臨めるようになっていた。
(――戯れ混じりとはいえ、間違いなく殺しにきていた。俺が邪魔なのは、陰陽師だからってわけじゃないな)
己が力をおごりなく測れる程度の実力はある。化生にとって脅威となる厄介な陰陽師の自覚はあった。けれど、春明の身を乗っとれるほどの相手には、そんなことは些細な問題であるはずだ。
(俺の存在が邪魔だったのは……目だろうな)
春明の正体を見透かす。その身をナニが象ったのかを見てしまう。
(母は化生。それでは、父は――……?)
誰へともなく問いかけて、玄月は笑った。まったくの無防備で、気を失っている腕の中の重みを抱きしめる。
(でもたとえ、君がナニモノであろうとも――……)
得難き友であることに、変わりはないのだ。
(だけど君が――ナニモノかであることで、君として失われゆくというのなら……)
思い出される、さきの表情、さきの声音。知っているのに、はるけく遠くに見えた。ずっと彼方で響いていた。冷たく、陰鬱な美しさを纏った、人ではない彼の似姿。
魔を持つ血によって化生に成り代わり、意識も魂も引きずられたなら――かつて彼は、自分の末路をそう語っていたことがある。だが――
「それは俺には、許しがたいなぁ……」
柔らかに、玄月は唇に笑みを灯した。穏やかな音色。その底に、揺ぎない憤りにも似た決意を秘めて呟く。
しかしそこでふと、彼はひどく咳きこんだ。
背中を丸め、肩を揺らし、喉をせりあがる疼きを苦痛交じりに吐き出す。そうしてなんとかおさまった時、口元にあてがっていた手を放してみてみれば――べっとりとついた赤黒い血の中に、烏の羽根のような欠片が混じっていた。
思わず、乾いた笑いが零れる。
さきほど久方ぶりに、本気で術を行使した影響が、さっそく如実に表れてくれたらしい。病を術で抑えきれなくなってきている。
(天運がない……? 笑わせる)
羽根交じりの汚れた手のひらを握りしめ、血を拭った口元を玄月は不敵に引き上げた。
(生きゆける時間は天運で定まっていようとも……)
――あり様までは奪えない。
(たとえこの命、尽きる定めからは逃れがたかろうと……ただそれで終わらせるか)
見上げた空。瞬く星は見えども、まだ遠く、判然としない。けれど、笑み細まる彼の双眸には、満天の星。届かぬ遠い未来をもいとしみ見つめる輝きが、瞬いている。
(――共にいさせてよ、春明)
それが呪詛に変わらぬように。願いのままであるように。心の片端で深く、祈りを込める。
人の肩で気を失っている腑抜けた頭へ、玄月は己が側頭部を軽くぶつけてやった。
「君の高潔な魂を、澱みに染めてなるものか」
澄んだ決意は、嵐に洗われた夜へ、星明りとともに溶けていった。
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