琵琶の音の君(4)



「とはいえ、大方察しはついた。つまり、女房として評判を売り、化生の標的を己にさせておびき寄せようと――そういうことだな?」


「そんなところ。この短期間に懸想文二通なら、そこそこいい噂が広まってると思うんだよね。それに、俺にはこの目がある。だからきっと――誘われてくれるさ」


 細く長い指が、その射干玉の双眸を指し示した。それを複雑な翳りを落として、春明は見つめ返す。


 彼の纏う得意げな空気が、いささか虚勢じみて感じられるのは、単に春明が気にしすぎているからに違いない。しかし、その瞳が、彼にとって良きものとはいえない事実は変わらない。


 玄月の瞳は、魔性を魅入る。


 人の目にはただ美しい程度に映るだろうが、魔を帯びる化生の類には、より蠱惑的に、得難き魅力を宿して見える。そういう、星のきらめきを沈め溶かしたような黒なのだ。すべてを吸いこむ奥底に、綾と綺羅を閉じ込めた眩い夜の色がある。


 だから、惹かれ、誘われ――手に入れようと憑り殺そうとする。それが彼の瞳だった。


 不世出の黒だが、彼にとっては無用の宝であったろう。化生に好まれる瞳など、どれほど美しくとも、平穏な暮らしを願うなら不要なものだ。よくこのよわいまで生き延びたといってもいい。幸運と、そして――辛酸の上に積んだ努力があってこそだろう。


 玄月が陰陽師となったのは、なかば否応なくなのだ。身を守る必要に迫られたからこそ、陰陽の術を修めたに過ぎない。


『昔から人には見えないモノが見えるうえ、そいつらに熱烈に命狙われてきたからね。少しは陰陽の素養があって良かったよ。なかったらたぶん、今頃死んでいた』


 そう笑い話のように流して済ませ、多くを語ることはなかったが、魔を魅入る目を持つがために、彼が背負ってきたものは想像がつく。魔性を呼ぶゆえに周囲から疎まれ、安寧を得るを阻まれたに違いない。


「・・・・・・お前はよく、平然と自分を餌にしようなどと思いつけるな」


 ぽつりとこぼれた低い音色の憤懣に、「おやおや」と、紅をさした唇が人悪く引き上がった。


「安倍春明ともあろう男が、つまらぬ物言いをする。物は使い様、考え様ってだけでしょう?」

 見上げる艶やかな漆色の双眸が、軽薄な響きに似合わぬ優しい色合いで細められた。


「この目が魔性に好かれるのは、もはや変えようないことなんだからさ。悲観するのも飽くものだ。どうせ面倒な性質の目なんだから、こんな時ぐらい、有効活用しないと損だろう?」

「――お前の前向きさ、たまにどうかと思うが・・・・・・」


 だがその不敵に生き生きとした彩りの方が、この華やかな黒を持つ男には似合うのだろう。

 春明は、呆れと敬意を込めてため息をついた。


「ともかく、方針は分かった。化生の姿どころか気配も見えぬ以上、それが良策なのも間違いない。私の方からも連絡は入れるが、お前の方からも小まめに知らせろ。また来る」

「まあ、春明殿。夜が明けきらないうちにお帰りになるの? つれな~い。月影に我が身を変えたいものですわ~」

「はっ倒すぞ?」


 立ち上がるすらりと上背のある影へ、高い作り声が鼻につく甘さで追いすがってきた。『月に身を変えたなら、冷たいあなたも見てくれるのだろうか』と、切ない歌を引きながら、少将の君の表情は楽しげで明るい――というより、むしろ、にやにやとしたからかい顔だ。ただただ、純粋に腹が立つ。春明は蹴り飛ばさんばかりの剣幕で冷淡に言い放った。


 まだ明々と朧月の残る夜に、名残も惜しまず、春明はさっさと噂名高き少将の君の元を立ち去っていく。

 その背を見送るように、また澄んだ琵琶の音が空を泳いだ。


 どうかその音色が早く届けばよいものだと――暗く内裏に澱む闇を、春明は静かに睨めつけた。





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