琵琶の音の君(3)



「いずれはあの勾玉の件は究明したいが、いまは目の前の厄介事だ。早く状況を説明しろ。師の話だけでは全容がまだ掴めん。そもそも、血濡れの袿が見つかったのは昨日というのに、お前はなんでそれより前から出仕しゅっしなんぞしてたんだ?」


 確か先ほど、彼は出仕七日目だと言っていた。つまり騒動が起こる前から、なぜか女房として潜り込んでいたことになる。


「ああ、じゃあ、そのあたりも含めて、まず出来事を順に整理して共有しようか」


 べん、と玄月が軽く琵琶の弦を弾くと、するりとこぼれた紫の光の糸が、日付を記してひさしを這った。


「まず発端は、おそらくこの日。二十日前だ。この日、桐壺皇后の女房のひとりが、三日のさとがりを願い出て許された。けれど、期日を過ぎても帰ってこない。というので、様子をうかがわせてみたところ、里下がりなどしていないという返事が返ってきた。皇后の信任の厚い女性だったのもあり、それは妙だという話になった。それで、俺が呼ばれたわけ」


「お前、女房がひとり、すぐに戻らなかった程度で駆り出されるのか……」

 身が持たないぞ、とでも言いたげに春明は同情の目をやったが、玄月はあっけらかんと笑った。


「君だって割としょうもないことで呼び出されまくってるだろ? 蛇が簀子すのこを這ってたとか、鼠が枕を齧ってただとか」

「そう、だな……」


 この前もそうした案件で、朝日が昇るころに叩き起こされたばかりだ。色白の顔はさらに不健康そうにげんなりと、生気を欠いた目で虚ろに下向いた。


官人かんじんだからって、殿上人でんじょうにんらの使いたい放題状態だもんねぇ、君。宮仕えなんかするもんじゃないよ」


 しおれた哀れな仕事人間の肩を、ばんばんと慰めにもならない調子で叩き、玄月は自慢げに口角を引き上げた。


「その点、俺は定周さだちか殿のお抱えだからね。そうあっちもこっちも引っ張られはしないし、これが飯の種に直結しますから。些細なことでもすぐ呼び出してくれた方が、ちょっと盛って、報奨の過大請求もしやすい」

「藤氏相手によくあくどい商売をしてるな、お前・・・・・・」


 定周は政治的な要素からのみならず、私的な情でも妹への愛着が度を越して過保護と有名だ。妹愛しさゆえに小まめに彼を呼び出し、あることないこと言われるままに、さぞかし巻き上げられているのだろう。見上げた根性だと呆れ混じれの視線が投げかけられれば、玄月は、袿の袖に悪い笑顔をわざとらしく隠して、ほほほほ、と、女性の声音でおどけてみせた。


「ま、俺の手口はさておき、女房失踪についてだよ。呼ばれて色々調べてみたんだけど、呪詛ではなさそうなのに、後宮のうちに、化生の気配はいっそ不審なほど感じられなかった。ただ・・・・・・皇后の元の女房が里下がりをすると言って姿を見せなくなった後、他のつぼねでも女房や女童めのわらわが消えているらしいことが分かってね。消えた日と人数はざっとこんな感じ」


 ふわりと日付の下に浮かんだ数字に、春明は少し太めの形の良い眉を顰めた。


「二十日で十人、か・・・・・・。多いな」

「局が違うと、情報も行き交いづらいからね。あと、皇后のところと同じように、物忌ものいみや里下がりで内裏を出たと思われていた者もいたからさ。気づかれにくかった。化生の気配も相変わらずないしね。でも、この後宮でなにか起きているのは間違いなさそうだったからさ。より近くで見張れるよう、潜り込ませてもらったわけ。それが、七日前。けど残念ながら成果がなく・・・・・・昨日とうとう、事件として露見した」


 淡々と紡がれていた声音に、かすか悔しげな苛立ちがのぞいた。俯く横顔に流れた黒髪をさらりと払った指先が、いま一度弦を弾く。と、ひさしの上の光の文字は揺れ崩れて消え去った。


「見つかった袿は、弘徽殿女御こきでんのにょうごの元にいて、四日前に消えた女房のものだ。いまのところ最後の失踪者で、唯一、手がかりの出た者になるかな。他の者たちは髪の毛の一筋すら、痕跡がまだ見つかってない」


「面倒だな・・・・・・」

 秀麗な眉間に、どこか剣呑と、悩ましげに春明は皺を寄せた。

「お前の言うとおり、呪詛ではない可能性が高いだろうが、私にもこの内裏にしかと化生の類の気配は感じられん。そこはかとなく、鼻につく臭いと言おうか・・・・・・異質な空気はあるような気もするが、判然とはしない」


「君もそうなら、通常の手順通り、潜んでいるのを見つけ出して調伏――というのは、やっぱり難しそうだね」

 もろ手を挙げた腕を、袿の袖が滑り落ちる。白皙はくせきの――とも例えるべき白さだが、しなやかに浮かび上がる筋のつき方は男のものだ。女房ならばはしたなく肘まで晒して、という有様だが、噂の少将の君に気にした素振りは一切なかった。


 これで本当に事情を知らない女房たちに、男とばれずに済んでいるのか怪しいものである。が、目をそばめてやるのも億劫だ。春明はそのまま流すことにした。


「お前が見えぬ気配なら、私が分からないのも道理だな。だが、どうせお前のことだ、他の手はすでにあるんだろう? だから、ここにいる」


「まあね。俺も別に道楽で、美貌の琵琶の名手として名を売り出したわけじゃない。消えたと判明してる女房や女童に共通点があってね。年若いながら内裏での評判が高かったんだ。容姿優れて一芸秀でてる、とか、教養深く機転が利いて覚えめでたい、とかさ。最初に消えた桐壺皇后のところの彼女もそういう手合いだったらしいからね。なんか山の雪がどうとかこうとかして、御簾をあげたら褒められたって、ずいぶん評判になったとか聞いた」

「雑な情報収集をするな」


 ひどく適当に投げて寄越された判然としない内容に、春明は渋面で頭を抱えた。それなのに、なんとなく理解できてしまったのが、腑に落ちない。


「・・・・・・その話なら、私も師から聞いた。そうした教養深い女房を、藤壺中宮の元にも手っ取り早く多く抱えたいから、陰陽術でなんとか出来ないものかと相談されたそうだ」

「あのくそ強欲関白野郎、陰陽術のことなんだと思ってるのかな? 身に染みるように一度軽く呪詛っとく?」

「おっ前、本当に口を慎んどけよ、玄月」


 思わず、春明の言葉は乱れた。えらく不謹慎な一言を、曇りなきまなこが綺麗な笑顔で吐いて捨てるのだから、それも仕方あるまい。普段、春明が桂木に口酸っぱく諭されている内容など、可愛いものだ。都の大転覆を図る輩だろうと、軽々と時の関白にそんなことは口に出来ないというのに、とんだ流罪希望者である。







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