雨宿りの集い

古蜂三分

雨宿りの集い


 その会合をわたしが初めて知ったのは、高校二年の夏だったと思う。


 会合の名前は「北関東みんなのお天気愛好会」という。どこか間の抜けたその名前を、下校途中に通る掲示板で見かけて、自分でも不思議に思うほどの素直さで「いってみよう」と思ったのだった。あやしい団体かもしれないとか、宗教やねずみ講がからんでいるかもしれないとか、そういう類の心配事はひとつも考えていなかった。スイカの種を飲み込むとお腹の中でぶくぶく成長するんだよ、と園児の頃に言われて、それをまっすぐに信じて種を丁寧に吐き出していたように、「ああ、お天気愛好会か。きっと気象学的なあれこれについて語るのだろうな。とりあえず、いってみよう」とありていに言えば率直に、悪く言えば愚直に決心したのだった。


 本音で話してしまえば、下心がなかったと言えば嘘になる。別にわたしは北関東の天気についてなんか、これっぽっちも興味なんてなかったのだ。将来の夢が気象予報士やお天気キャスターなわけでもないし、そもそもつい先日の文理選択でわたしは文系を選んだばかりだった。天気について深く考えたこともないわたしが、理由なくお天気愛好会に参加するはずがない。


 わたしはそのとき失恋して間もなかった。二年ほど付き合った山寺尚文に、もう会わないようにしよう、と言われていた。そして山寺尚文という人物はひどく口下手で、沈黙に耐えきれなくなると決まって天気のことを話題に出すような困った男だった。初デートの最中で、一緒にテスト勉強をした図書館で、アトラクションの順番を待つ行列で、わたしは彼の口から幾度となく、何の脈絡もない天気についての話を聞かされた。


 日頃からそういったことを考えているのか、山寺尚文は天気について独特の見解を持っているようだった。


「なんと言っても雨が一番いいんだ」と彼は常々口にした。

「雨と言っても、台風やゲリラ豪雨みたいな強い雨はあまり好きではなくて、朝起きてカーテンを開けたら人知れず降っているような、ある種の自己主張や押し付けがましさのない雨が何よりもいいんだ」


 以前に公園のベンチでそんな話を聞き、わたしは今までにそんなことを考えたことがあっただろうかと考えた。どの天気が一番いいのか。少し考えて、けれどそんなことはすぐにどうでもよくなってしまうのだった。包み隠さず言えば、今までの人生で天気について深く考えたことがあるかないかを考えるより、おもしろいくらい真剣な表情で天気について語る彼の横顔や、頭のてっぺんで飛び跳ねているアホ毛なんかを見つめている方が、わたしにとってはよっぽど有意義だったのだ。


「休日にそんな雨が降っていれば、僕の気持ちは途端に楽になる。雨っていうのはね、僕のような小心者の小坊主にとっては、実にありがたい存在なんだ。よく晴れた日に家にいるとね、どうしてこんないい天気なのにお前は家にこもっているんだって、いつも誰かに叱られているような気になってしまうんだよ。曇りの日だって、程度の差こそあれど晴れた日と同じだ。でも、雨ってやつはその厄介な呪いを丁寧に解いてくれる。風邪を引いたときにそばにいてくれるような、そういった人知れない優しさでね。ああ、こんな天気ではどこにも行けないね。仕方ないから家でゆっくりしていようって、そんなふうに」


 ファミリーレストランで向かい合ってそんな話を聞きながら、「ああ、尚文くんは家が好きなんだな。でもおうちデートってハードルが高いな」と、わたしはまるで的外れなことを考えているばかりだった。


 いろんな場所で山寺尚文はそんな話をし、そうして締めくくりに、必ずこう言うのだった。


「晴れや曇りを嫌うように、僕は青春とか若さとか、そういう言葉を好きになれない。そういう言葉って『こんなにも貴重な時期に何もしないのは間違っている』と漠然とした焦燥感を押し付けてくるように思えてならないんだ。それがいいことだとか悪いことだとか、そう言いたいわけではないけれど」


 それを聞いて、わたしがひどく悲しい気持ちになったのを今でも覚えている。それからわたしは、青春とか若さとか、そういう単語を以前の純粋な目で見られなくなってしまった。彼と一緒にいるとき、こうしてわたしと過ごしているのも、青春や若さみたいな言葉に迫られた、ある種の惰性からなのではないかと疑ってしまうようになってしまったのだ。


 山寺尚文がもう別れたいと言い出したのはわたしたちが二年生に進級する少し前くらいの時期だった。その理由を訊いても彼は頑なに答えてくれなかったのだが、納得できずにしつこく食い下がって訊くと、「これは決してキミのせいではないのだけど」と前置きをしてからしぶしぶ答えてくれた。


「僕はなんだか、恋人っていう存在を苦痛に思ってしまうみたい」


 彼は丁寧に呼吸を整えてから言いにくそうに、随分と長い時間をかけてそう告白した。彼の見解によるとそれは、雨の日をこよなく愛する心から生じた厄介な癖みたいなもので、晴れているから外出するべきという強迫観念に襲われるように、恋人がいるのだから相手に恋焦がれるべきだという考えに陥ってしまうらしかった。恋人なのだから、互いに会えない日は相手のことを気にするべきで、予定が空いていたら遊びに誘うべき。それはどこか義務感や後ろめたさにも似たような感覚であり、女の子もそういう意味で彼にとっては天気と同じ位置付けである。そんな旨の話だ。


「ならもう別れるべきね」


 わたしは意外にも、不思議なくらい冷静に彼の告白を受け止めた。まあ、彼に怒ったところで仕方がない。彼が素直に話してくれただけマシだろうとも思った。下校途中にある公園のベンチでそんな話をし、ほんの二つ返事でわたしたちは別れる運びとなった。家までの帰り道、その途中で夕立があった。水を差すという言葉を体現したような、ひどく冷たい雨だった。わたしは家まで走って帰り、家に着くとすぐに冷え切った体を湯船で温めた。それきり彼とは話していない。


 おそらくそのときのわたしは本当に、彼とはもう別れるべきだと思っていたのだ。別にわたしは恋愛依存症(というのは母親がいつしか教えてくれた言葉で、常に異性の温もりを欲している人たちのこと指すそうだ)ではないし、山寺尚文のバカみたいに真剣な横顔やぴょんとはねたアホ毛を好いてはいたけれど、彼の天気理論はとうてい理解できるはずもなく、そんな馬鹿げた考えを理不尽だと嘆く気もなかった。諦めはいいほうなのだ。


 けれど、日常の何気ない一幕において、わたしはたびたび「雨」という言葉を思い出すようになった。いつもは二人で帰っていた下校途中の河川敷を一人で歩いているとき、以前より空白の多くなったカレンダーをぼうっと眺めているとき。そういった何でもないような日常の一瞬が訪れるたびに、わたしは彼の使った「雨」という言葉の意味合いについて考えた。青春や若さといった言葉が彼にとっての「晴れた日」ならば、きっとわたしは彼にとってのほんの「雨」に過ぎなかったのだろう、と。これが巷で言う未練なのかもしれないと自分を疑い始めたのは、つい最近のことではない。


 そのようなわけがあって、町内掲示板の隅にのっていた「北関東みんなのお天気愛好会」が催される日時と場所をメモし、なんとなく参加してみたのだった。


 みんなのお天気愛好会は月に二、三度の頻度で、市内の色々な場所で催されていた。わたしが初めてそこ参加したのはまだ夏服が恋しくなるくらいあたたかな秋の日で、場所はわたしの通う高校からさほど遠くない市立図書館の会議室だった。その図書館には初めて入った。立派な外観によらず室内は大きな吹き抜けになっており、無機質な白色の壁には幼稚園生や小学生の絵が人知れず飾られていた。それ以外に何も物がないロビーはどこか所在なく、吹き抜けというよりは空洞と言い表した方が適切であるような気がしたのを覚えている。


 会が行われる四階の会議室Bの前には「お天気愛好会」というプラカードの置かれた受付があって、わたしはそこで自分の名前を伝えた。受付の女性から渡された入会要項に年齢や住所を記入し、三百円の会費を払って会議室に入る。白くて殺風景な部屋の真ん中にパイプ椅子が円状に並べられていて、すでに三人が腰かけていた。わたしも空いている席に座った。


 しばらくしてもう一人がやってきたところで、「北関東みんなのお天気愛好会」は始められた。いったい何がどのようにして行われるのだろうかと、わたしはどきどきしながらそこに座っていた。平日の午後四時だというのに背広を着たサラリーマンらしい男性もいたし、ランドセルと黄色い帽子を持った女の子もいて、なんだか統一感のないメンバーだなと思った。薄黒い油汚れがついた作業服の男性もいたし、受付をしていた女性は珍しい銘柄の煙草が似合いそうな大人っぽいお姉さんだった。そのお姉さんが初めての参加者だと言ってわたしを紹介し、その会合の趣旨を簡単に説明してくれた。


 曰く、この会は天気ということについて一度じっくり考える機会を持ちたいとつねづね思っている人たちの集まりであって、この会には参加資格もなければ義務も強制力も、また会自体の具体的な目的があるわけでもないらしい。この会を通して天気についての何かしらの見解を得られたならいつ参加しなくなっても構わず、また、この会へ参加したからといって何か必ず発言しなければならないということもないという。


「要はなんとなくみんなで雑談しようって集まりっすよ」


 お姉さん(あとで安中さんという名前だと知った)の説明を遮るようにして作業服の男性がそう言う。


 それを補うように「天気についての雑談だし」と小学生らしい女の子が付け足した。


「いずれにしても、ここにいる皆さんは天気について何かしら思うところがあったり、意見を交換したいという理由からここへやってきたのでしょう」


 サラリーマン風の男性が落ち着いた声音で言い、わたしの方に視線を移す。


「僕もその一人です。天気というのはいつも僕らの頭上にあって、特にあれこれと意識したりすることはありません。でも、それはたぶん意識していないわけではなくて、ただ単に意識している状態がデフォルトになっているだけであり、人々は日頃から天気についてのあれこれを無意識のうちに考えている。けれどだからと言っても」


 この男性は喋り出したら止まらないタイプの人間かもしれないと思いかけたとき、わたしの隣にいた、小学校低学年くらいの女の子が突然話し始めた。


「あたしね、雪の日が好きなの。べつに雪だるま作ったり雪合戦したりするのが好きってわけじゃなくてね、家の外が寒くてたまらないなか、みんなでこたつに入ってみかん食べて、ママとパパは二人でテレビ見て、あたしはその横でマフラー編んだりお裁縫してたりする、みたいなのが好きなの。わかるよね、この感じ? そんなふうに子どものころ思っていた人いるでしょう?」


 少女は楽しそうにおしゃべりしながら、ランドセルから何かを取り出して広げた。サイズの小さな、おそらく子供用のマフラーだった。さっきの話に出てきたものだろう。彼女は「これ、あたしが作ったやつ。見ていいよ」とみんなにまわしながら話を続けた。


 彼女が好きなのはあくまで「雪の日」であり、決して「雪」自体に何かしらの思い入れがあるというわけではなかったらしい。母親はそんな我が子を「子どもなのに雪遊びをしたがらないなんておかしな子」と不思議がっているらしいが、それでもやはり彼女は雪の日に外で遊びたいとは思わないという。


 わたしはまわされてきたマフラーを手に取った。どこかの雑貨屋においてありそうな、少しの手作り感が漂う赤色のマフラーだった。わたしはその模様縫いの一つ一つや伏せ止めのあとを見て、両親とこたつを囲みながらこれを丁寧に編んでいる少女の姿を想像してみたが、想像のなかで、それは少女ではなく山寺尚文になっていた。


「あたしのうちね、ママもパパも仕事で全然家にいないから、リビングに三人が揃っているだけでね、もうそれは雪が降っているなんてことよりも大事件なの。いい感じに雪が降ったら二人とも仕事行かないで、まるで何かに閉じ込められているみたいに家にいることになる。たぶんそれ自体は喜ぶようなことじゃないんだろうけどね、でもうちにとっては雪万歳って感じ。だから、わたしは雪で遊んだりはしないけど、いつも雪が降るとやったあっていう気持ちになるんだ」


 少女はクラスの友達と話すみたいに、足をぶらぶらと遊ばせながらそんなことを語った。まわり終えて戻ってきたマフラーを首に巻き、それに顔を埋めながら、


「ママはね、子どもは雪を喜ぶべきで、大人は雪を嫌がるべきって言う。大人はさ、ユウキュウだっけ、そういうの取ったり、大雪のときは雪かきしなくちゃならなかったりするでしょう。雪の日を純粋に楽しめるのは子どもの特権だって、うちのママは冬になるといつもそう言ってる。ならさ、雪が降っても喜べなくなったら、あたしは大人になったってことなのかな。そうだとしたら、ずっと子どものままでいるのも悪くないかなって思ったりするの」


 会議室は静まりかえっていた。作業服の男性が左耳のピアスを指で弾く音だけがひそやかに聞こえた。間違ったところに来てしまったのかもしれないと、そのときになってわたしは初めて思った。これから彼女の話に対して何かしらの感想を交わしあったりするのかもしれない。天気にまつわるエピソードをそれぞれが披露し、歌会始みたいな要領で、誰の話が一番優れていたのかを決めたりするのかもしれない。そんなことになったらどうしようと、わたしはびくびくしながら話の感想を考えていたけれど、いつまで経っても誰かが拍手をする気配はなかったし、点数札のようなものが配られることもなかった。安中さんはにこやかに笑みを浮かべていて、スーツ姿の男性はノートに何かメモしていた。わたしは顔をあげて、ちょうど向かいにある、会議室の大きな窓を眺めた。


 無機質な部屋に一つだけ情緒を取り入れたような大きい窓で、よく晴れた午後の夕空が一面に見える。まだら雲をオレンジに染める斜陽は地上まで垂れ落ち、ビルや高層マンションの側面を薄い橙色に輝かせていた。子どもは雪を喜ぶべきで、大人は雪を嫌がるべき。窓の外をいろんな形の雲が流れていくのを眺めながら、わたしは少女の言葉を心のなかで反芻した。


「たしかに」サラリーマン風の男性が声を出した。

「一体いつから僕たちは雪を嫌うようになってしまったのでしょうね。それがいいことだとか悪いことだとかは、ひとまずのところ置いておいて」


 彼の問いかけに、みんなは「うーん」としばらく悩んだ。なんだか小学校の道徳の授業みたいだなと、わたしは考えるふりをしながらそんなくだらないことを思った。


「私は今でも雪、好きですけどね」安中さんは呟く。


「たしかに電車が遅延したり雪かきしたりで面倒なこともありますけど、たとえその不便を差し引いたとしても、温泉に浸かりながら見る雪景色とか恋人と迎えるホワイトクリスマスとか、私はそういう雪の一面も同時に愛しているんです」


 まあ、それはただ単純に私の心が幼いからなのかもしれませんけどね。

 彼女はそう付け加えて笑った。


 わたしたちは「雪好き」をいつ卒業したかという話を続け、途中で配られたドーナツを食べ終えると、それからしばらくは雑談をして過ごした。少女の話のあとは彼女のように経験談やエピソードを話す人はいなくて、ただここ最近の気温の変化とか、近所のショッピングセンターのこととか、踏んでも壊れない眼鏡のこととかについて、脈絡もなくぼつぼつと話をした。小難しい横文字が飛び交うことも、気象学的な何かが話題にあがることもなく、壺を買わされたり今が幸せかを問われるようなこともなく、二時間も経たないうちにその日は解散になった。パイプ椅子を畳んでいると、安中さんが次回の集合場所と日時について説明していた。次回の開催場所は、去年の夏に山寺尚文とピクニックへ出かけた、市内の大きな公園だった。




 本格的な冬が始まる前の暖かな日には、ときおり屋外で会合が開かれた。会合はいつもひっそりと、終始何かが起きるわけでもなく、幼稚園児の遠足みたいな雰囲気で行われた。毎回誰かが自分の持っている天気観や、最初のときの少女みたいな話をして、質問があったり、意見の飛び交いがあったりして、それからしばらくして話題がなくなると、解散時間まで雑談をして時間を潰した。


 わたし自身には天気について思うところもなかったし、それが露見しないようになるべく口を開かず、おそらく一番寡黙なメンバーだったけれど、特に何かを話すように強要されることはなかった。わたしはそこに座って、誰かの話を聞いているだけでよかった。天気にまつわる、誰かの話を。そこにはいつもわたしと付き合っていた頃の山寺尚文の姿が見え隠れしていて、けれどその姿はわたしが捕まえようとすると途端に煙のように曖昧な何かに形を変え、ふわりと宙へ逃げていってしまうのだった。わたしはそれをしっかりと自分の手のひらに収めるために、会合へ通い続けた。いや、毎日が毎日そういう動機を持っていたわけではなかったのかもしれない。山寺尚文のことをまったく考えない日もあった。会合に参加して、誰かの天気にまつわる出来事などを聞いているのは、昼間の雲をぼうっと眺めているようで心地よかった。


 会合に通い始めて数ヶ月が経ち、その間に会員の加入などもあると、わたしはすっかりその会合に馴染んでいた。



「僕は現在この街に住んでいますが、元々は北海道の釧路という地域で生まれ育ちました」


 その日の会合で川瀬さんはそう話し始めた。その日の会合は以前にも来たことのある市内の公園で行われていた。四月中旬にしてはよく晴れた暖かな日で、色づき始めた木漏れ日のなか、コーヒーとワッフルが配られた。


 川瀬さんはわたしより数週間ほど遅れて会合に参加しはじめた男性で、歳は三十を過ぎているみたいだったけれど、どことなく雰囲気が山寺尚文のそれに似ていた。いつも毛玉のついたパーカーにスキニーパンツという格好の人だった。かつての山寺尚文と同様に、彼も自身の内に独自の天気観のようなものを持っており、中でも「僕は霧の出ている天気が好きだったんです。霧自体が天気と呼べるかは微妙ですが」と話していたことがあった。


「高校生まではずっと釧路に住んでいたんです。そこはとても濃い霧が頻繁に発生する地域で、そのせいかは分かりませんが、とにかく僕は霧が出ていると子どもながらに気分が高揚しました。しかし大学へ進学するにあたり上京してからというもの霧自体を見る機会がめっきり無くなり、僕の気分は東京の騒がしい雰囲気とは一歩離れたところで沈んでしました。そこで僕が始めたのが、天気の想像でした。辺りに霧が発生しているところを想像して足元を気をつけたり、用心して車間距離をいっぱい開けたりするんです。もちろんそれはただのシミュレーションで、実際は視界良好なのですが、小学生が『この白線の上から飛び出たら死んじゃう』と想像しながら下校するみたいに、僕はまるでそこに霧が発生しているかのように振る舞ってみたのです。するとですね、本当にだんだんと、視界の隅にモヤみたいなものが見えてくるようになるんです。きっと僕は暗示に弱いんでしょうね。徐々に僕の視界には、釧路でよく見ていたような濃い霧が、一年中張り付くようになってしまいました」


 全員が黙って、耳をすませていた。デート中らしいカップルや、子供連れで散歩している若い母親が、公園の木陰にシートを敷いて輪になって座るわたしたちを、不思議そうというよりは不審そうな顔で通り過ぎていく。ふと上に目を向けると、四月の青空がまるで高層ビルに切り取られたかのように顔を覗かせていた。


「それは結局どうなったのでしょうか?」


 安中さんが興味半分、不安半分といった面持ちで続きを促した。皆は再び川瀬さんの方へ視線を向ける。


「最近では、だいぶ落ち着いてきたと思います。しかしそれは症状が軽くなったというより、ただ僕がそれに慣れたというだけの話なんだと思います。もう僕は長らく、霧のない景色を見られていません。数十メートル先の視界はぼんやりと薄くなり、百メートルでも離れればもうすっかり何も見えなくなります」


「自己暗示もバカになりませんな」

 数週間前から参加するようになった年長の松井さんが言う。

「生活に支障はないのですか」

 スーツ姿の佐孝さんが訊いた。


「もちろん、不便なことだらけです」


紙コップにコーヒーのおかわりをもらい、それに一度口をつけてから、川瀬さんはぽつりと言った。

「けれどそれは、程度の差こそあれど、本来僕が望んだことだったんです。だから問題はそこではありませんでした。問題はもっと厄介なことだったんです。霧の見える生活にも少しずつ慣れてきたあるとき、帰ってきて玄関をあけ、台所にいき、今日は揚げ物? と鍋を覗きながら妻に訊き、今日は蕎麦と天ぷら、と答えた妻の顔に、ほんの一瞬だけ、淡いモヤがかかっているように見えたのです。もちろんそれは一瞬で、僕たちはいつもと同じように向かい合って食卓を囲い、くだらない話をしながら麺を啜りました。けれどそれから、そういったことが何度も僕を襲うようになりました。妻だけではありません。友達や上司、誰かと話しているとき、ぼんやりと顔に霧がかかって、一瞬その人の表情が見えなくなるんです。それは本当に一瞬なので、待てば煙草の副流煙みたいにすぐ消えました。ですが最近、その霧は次第に濃くなって、ずっと妻や誰かの顔にへばりついているんです」


 川瀬さんはそこで言葉を切り、しばらく沈黙が降りた。公園の中を北関東特有のからっ風が通り過ぎていく。誰かがコーヒーのおかわりを頼み、それに続いて数人も手を上げ、安中さんは魔法瓶を持ってまわった。


「あの、それって今も続いてるんすか?」作業服の田島さんが訊いた。


 皆の視線を一心に受けながら、川瀬さんは「はい、今もです」とこたえた。


 そんなことはなかったのだろうけれど、心なしかみんながため息を吐いたような気がした。虹色に光るシャボン玉がどこからか風に運ばれてきて、わたしたちの頭上を通り過ぎていく。そっちはダメでしょ、と姉らしい女の子が弟に注意して、二人は遠くの方へ場所を移した。


「でも、リコンはダメだよ?」


 わたしが初めて参加したときに雪の話をしていた謎の小学生、ユイちゃんが訊き、いきなり飛躍したその発言にちらほらと笑いが起こる。


「離婚はしません」と、川瀬さんは妙な生真面目さでこたえ、わたしはなんとなく胸を撫で下ろした。


「何を間違えたのかと思い返すと、やはり霧のシミュレーション作業が第一に思い当たりますが、それよりも、たった一つの天候に固執してしまったこと自体が問題だったのだと思います。故郷と同じ景色をいろんなところに求めてしまった結果、幼い頃に触れることのなかったあらゆるものや景色に、無意識に霧をかけてしまっているのだと思うのです。最近は毎日そのことを考えるようになりました。もしも故郷が快晴ばかりの地域だったら、今ごろ僕の視界は眩し過ぎて何も見えないのではないだろうか。僕の天気に対する考えも、今とは変わっているのではないか、と」


 雨ではなく晴れの日を愛していたら、山寺尚文は青春や若さみたいな言葉を純粋に受け止められるようになっていたのだろうか。わたしは川瀬さんの言葉のあとに、心のなかでそう付け加えた。


「いろいろなことを頭の中でこねくり回して、最終的に僕は、霧という天気を愛してもいいのだという結論に達しました。しかしその代わり、晴れや雨なども平等に愛そうと決めたのです。晴れや雨などが存在するからこそ、たまに見える霧に価値が生じるのだと思うようになりました。わたしはこれまで認めたくありませんでしたが、天気とは移り変わるものなんです。相手の顔に霧がかかるような発作が起きても、その霧はいつか晴れるのですから、僕はそのときに妻の顔をよく見てあげればいいと思うようになったのです」


「なんだかドラマみたいな話ですね」

 安中さんが言い、

「いい夫を持ったもんだな」

 松井さんが言い、

「よかった、リコンはしないのね」

 とユイちゃんが言った。


 しかし川瀬さんは自分で納得できないように首を振った。


「実際のところは、自分でもよくわかりません。僕は自分が出した結論を本当に信じているのかもしれませんし、それこそ霧が見えるようにシミュレーションしたみたいに、ある種の自己暗示をかけようとしているだけのかもしれません」


 そう言って紙コップに口をつけると、泣きたくなるような痛々しい表情で笑ってみせた。誰も何も言わなかった。からっ風が公園を吹き抜けた。沈黙が静寂のそれへと移り変わろうとしたところで、わたしはふと口を開いた。


「この世界には向かうべき場所があって、わたしたちはそこを目指して、ずっと歩き続けているって思いませんか」


 言ってから、突然喋り出した自分自身に少し驚く。それは周りのみんなも同じだったようで、滅多に口を開かないわたしが声を出したものだから、誰もがこちらをいっせいに凝視した。自分でも何を言いたかったのか、一瞬わからなくなる。そうだ、わたしはただ、あまりにも痛々しく笑う川瀬さんに何か言ってあげたかったのだ。もしくは、雨の呪いでまともな青春を送れずにいる山寺尚文や、そんな彼に振られてしまったわたし自身に。


「この世界にはときおり冷たい雨が降るんです。それで、わたしたちが出会う人々はみんな偶然同じところで雨宿りをしていて、でもほら、雨が止んだらまた歩き出さなくちゃいけないから、離れ離れになってしまう人もいる。そんな風に思うんです。きっと川瀬さんは今奥さんと同じ場所で雨宿りをしていて、隣同士で寄り添って、同じ雨粒の音を聞いて、言葉を交わしたりしていて、それはとても楽しくて美しいことだと思うんです。たとえいつか雨が止んでしまうときが、来るとしても」


 わたしは自分のつま先を見つめながら一気に話した。中身のない、無責任なことを言っていると思った。いくらわたしがたとえ話を述べたところでそれは真実でも現実でもないと分かっていた。それでも、わたしと山寺尚文が過ごしたあのひと時を否定したくはなかった。あのときに降っていた雨はすっかり止んでしまったけれど、わたしたちはその頃、青春や若さみたいな言葉に遮られることなく、たしかに同じ景色を見ていたのだと、自分に言い聞かせたかった。


「ありがとう」


 静かな声で川瀬さんが言った。顔をあげると川瀬さんはまだ生真面目な表情をしていたけれど、わたしの顔を見るなり控えめな笑顔を見せてくれた。


 気がつくと太陽の色はずいぶんと変わっていて、冬を思い出したようにまた冷たい風が吹き始めた。しばらくは誰も何も喋らず遠くのビル群や雲をそれぞれぼうっと眺めていたが、誰か一人が「沖縄では一月上旬くらいに咲く桜があるらしいですね」と言いだし、最近では誰もがスマホで音楽を聴くようになったとか、応援していたスリーピースバンドがいつの間にかソロプロジェクトになっていたとか、そんなどうでもいい話題についてぽつぽつと話し合っているうちに、安中さんが会の終了を告げた。スマホの時計を見ると二時間をとうに過ぎていて、塾の授業に遅れそうだった。先に帰っていいかと安中さんに訊くと、彼女は次回の集合場所と日時を教えてくれた。みんなに向けて「先に帰らせてもらいます」と伝え、みんなもさようなら、じゃあね、と手を振り、わたしはバス停に向かって歩き出した。


 少し歩くと停留所にちょうどバスがやってきたのが見えた。わたしは小走りでバスに乗り込んで、空いていた一番後ろの座席に腰かけた。 


 少し進んだところで赤信号につかまると、バスは公園の入り口のすぐ横で止まった。窓の外に目を向けると、ちょうど片付けを終えたところだったらしく、レジャーシートやジャグ、ゴミ袋などを持ったみんなが公園から出てきた。四月の夕焼けは淡い小麦色であたりを染め上げ、けれどそれと同時にぽつぽつと、突拍子もなく雨が降り始めた。金色の光を受けた雨粒がキラキラと輝いて、みんなが眩しく煌めいているように見える。その光景は額縁に飾られた一枚の絵画みたいで、わたしはその絵画の一歩離れた位置から、彼らの姿を眺めた。


 もしかしたらわたしたちは、それぞれの目的地へ向かって、うんざりするくらい平坦な道を歩き続けているのかもしれない。道の途中で雨が降って、どこか屋根のある場所で雨宿りして、誰かと出会い、話したり話さなかったりして、雨が止んだらまた歩き出して、同じようにいずれ雨が降る。それを繰り返す。永遠にずっと。目的地にたどりつくまで。


 バスの窓からじっと彼らを見ていると、まずユイちゃんがわたしに気づいて手を振った。それに続いて誰もがこちらに気づいて、わたしに向かって手を振った。スーツ姿の佐孝さんも、作業服の田島さんも、最年長の松井さんも、理想のお姉さんみたいな安中さんも、それぞれ異なる速度で手を振っていた。


 黄金色に染められた彼らに手を振りかえしたところで、バスは再び動き出した。曲がり角を曲がって次の青信号を通り過ぎたところで、ついさっき安中さんに聞いた、次回の集合場所と日時を忘れてしまっていることに気づいた。けれどわたしは降車ボタンを押すことも後ろを振り返ることもなく、ただ窓の外をぼうっと眺めているだけだった。


 窓の景色はゆっくりと、エンドロールのような速さで流れていく。それを見ているうちに、わたしがあの会合へいくことはもうないのだろうなと、静かな頭で悟った。きっとこれから、掲示板で彼らのポスターを探すこともないのだろうと思った。

 そしていつの日かふと、かつて一緒に雨宿りをした人々のことを思い出すに違いない。

 すぐに止んでしまう通り雨の中、ほんの少しの間だけ、同じ屋根の下に集まった彼らのことを。

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雨宿りの集い 古蜂三分 @hachimi_83

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