【怖い商店街の話】 肉屋

真山おーすけ

肉屋

その商店街には、ある噂があった。月も星も消えた真っ暗な夜。


静まり返った商店街に、麻袋を引きずった大男が現れる。その麻袋の中には死んだ人間が入れられていて、大男が家に持ち帰って食べているというのだ。


そして、その大男が商店街の肉屋の田辺だと。


肉屋の店長の田辺は、30代後半で背はでかくて太っている。田辺が立っていると、肉が並ぶガラスケースとパネルの間の受け渡し口には田辺の胸の部分しか見えない。接客する時は、いつも覗き込むように屈んで頭を出す。そのぐらいの大男だった。それに田辺は無口だ。「いらっしゃい」もなければ「ありがとう」もない。注文を受け、肉を袋に入れ、お金を受け取って袋を渡すだけ。みんなそれに慣れている。


俺も田辺の声を聞いたことがない。だが、しゃべれないわけではなさそうだ。時々、店の奥で田辺が母親らしき女性と話している姿を見たことがある。どんな声なのか。


俺たちの中では、その話題で持ちきりだった。


田辺が店で働く前は、田辺の兄が働いていた。兄は弟の田辺同様に背は高いが痩せた男だったが、口が達者な人でよく客と話し込んでいるのを見たことがあった。俺もよく話しかけられ、好きなバスケットボール選手の話とか、ゲームの話とか、どんな話にも乗ってくれたが、その人は突然店をやめてしまった。しばらくして現れたのが田辺で、噂が広まったのもちょうどその頃だった。


放課後にその話をしていると、不意に松岡は言った。


その噂を誰かが確かめようと。今までも、何人もの好奇心野郎が夜中に商店街で待っていたらしいが、一人として麻袋の大男に会ったことはなかった。


「来るかどうかもわからない大男を待って、補導でもされたら最悪だぞ」


俺がそういうと、松岡は「大勢だとバレるから、一人でいいんじゃないか?」なんて言い出した。


誰が行くか。


噂を面白がっていた奴も、いざ一人で確かめに行くとなると拒んだ。結局、じゃんけんに決まったのだが、厄を引いたのは俺だった。


俺は一人、噂を確かめに行くことになった。握った拳を見ながら虚しく佇む俺に、野郎たちは笑って肩を叩く。


「戦況は明日教えろよ」「忘れるなよー」「逃げるなよー」


その日の夜、俺は家族にばれないようにこっそりと家を出ると、自転車で商店街に向かった。とりあえず、行ったという事実だけあればいいと思った。死体を入れた麻袋の大男なんているわけないし、誰かが田辺の姿を見間違えただけだろうと。商店街に着くと、店のシャッターはすべて閉まっていた。


当然だ。時計はもう22時を超えている。人だって歩いていなかった。


俺はスマホで自撮りして、来たという証拠を残した。


そして、自転車を押しながら、ゆっくりと商店街の中を歩いた。自転車の車輪の音が大きく聞こえるほど、誰もいない商店街は静かだった。


しばらく歩いていると、前方から足音が聞こえてきて、俺の心臓の鼓動がわずかに早まった。だが、商店街の向こうから現れたのは、派手で丈の短いワンピースを着た若い女性だった。足音は、その人が履いているハイヒールのようだった。近づいてくるワンピースの女性。俺と目が合うなり、怪訝な顔をした。俺は気まずくなり、下を向きながらワンピースの女性とすれ違った。女性の肩には高そうなバッグと、腕にはブレスレット、指にはルビーの指輪をしているのが見えた


結局、それから商店街の出口までに見かけたのは、暗闇で目を光らせた猫だけだった。


俺は最後にまた証拠のために、商店街の出口で自撮りした、


「まぁ、こんなもんだろう」


と鼻で笑い、自転車に乗って帰ったのだった。


次の日、野郎たちに自撮りした写真と何もなかったことを伝えた。


まったく、夜中に調べに行った俺の苦労も考えず、「つまんねーの」とがっかりするだけだった。


「これで満足だろ」


その態度に腹を立てながら俺が言うと、松岡がまた余計なことを口走った。


「一日だけじゃ不十分だって! こういうのは、数日様子見ないと。だって、昨日はたまたま死体を見つけられなかっただけかもしれないじゃん!」


まわりの野郎たちも悪乗りし、そうだなと頷いて、今夜も俺に行かせようとした。


断った。


それならと、またじゃんけんをした。


負けた。


こいつらは、俺がじゃんけんに弱いことを知ってやがるんだ。


「今夜だけだぞ。もう一回商店街に行って会えなかったら、今度は別の奴が行けよ」


そう言うと、野郎たちは「わかった、わかった」とにやけながら頷いた。噂なんて本当は信じちゃいないのに、面白半分で言っているのはわかっていた。だが、仕方なく俺は夜中の商店街に、もう一度行くことにした。


噂の麻袋の大男を探しに。


夜が更けて両親も妹も寝静まったのを確認して、俺はまたこっそりと家を出た。


今夜は曇っていて、月も星も見えない。自転車を走らせて商店街に向かうと、アーケードの中はシャッターが並び、今夜はやけに暗く感じた。周りを見ても人の気配はなく、俺は昨日よりも少し緊張しながら自転車を下りてアーケードの中を歩き始めた。自転車の音を響かせながら、肉屋の前にやって来た。シャッターはすでに閉まっている。


そこには張り紙が貼られ、『本日は定休日』と書かれていた。


「今日は休みか」


店が休みとなれば、田辺も店にはいないはず。俺は麻袋の大男が田辺の見間違えたのだと踏んでいたから、今夜現れる可能性はないと思った。俺は自転車にまたがり、商店街の出口に向かってペダルをこぎ出した。昨夜すれ違った女性も、今夜はいないようだ。


早く帰って、お風呂に入って寝よう。


パンッという破裂音とともに、自転車の後輪がわずかに沈んだ。


慌てて自転車を下りてタイヤの後輪を調べると、見事にタイヤがパンクしていた。


「マジかよ」


俺は舌打ちをして項垂れた。


その時だった。


どこからか、ズリズリと地面を引きずるような音が聞こえて来た。商店街の入り口が遠くに見え、駅前の明かりがかすかに見えるが、アーケード内は薄暗く誰もいない。商店街の出口の方へ振り向いた時、自転車の向こう側に汚れた長靴と作業着が見えた。俺は息を飲んだ。引きずっていたのは、今にも破れそうなほど古く、赤黒くいシミと土砂で汚れた大きな麻袋だった。赤黒いシミはグジュグジュと乾いておらず、麻袋の中から染み出しているように見えた。


こいつが噂の大男か。


噂では、中には死体が入っている。俺の心臓が、強く大きく鼓動していた。ゆっくりと視点を下から上に流していくと、作業着には血がこびり付き、筋肉隆々の腕は赤黒い土砂で汚れていた。かなりの大男でガタイもいい。


もしも噂が本当なら、かなりの危険人物だと思った。


だが、大男の横顔を見た時、やはりその顔は肉屋の田辺のようだった。


すると、大男は歩みを止めて俺の方を向いた。俺は心臓が止まるかと思った。


だが、大男の行動は予期せぬものだった。


「修司君じゃないかぁ。こんな夜更けに、こんな場所にいてはだめじゃないかぁ」


大男はニッタリと笑った。


大男が俺の名前を知っていることに驚いた。


「じ、塾の帰りで。こ、これから家に帰るところなんです」


「そうかぁ、学生さんは大変だねぇ」


驚いたことに、大男は饒舌だった。俺の知っている田辺は、無口で不愛想だというのに。大きな麻袋が、波を打つように動き出した。


俺も大男もそれに気づいてしまった。


「あの……」その中身って何ですか? なんて聞こうとして思いとどまった。


大男はそれを察知したのか、俺を見ながらニッタリと笑った。


「若くていい豚が手に入ったんだよねぇ。脂肪はいまいちだけどねぇ、筋肉はよく締まっているし、内臓はきっと美味しいぞぉ。楽しみだなぁ」


そう話す大男の口元からダラダラと唾液が垂れた。目は完全にイってしまっていた。


「どうしてもっていうならぁ、君にも食べさせてあげるよぉ?」


「い、いや、俺は結構です」


「そうかぁ。残念だねぇ。それじゃぁ~ね」


そう言って、大男はまた大きな麻袋も引きずりながら歩きだした。俺はすぐにでも逃げ出したくて、パンクした自転車にまたがった。


「あーそうだ。このこと誰かに言ったらだめだよぉ? 約束だよぉ」


そう言いながら大男の口元はニッタリと笑っていたが、目からは殺意に似た何かを感じた。俺は小さく頷くしかなかった。


大男は大きな麻袋を引きずりながら、商店街の路地を曲がっていった。俺にはあの大きな麻袋の中身を確かめることは出来なかった。


あの大男の笑顔を思い出すと、俺の体は自然と震えだし涙が出て来た。


俺はパンクしたままの自転車に乗り、逃げるように家に帰ったのだった。


翌日、学校に行くとさっそく松岡たちが戦果を聞いてきた。俺は、「会えなかった」と伝えた。噂の検証は引き続き、俺以外の誰かが行くことになった。


その日、俺は学校の帰りに商店街の肉屋に寄った。田辺は袋に詰めた肉をお客さんに渡していたが、いつもと変わらず無口で不愛想だった。昨夜とはまるで別人だ。けれど、確かにあの体型や顔立ちは田辺だった。ふと俺にガン見されていることに気づいたのか、覗き込む田辺と目が合った。田辺は俺の顔を見て、首を傾げた。昨夜の饒舌が嘘のように、一言もしゃべらない。


そのうち店の中から田辺の母親らしき女性が顔を出し、御用を聞かれた。俺は言ってみた。


「いい豚ありますか?」と。


そのキーワードに田辺は反応せず、どちらかといえば女性の方が一瞬、動揺したように見えた。けれど、すぐに「そうね。ロースはどうかしら? 生姜焼きなんていいんじゃないかしら」と勧めてきた。


「そうですか。母がまだ夕食の材料を買っていなかったら、伝えておきます」


そう言って、俺は肉屋から立ち去った。最後まで、田辺は無表情で無口だった。言わば、動揺が微塵もなかった。


あれから、噂の検証をしに野郎たちが順番に夜中の商店街に行ったそうだが、誰もが「いなかった」とか「警察に見つかりそうになって逃げた」とかで会ったという報告はなかった。


それが本当に会えなかったのか、それとも俺のようにあの不気味な笑顔で口止めされたのかはわからないが。


結局、最後に残ったのは松岡。


松岡が噂の大男に会えなければ、検証は終わりにしようということになった。噂に振り回された野郎たちも、内心ホッとしている様子だった。


その日、俺は学校の帰りに肉屋に寄ってみた。店はシャッターが閉まっていて、『臨時休業』と書かれていた。そういえば、俺が大男に会った時も店は休みだった。


翌日、松岡は興奮気味に俺たちの前にやって来た。


どうやら「会った」そうだった。どこからか麻袋を引きずる音がして物陰に隠れながら見ていたらしい。だから、麻袋の中身までは確認できてはいなかった。松岡は次に会った時は、ナイフで麻袋を切って中を確かめると意気揚々だった。気味が悪いおっさんだったけど、中を見たら速攻逃げるし大丈夫。


やめた方がいいという俺や野郎たちの忠告も聞かず、松岡は大男の持つ麻袋の中身を確かめたいという一心だった。


その日も商店街に寄ってみると、肉屋はまだ『臨時休業』と張り紙が貼られたままシャッターが閉まっていた。そこに、小さな巾着と買い物袋を持ったおばあさんが近づいてきた。


「お肉屋さんがお休みだと、不便だわね。でも仕方がないわよね、こればっかりは」


事情を知っていそうだったので、俺はおばあさんに尋ねた。すると、昨夜田辺が亡くなったそうだ。死因は心臓発作のようだ。あの体型だったから心臓に負担がかかっていたのかしら、とおばあさんは言った。


そして、驚くべきことをおばあさんは言った。


「これから、お店はどうなるのかしらねぇ。お兄さんが見つかって、継いでくれるといいけれど。他にお肉屋さんがないから、なくなっちゃうと困っちゃうわ」


そう言いながら、おばあさんは去っていった。


田辺の兄さんは行方不明だと聞いていた。


とにかく、田辺が死んでしまったのなら、もうあの噂の大男は出ないだろうと思い、噂を検証しにわざわざ商店街にやってくる松岡を不憫に思った。教えてやってもいいが、大男が田辺だと思っていない松岡に言っても無駄だろうと思って連絡はしなかった。


翌日、松岡は学校を休んだ。


放課後に野郎たちと顔合わせるなり、松岡の話にはなったが誰も大男の事は口にしなかった。


そして、放課後に松岡の家に行くと、両親が警察と話し込んでいた。詳しくは教えてくれなかったが、昨夜から行方不明になっているらしい。俺たちは商店街に向かった。


肉屋は相変わらず『臨時休業』のまま、シャッターが閉まっていた。商店街のどこを探しても、松岡に関する情報も痕跡もなかった。


代わりに見つけたのは、朽ちた掲示板に貼られた見覚えのある行方不明者の写真。路地裏の隅で、ルビーの指輪が落ちていたそうだ。


しばらくして、その隣には松岡の写真が貼られるようになった。


麻袋を引きずる大男の噂は、いまだに聞こえてくる。


肉屋もまだ『臨時休業』のままだ。

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