第38話 約束



「トキマカセ!!」



駆け寄る壱与。



それを必死で静止するトキマカセノミコト。


「ぎでばだじばぜず!!!!」


スッカリ掠れた声にならない濁声でそう言われて壱与は足を止める。

トキマカセノミコトの声が聞き取れない。

もはや冷静などではいられない。

彼が何を言っているのか、

自分がどうしたら良いのか?

判断が出来なくなっていた。

すると……


『壱与様。心で聞き取って。』

と頭の中で何かが囁く。

『心で?わかったわ。』


感情を抑えて目を瞑り心に気持ちを集中させる。暗闇でしか聞こえない声がある。

戸の隙間から通り抜けようとする、

風の精霊たちの微笑み。

閉め切られた部屋に明かりを灯す、

行灯あんどんの中でさんざめく焔

外から微かに聞こえる雨樋からたれる

悲しみの雫。

床の下から感じる大地の鼓動。


『来てはなりませぬ。壱与様……』


と今度はクリアな声が壱与の心に聞こえてくる。



トキマカセノミコトは「ぐぅあー…」と唸り声をあげながら、ゆっくりと起き上がろうとしている。けれども腕に力は入らない。

全身を使って右に左に体を動かすも、やっとの思いで寝返りをうって仰向けになった。

その姿を確認すると、壱与は見るに耐えかねてトキマカセノミコトの元へ向かった。



ほんの数分前までの彼とはまるで別人の様な容姿。細い腕には青白い沢山の血の管が不気味なほどに浮き出て、先程までほどよくついていた腕の筋肉も、嘘の様に骨と皮になり、肉付きの分だけ虚しくも皮膚が弛みを見せていた。



『どうして……?どうしてなの。』



人は本当の絶望を感じた時には

悲痛の叫びなど出ないのだろう。

冷静にそれでいて力無く、

どうしようもない状況を

無意味に否定する事しかできないのだ。



『生命とは光と闇を繰り返して時間という概念と戦い共存して行くものです。新しきを迎える度に生命力はみなぎり、光を得た細胞は気が付かない間に少しづつ朽ちていく。

地に足をつけるという事は生きていく上で必要な事だけれど、地に足をつけるという力は、生命に老いという負荷を与える。私は時の力を使いすぎました。つまりそれは一度に大きな宙からの重い力を抱えねばならなかったのです。それはつまり時の呪いなのです。呪術を扱う者として禁呪を破るという事はそういう事なのです。』



「そんな……見守ってくれると言ったじゃない!!」

と思わず声に出してしまう。



『死してもなお、私はあなたを見守り続けたい。それが私の本心です。だからどうか来世まで、私の事を想っていただきたい。』



『ら…来世?!』



『そう輪廻転生というものは、やはり時の繋がりです。私はあなたを想い続けます。あなたがもし私を想い続けてくだされば、或いは来世でもう一度巡り合う事が出来るかもしれない。』



『来世って……いったいどれだけ先の事を、自分の人生を終えた後の事を考えなければならないの……。それに来世でもすれ違ってしまったら?』



『来来世まで待ちます。』


『今は?何故今ではだめなの?今はどうにかならないの?』



『そうですね。けれども何かを得るという事は何かを失うという事です。今は大事かもしれない。でも私は報われなず、皆から祝福されなずにあなたと一つになる事はとてもつらい。あなたが誰かから恨まれ妬まれ生きていく事など望んでいないのです。叶わぬ事を嘆きながら今を生きるより、希望を持てる来世であなたと一つになりたい。だからどうか、私を忘れないでくださいね。』



『もちろんです。』

と手を伸ばす。


『トキマカセノミコト……わかったわ。

私はあなたを忘れない。そして私は今

この人生を、そして生きる世界を全うしてみせるわ。だからどうか必ず一つになると約束してください。』


『約束……。」




この腕だけ……

いやこの手だけ……

それも無理なら小指だけでも……。

動かない体に精一杯の力を込めた。

それを見て壱与は自分の小指とトキマカセノミコトの小指を繋ぎ合わせた……。



。。。。。。


「や・く・そ・く……。」



ひかれたレースのカーテンから入るわずかな光しか、この部屋を照らす物はなかった。扉は閉ざされ、人の気配も感じなかった。老化を抑える為に魔法陣で過ごした……。


女の額からはギットリとあぶら汗がながれ、目の周りには寝ていたにもかかわらず泣き腫らしたあとのように沢山の涙のあとがみられる。おかげで顔もベットに敷かれたシーツもぐしょぐしょになっていた。




すると部屋の扉がガチャリと音を立てた。

ゆっくりと中の様子を伺いながらチャウが部屋に入ってきた。



「メイクウ様!!目を覚ましたのね。」


と目を見開いて駆け寄る。


「ひどい汗、熱は?」

と額に手をやり自分の温度と比べる。


「今ヨハンを呼ぶわ。」


そう言ってせわしなく部屋の外へ出て

大声でヨハンを呼びつけた。


少しづつ鮮明になっていく意識と記憶。

私は……私たちは随分と近くにいたのに

大分遠回りをしたみたいね。


「約束したのにね。すっかり忘れていたわ。会いたいわ……。」


そしてせっかく乾きかけた涙がまた止めどなく流れていく……。




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