第8話 優しき姫の光と翳り

『眠れる森』は平穏な森という印象だった。

森の中は僕の住む世界とそう変わりなく、

鳥たちが囀り、リスのような小動物たちが、

人の前を恐れずに通り過ぎて行くった。

木々の隙間から木漏れ日が差して、

とても気持ちが良かった。

それですっかり異世界に迷い込んだなんて気持ちはすっかりなくなっていた。


「少し話してもいいかな?」


「うん。いいわよ。」


「まずは…そうだな……ディアナって何歳なの?」


「15歳よ。」


「15……?!そうか…随分若いんだね。」


「なにそれ。おじさんみたいな事いうのね。」


思わず笑いがこみ上げる。


「ふふふ……。おじさんではないけれどね、君に比べれば、いくつかは僕の方が歳は上かな。」



「へーそうは見えないけれどね。」



「ディアナはこの蒼い空の果を見たことはあるかい?」


「唐突ね。空の果てってなに?見た事ないわ。そもそも空に果てなんかあるのかしら?」


「さーどうだろうね……。けれどもね、

僕は空の果てを越えてこの世界に来たみたいなんだ。」


そういうと彼女は立ち止まって僕の顔を覗き込みんだ。そして心配そうな表情で、



「……大丈夫?頭をよほど強く打ってしまったのね。私の陰晴インパルは体力の回復が関の山だから。精神面を休めるならしっかりと睡眠をとったほうがいいわ。」


そう言った。


ディアナは西洋人の様な顔立ちのせいか、

とても15歳には見えなかった。身長こそ高くはないが、大人びた顔立ちとスタイルはどう見ても成人女性のようだった。

その反面『お姫様』という感じが全くせず、

親しみやすく、まるで知っている人かのように会話する事ができた。



「大丈夫だよ。僕は君が思ってるよりも正気だよ。それよりディアナ……。」



僕はどうしても気になっていた。

それは彼女の中からは『かげり』が拭えないからだ。ディアナの明るい表情には

深い陰があるように感じてならないのだ。

表情の裏側隠された心情……

裏情(りじょう)とでも言ったらよいだろうか?それは光の中の闇というよりは、

闇をどうにか輝かしているような……。

まやかしの光のように感じた。


光がある所には影があるものだ。

冬の一時の晴れ間のように、

真夏の肌を焼き付けるような日差しのように

その光がまばゆければまばゆいほどに、

影もまた色濃く浮き出ているのだ。


彼女の『翳り』は光を覆う程の闇の様に思えてならないのだ……。



「君はいったいどんな闇を抱えているんだい?」



そう質問すると、少し驚いたような顔をして、それから僕の顔をじっくりと眺めた。

そして目を細めて少しほくそ笑んむと、

観念したかのようにボソボソと話を始めた。


「タケルは本当に違う世界の住人なのかもしれないわね……。さっき会ったばかりなのにね。なんだか私の抱えている全てを見透かされているようで気味が悪いわ。」


気味が悪いなんて言われたけれど、少しも不快には思えなかった。そう言いながらディアナは何か抱えていた大きな荷物を下ろすように安堵の顔で微笑んだ。


「タケルは不思議な人ね……。あなたが他の世界の住人だという事を納得せざるをえないわ……。あなたは私の何かを知っているという事かしら?」



「いや何も知らない。だからこそ知りたいんた。君が抱える翳りの理由を。」


「翳り……ね……。わかったわよ。いいわ話してあげる。なんだかタケルになら話してもいいような気持ちになってきたわ。」


「そう……。僕も知りたいし、それに少し

厚手がましいとは思うけど、僕は君を助けたいんだ。」



不思議な気持ちだった。

何故なら僕は極力、人の人生に関わらない様に生きてきたからだ。人間て奴は面倒くさい生き物だ。自分の闇は共有したがるくせに、他人に対してはとても厳しい。こちらが優しく相手の話を聞けば聞くほどに、相手は共感を求め、自分は間違っていないと主張してくるからだ。だからこそ僕は人と深く関わらないように、当たり障りなき人付き合いを心がけて生きてきたのだ。

なのにどうだろうか……。

神崎にしても、ディアナにしても何故か僕は放っておくことはか出来なかった。

その心に抱えた翳りを和らげられないだろうかとそう考えてしまうのだ。


「私はね……本当は双子だったらしいの。けれども姉はこの世に生まれて来る事は出来なかった……。」


「……それは先天的な問題があって、その……死産…した?っていう風に捉えて良いのかな?」


ディアナはすっかりその答えに慣れているような態度で鼻で笑った。


「そうね。死産ならば姉がこの世に生を受けられなかった理由になるわね。けれどもね

……そんな単純な出来事ではないの。彼女はこの世の中に生を受ける事が出来なかっただけではなく、存在すら消されてしまったのよ。」


「……?存在すら?消された?どういう事?」


もうそれは理解の範疇はんちゅうを大きく越えていた。


「当然理解は出来ないでしょうね……。

けれどもあなたがもう何年も会っていない『カンザキ』を探していると聞いた時私はね、ひょっとしたらこの人なら私の気持ちを理解してくれるかも知れないと、そう思えてならなかったのよ。何故なら私も姿形を知らない姉をずっと探しているのだから……。」



言われてみればその通りだった。

僕もディアナも知っているようで知らない誰かを探しているわけだ。そう思えば不可解な事などではなかった。むしろたった何時間か前に出会ったディアナに強い親近感を感じた。きっと彼女そう感じたのだろう。

相手に信頼がないと会話が無い時間は苦痛でしかないけれど、相手に信頼があれば無言静寂の共有は逆に居心地の良いという事だと思うのだ。


それからしばらく2人で無言のまま森を進んだ。


「待って!!」


「え?何?」


「静かに……。」


そう言って口に人差し指をあてて、

「シー…」というポーズを取った。

それから大人びた童顔が険しく歪む。


少し緊張が走った。

森の緑臭の中に急に獣に匂いがした。

数十メートル先の木々の茂みがカサカサと揺れる……。

なるほど小動物だけなわけが無いか。

そりゃ肉食の猛獣も蛇などの爬虫類もいる

だろう……。それらといったいどうして対峙したらよいのだろうか……。

ディアナは銀色の長い杖を強く握り構えた。



「あっ!!」


次の瞬間大きな銀色の獣が走り向かってきた。逃げる間もなく声すら出ない。思わずディアナの方を見ると……え?満面の笑み?


「メルト!!」


「ウォン!!」


銀色の犬?いや…あれは狼?がディアナによって来てじゃれついて、彼女はそれを宥めるように優しく撫でる。


「ディアナ?」


「タケル、このは昔兄さんが助けたオオカミなの。だから大丈夫よ。」



ディアナのその屈託の無い笑顔を見ていたら、心底ほっとした。「姫」と言う肩書きがあるだけで…彼女は普通の女の子なのだと感じた。

そう思うと尚更彼女を救いたいという感情が膨れ上がってきた。


翳りの中の愛されるべく優しさ、

優しさは人の心を救うかもしれないけれど

優しさはじぶんの足元をすくうかもしれない……。

それは教えられる事ではない。

本人が気が付かなければ意味のない事だ。





「おーいディアナー!!」


そこに背の高い紫紺の鎧を身に纏った騎士が走ってきた。歳の頃は僕とそう変わらないように見える。どうやらディアナの知り合いらしい。



「カイン!どうしたの?何してるのこんなところで。」



「どうしたもこうしたもあるかよ!!

お前が帰ってこないってんで、アルのやつが心配してな……で、一体こいつは誰だ?」


と鎧の背中にある長い物を振り回した。

よく出来た竜?の尻尾みたいだった。

何か武器だろうか?


「カイン……ちょっと一言では説明出来ないわ。月の祠で意識を失っていたのよ。一度城に帰って休ませてあげたいの。」



「お前そんな得体の知れない男?を簡単に信用して城に連れ帰っていいのかよ?」



「大丈夫よ。」



「大丈夫って何がだよ。」


「何がって大丈夫なものは大丈夫よ。」


「ったく…いったい何を根拠に大丈夫って言ってるんだよ。俺はお前の護衛も任されてるんだ。何かあったらどうすんだよ。」


少ししつこい問答に、少し怒りながらディアナが言う。


「私がそう思ったんだからなの!!」


ディアナの怒りを物ともせずに逆に紫紺の男が荒い声をあげる。


「そんな理屈通るか!!」


すると今度はひどく悲しげに目を潤ませて彼女は続ける。



「カイン……。私のいう事が信用出来ないわけ……?信じてほしいのに……クスン。」



「ぐっ!!わかった!!わかったよ。だからそんな目で見るな。けどなんかあったら容赦なく叩き切ってやるからな!!」



と僕の方を指差した。



「で……まじめな話お前は誰なんだ?」



「はい。僕は時任尊といいます。何者でもないですけど、ただ……この世界に迷い込んだであろう?女性を探しています。」



「なんだその、『この世界に』ってのはよ。他の国の人間なのか?」


「いや他の国の……というかどうだろうか?

言ってみれば他の次元の人間という事になるかな。」



「何だそりゃ?やっぱりさっぱり意味がわかんねー。俺はこのAZUL騎士団の『カイン』ってんだ。とりあえずこんなところで、素性の探り合いは意味がねー。ディアナが信じろってんならとりあえずは信じてやるよ。

来た道を戻ればアルとも出会えるだろうから、詳しい話はそれからだな。」

 


「そうね。なんだか空も翳ってきたし少し急ぎましょう。」



空を見上げると雲一つなかった蒼空が少し薄暗くなりかけていた。

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