第33話 風のような少女(四)
本当に、
「そりゃ、いるけれども」
「だったら、君は別に一人でも何でもないじゃない」
「そうかも、しれないけれども……」
「何回も使い古されたようなことを言うけどね、『君は自分の周りに壁を作っている』ってやつだよ。確かに、君の周りには、君のことを何らかの理由で嫌っている人がいるのかもしれない。おおかた、都会からの移住者が調子に乗りやがって、みたいな恨みだろうけれど」
「……そこまで分かるのか」
「ええ。実際、そういう目でというか、一歩引いたところから私を見てくる人は何人かいたからね。でも彼らは、数も大して多くないし、権力で私たちのことを隅に追いやれるほどの立場にある人間でもない。それに、彼らの方だって、そうしたくてそうしているようにはあんまり見えなかったんだよね。誰かに指示されているような。まあ、きっと親か誰かに『あの家の子には近づいてはなりません』みたいなことを言われているんだろうけど。いまどき古いよねそういうの。親の世代にはまだああいうのが残ってるんだね。今は『村八分』的な思考に至る人の方が少数派だと思うのだけれど……。そう、だからまあ……違ったら申し訳ないけど、君は世間でよく言われるいわゆる『いじめ』の典型的な仕打ちを受けてきたってわけじゃないと思う」
「まあ、確かにそうだね。暴力や嫌がらせの類は、そんなに受けた覚えがない。その点は、まだ幸運だったかもしれない。とはいえ、その『彼ら』のせいで、僕の周囲に近寄りがたい壁が出来てしまったのは事実だと思うけどね」
危なっかしい転校生に注意をしてやるつもりが、かえって言いくるめられるというか、教え諭されるような形になってしまっているような気がする。自分がこれまでなんとなく感じていた苦悩のようなものを、彼女は冷静な観察でもって解き明かしてしまった。しかも、それが単なる杞憂に他ならなないとまで言われてしまっているような気がする。なんとも情けないことだが、同時に、数馬の心の中にそれはもう随分と長いこと居座っていた一種の
「なるほどね。まあ、それは否定しないよ。でも、そのせいでさらに自分の殻に籠っていった君がいたのも事実だと思うんだよね。私がこの「仕事」を引き受けたのは、『まだ見ぬ同級生を探すべく、探検隊は檜原村の奥深くへ向かった……』的なノリだけど、他の人はその一歩目を踏み出す勇気が出なかった。つまりは、そういうことだよ。でもまあ、もしかしたらそれも逆に良いかもしれないね? 他人と自分で一緒に作る心の壁、裏を返せば実質的には最高に仲良しみたいなもんだ! みたいな」
そればかりか、場を和ませておくのも忘れないときた。人格の方に色々と著しい問題があるような気はするが、この子には敵わない。なんとなく、そんな感じがしていた。
「時々、何を言ってるか本当に分からないな」
「うーん、そろそろ私の冗談にも慣れてきた頃だと思ってたんだけど……」
「冗談だったんだ、ここに来たときのあのテンションからして、元々そういう人なのかと」
「な、失礼な……。あれは慣れない敬語モードで若干ヒートアップしてただけだから。本当はこういう、いたって真面目で聡明で美麗で妖艶で……」
「少なくとも、真面目には見えないのだけれど」
「それって、聡明で美麗で妖艶ではあるってこと⁉ ありがとう! 君は見る目がある!」
「……」
ため息は、
「ごめんごめん、ちょっと
彼女は、先ほどまでお
「うん……ありがとう」
思えば、数馬の口からは素直な感謝の言葉が出てきていた。この少女は、明らかにふざけていて、大抵の場合は考えるよりも先にものを言っているようだし、他人のパーソナルスペースを、物理的にも精神的にも侵食してくるような厚顔無恥な人だ。しかし、四年弱の小学校生活においていつの間にか他人との「壁」が出来つつあった少年・樋里数馬にとって、その壁を越えてまで彼との関わりを持とうとするような人は初めてであった。
彼女は言っていた。
『大丈夫! たくさん人がいればノリが合う人は誰かしらいるはず!』
檜原小学校、全校生徒五十人。一時は三十人を下回ったものの、少しずつ回復していき、今に至る。人間関係自体の絶対数が限られる中、当然学年の壁を超えた交流は活発に行われていた。数馬もまた、まだあどけなさが残る後輩たちのことをよく可愛がり、そして慕われてもいた。高学年の先輩にも、概ねよく気に入られていた。もちろん、それは数馬にとって心の拠り所の一つであった。
しかし、数馬とて年頃の少年の一人だったのであって、何よりも一番欲しいのは「同学年の友達」だった。しかし、男子四人、女子六人という人数構成の中で、男子三人はいつも仲良くつるんでいるし、そもそもこの時期は概して男女間の亀裂が深まっていくものなのであって、数馬が優等生であったとはいえ、広がっていくその距離を埋めるのは困難を極めた。
そして、数馬は一人にになった。コミュニケーション能力に著しい問題があったわけでもなければ、鼻につくような高慢さがあったわけでもない。例え保護者から何か指図を受けていたのだとしても、同級生たちにはそれを拒む権利があった。バレなければいいのだから。だから、彼が「普通」に、友達の輪の中に入れる可能性も、当然あったのだ。しかし、誰もそうはしなかった。選択がいくつも積み重なって、辿り着いた結末。ただ、あたかもそれが初めから「運命」として決まっていたことかのように、孤独な人間に成り果ててしまったのだ。
しかしどうだろう、彼女は皆とは全く以って逆の選択をした。それは彼女が二十三区の生まれだったからかもしれないし、単になんともつかみどころのない「お道化っ子」だからかもしれない。しかしとにかく、彼女、戸倉伊奈は確かに、初めて数馬の手を取ってみせたのだ。
もちろん、こんな破天荒でふざけた人間と「ノリが合う」だなんてことは、仮に冗談でも言わない。でも、少なくとも、彼女が自分との意思疎通を試みているという事実は、彼女が言った「たくさん人がいれば——」の仮説を多少なりとも裏付ける根拠になり得るのではないかと、樋里はそう思った。
「へへっ、『のらりくらり捻くれ言い訳仙人』に感謝までしてもらえるなんて、流石に想定外だね。あっでも、『帰る場所』って普通に家のことだよね? ちょっとワードチョイスをミスっちゃったなあ~……。そうだ、もう一回! もう一回今の言わせてもらえない⁉」
「……やっぱり、さっきの感謝は撤回しておこうかな」
「ええっ⁉ 流石にそれはないでしょ! 酷い! やっぱり捻くれてる!」
「……冗談だよ、冗談」
「……なるほどね。なかなか、ノリ良いじゃん」
数馬は、微かに笑みをこぼした。静かな池に、朝露が零れ落ちるように。こうして、多少強引であったとはいえ、数馬の顔には笑顔が取り戻された。これは確かに、伊奈だからこそ成し得たことだろう。
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