第32話 風のような少女(三)

「それで……ここまでの大騒ぎをしてまで、僕をこの部屋から引き摺り出そうとしたのには、それ相応の正当な理由があるんだよね?」

「え? 理由? それはまあ、もちろん……もちろんあるわけなんですけどね? というかそもそも、引き摺り出したというか、私たちは今あなたの部屋でお話をしているわけで、どちらかといえば私が部屋に引きずり込まれたような形になっている気がするわけではあるのですけれど」

「……はぁ」

 数馬は、これ以上ないくらい露骨に、呆れの溜息をいた。性格や趣味の相性とか、馬が合うとか、そういったこと以前に、根本的なすれ違いというか、分かり合えない部分があるように思われる。こんな人と一緒に仲良くお話したらいいんじゃないなどと言われても、正直なところ、無理があるというものだ。そもそも、諸々のことで思考のリソースはいっぱいいっぱいだし……。

 そう、数馬は今、伊奈と同じ部屋——さらに言えば、彼自身の部屋に二人きりの状態であった。あのあと、よく分からない空気感の中で、叔母さんが「えーっと……一応、数馬くんに会うためにってことで二階に上がって来たってことだから……どうする?」みたいな曖昧なことを言ったのに対して、伊奈が「そうですね、私は——そもそもこんな急に、無理やり呼び出したのですから、そのままサヨナラなんてことをしてもどうしようもないし、単純に考えて無意味で失礼な気がします」と「正論」で応じて……なんやかんやで、二人仲良くお話をということになったのだった。

 もちろん、「二人で」ということなので、部屋には数馬と伊那以外には誰もいない。まだ十歳の二人ならば問題はないという判断なのだろう。

「なんで黙っちゃうんですか! アレですよ? とりあえず一回実際に会ってみて、のらりくらり捻くれ言い訳仙人だったらちょっと物申してやろうかなとかなんとか思ってただけなんですから!」

「で、僕がその『のらりくらり捻くれ言い訳仙人』だとでも?」

「まあ、その喋り方からするとそうなっちゃう気がします」

「うーん……」

 数馬は言葉を失う。彼女の言っていること——あるいは、これから言おうとしていること——は、まさに「正論」としか言いようがないことだろう。喋り方がどうのと言われるのははっきり言って癪に障るが、確かに「あれ」以降、自分の性格がどんどんどんどん歪んで捻くれたものになってきているのは確かに感じていたし、自分の今のこの状況が「言い訳」の産物でしかないなどと指摘されてしまえば、もはや返す言葉もない。この女は遠慮がない分、確実に痛いところを刺してくるのだ。叔母さんが、ここまではっきり物を言う子を自分の前に送り出してきたのも不思議な話だが、この性格を見ると、単に押し切られてしまったのだろう。

「あっ、いえ、別に良いんですよそれは」

「どっちなのさ……まあとにかく、その敬語はやめてもらってもいいよ、どのみち失礼なんだから」

「そう? じゃあお言葉に甘えて」

「躊躇いみたいなものは、本当に一切ないんだな……」

 考えるよりも先に、ツッコミとも違う、何かもっと根源的な感覚の「表象」としての言葉が出てきた。それは嫌味であったかもしれないし、はたまた感心の言葉であったかもしれない。

「まあ、思い切りの良さでは誰にも負けないし?」

「他人の部屋にズカズカと土足で入り込んで来るその姿勢は流石に直して欲しいのだけれど……」

「靴脱いでたんだけど⁉️」

「……はぁ」

「溜息吐きすぎ! そうだよ、話が逸れてたけど、君はなんで——」

「こんな風に引きこもってるのか、って?」

「そ、そうだけど……」

「君は転校生だっけ? クラス内での僕の扱いとか、どうして学校に行けなくなっちゃったのかとか……どのくらい知ってるの?」

「そういう尋ね方をされたんなら遠慮なく言うけど……」

 ようやく真面目な話に移ってきたのに、今までは遠慮してたのか、というツッコミが喉を出かかったが、あと少しというところでなんとか止めた。

「ご両親が亡くなったんでしょう、出張かなんかだったら申し訳ないけど」

「……知ってたのか」

 驚きを隠しつつ、数馬は言う。まあ、大方、叔母さんが色々と大事なことを話してしまったのだろうと思うが……。

「いいえ? 小母さんの語り口からしてきっとそうなんだろうなって思っただけ。『うちに来ることになってから』とかなんとか言ってたし」

「そうか……まあ、別に隠しておくつもりもなかったし、むしろ説明の手間が省けてありがたいかも」 

「へへ、私の推理力の高さに感謝するといいよ」

 どうやらこいつは、褒めるとすぐに調子に乗るタイプらしい。先ほどの、遠慮というものを微塵も感じない態度も合わせて考えると——正直言って、なんだか危なっかしく見える。

「……初対面なのにそこまではっちゃけてて、そんなんでも友達はできるのかい?」

「初手タメ口の人には言われたくないけどなあ〜! でも大丈夫! たくさん人がいればノリが合う人は誰かしらいるはず!」

 満面の笑みに両手グーサインという、「いかにも」という感じのポーズで、彼女は即答した。それが彼女の人生のモットーであり、プレイスタイルなのだろう。しかし、この世界がそんな単純なもので簡単に突破できるほど甘く作られていないということを、数馬は既に知っていた。

「ポジティブなのは良いことだけど……ここは多分、君がいたところよりもずいぶんと人の少ない地域だと思う——そういえば、ここに来た経緯を訊いてなかったな、というか、君はどこから来たの?」

「ん、東京」

「……ここだって一応東京都内ではあるんだけどね」

「わ、そっか、ごめん。東京っていうか、二十三区って言った方が良いか。とはいっても、杉並区だけどね。ここに引っ越してきたのは、単純に親の都合だよ」

「そうか、じゃあまあ、似たようなもんか……」

「ん? 君もあっちから越してきた人間なの?」

「いや、そういうわけではなく……両親が結婚に際してここに移り住んだみたいなんだよね。以前やっていた仕事を辞めざるを得なくなって、それこそ叔母さんもいるからってことで、逃げるようにしてここに、って聞いてる」

「それは……だいぶダサいね」

「僕が思っても口に出さなかったことを平然と言ってのけたね。やっぱり君は、いろいろと気を付けた方が良いと思うよ。そんなんじゃあ、ここの人は離れていくばかりなんじゃあないかな。ただでさえ——」

「ただでさえ転入生なんだから、って?」

「……察しは本当に良いんだね」

「そりゃあ、一応こっちの学校に通い始めてから十日くらいは経っているわけだし、ねえ? 君は随分と心配しているようだけれど、私に話しかけてくれる人はそこそこいたよ? まあ、転校生補正っていうのもあるのかもしれないけれど、それにしても、そこそこ好意的な反応だったと思う。君は、自分のことを『仲間外れ』だと思っているんじゃないかな。小学校版村八分、ってね。でも実際のところ、君に話しかけてくる人はそこそこいると思うんだよ」

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