第20話 八千代エスケープ

「なるほど、共闘、ですか……」

「ええ、正確には、日本政府の側について、東京二十三区地域の奪還に協力していただきたいのです。『東京国』なるものも、所詮は一時的なクーデターの産物に過ぎません。あくまで、都知事の企てが一時的に成功しているだけ。ですから、最終的には滅びゆく運命なのではないかと、個人的にはそう思うのですが……どうでしょう?」

 区長は、例のポーズを取って、長考を始めた。

 樋里は——いや、八千代や押立、金森を含む樋里らは、祈るようにして答えを待った。

 そして、二分ほどして、永遠にも感じられる沈黙の時間が終わった。

「なるほど、確かに合理的です。——その提案、呑みましょう。我々は、停戦を誓うとともに、皆さんに全面的に協力することを、約束いたします」

「……ッ! 本当に、ありがとうございます!」

 樋里は、ほっと胸を撫で下ろした。他の皆も、安堵した。


 ——八千代、彼女ただ一人を、除いては。


「ご……ごめんなさい!」

 そう叫んで、八千代は、彼らがやって来た方向へ走って行ってしまった。

「ちょ、八千代ちゃん⁉ どこ行くのさ!」

 長沼が咄嗟に呼び止めるも、彼女は振り返ることもなしに走っていく。

「な、あなた方、一体彼女に何をしたんです!」

 金森は疑いの言葉を浴びせる。

「いえ、我々は一切何もしておりません! 彼女自身の問題でしょう……!」

 区長はそれを否認する。

 緊張が弾けてしまったのか、あるいはやはり耐えられなかったのかは、樋里にも分からない。しかし、このまま放っておくべきではないということは、すぐに分かることであった。

「す、すみませんが……僕は彼女を追いかけます! 残りのお話は、また後ほどということで、よろしくお願いいたします!」

 そう言って、樋里は八千代を追うべく走り出した。

 しばらく行くと、八千代が交差点を左折しているのが見えた。数十秒くらいの差でその交差点を通過し、左に曲がる。そしてさらに数百メートル進んだところで、さらに左折。

 しかし、その角を曲がっても、八千代の姿は見当たらなかった。左手を見てみると——そこには神社があった。武蔵野八幡宮だ。どうやら、八千代はそこに入ったらしい。

 樋里は、境内に入った。参道を、早歩きで進んでいく。樋里は変なところで律儀な人間であったので、参道はいつも端を歩くことにしていた。

 そして、拝殿のあたりまでやって来たところで、地面に蹲っている一人の少女を発見した。

 八千代だ。

 恐る恐る近付いていくと、樋里はあることに気が付いた。

 ——彼女は、泣いていたのだ。

「や、八千代……急に走って行っちゃって、こんなところまで、一体どうして」

「樋里さん……⁉ ご、ごめんなさい、急にいなくなったりなんかして、私、私……」

 八千代は、嗚咽交じりの声でそう言った。心底、申し訳なさそうに。

「大丈夫、大丈夫、極度の緊張感に襲われることは誰だってあるし……でも、もう交渉は成立したんだ、ひとまず目の前の危険は去ったんだ、だから、もう大丈夫、安心して」

「いえ、その、そういうことではなくて……!」

「……どういうこと?」

「すみません、それは言えなくて……でも、こんな勝手な真似、赦されませんよね……。だから……本当に、ごめんなさい……!」

「分かった——いや、正確にはよく分かっていないけど、とにかく、無理はしなくていいし、責任を感じる必要もないから、とりあえず、まず一回落ち着こう、今は焦る必要もないから、大丈夫、本当に、大丈夫だから」

「……はい、ありがとうございます……」

 そうして、八千代の泣き止むのを待った。無線にて、八千代の無事を報告する。

 五分ほどすると、依然として地面を見つめてばかりではあったが、八千代ももう落ち着いた様子であった。

 しばらくして、八千代が何か決心したかのように話を始めた。

「あの、樋里さん、私——」

 いや、のだが——。

「樋里さん、聞こえますか! た、大変なことが!」

 無線から、聞き覚えのある声が聞こえた。この、特有の上ずった不安そうな声は——箱根崎だ。

「一体何が? まさか、僕が居なくなったタイミングを見計らって隊員を捕縛したとか?」

「いえ、違います、実は——」

 いつにも増して焦ったような声で、箱根崎は言う。


「練馬の奴らが、攻めてきたんです! 今すぐに戻ってきてください!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る