第21話 練馬軍、来る

 練馬の軍勢が一斉に攻め込んできた——それは、あまりにも突然の知らせだった。

 杉並軍との交渉の日に攻撃を仕掛けてきたのは、偶然だろうか、それとも計画的なものだろうか。あるいは、自分が居なくなったタイミングを見計らって攻め込めるよう、あの「交渉」ははじめから「罠」として設計されていたものだったのか——いや、仮にそうであるとすれば、タイミングよく逃げ出した八千代もと考えるのが妥当ということになってしまうから、その線はないと思われるが——はたまた、か。区長の指揮で動いていることを考えれば、「東京軍」は区単位で動いている可能性が高いと思われるので、あり得ない話ではない。それにしては、バレるまでの時間がかなり短いような気もするが——。

 ともあれかくもあれ、今為すべきは現場に急行すること、それだけだ。

「了解、すぐに参ります」

 そう無線に告げ、樋里は八千代の手を引いて走り始める。練馬の兵があのあたりに攻めてくるとすると、やはり善福寺公園の方面からであろうか。そもそも東京女子大自体が杉並区の端に位置しているから、杉並区と共闘するにあたって、今後あそこを拠点として用いることは難しくなるかもしれない。いや、もちろん、練馬と杉並が共謀して我々を騙くらかしてのけたという可能性も否定はできないのだが、よしんばそうであったとしても、我々に手出しできるはずがあるまい。まだ、間に合うだろう。

 そうして樋里は、女子大までの道をものの数分で駆け抜けて、現場に到着した。

「お待たせしました! 今の状況は!」

「おお樋里くん、来てくれたか! 練馬方面から武装した市民兵が百人以上やって来ていて——」

 押立が話を始めた瞬間、辺り一帯に轟音が鳴り響いた。

 練馬軍が本格的に攻撃を開始したようだ。

 桃井区長が、咄嗟に前に出て叫ぶ。

「おい、何をしている! やめろ! 何を考えているんだ!」

 区長にとっても、この状況は予想していなかったものであったようだ。

 しかし、その抗議の声もむなしく——。

「うわッ! 何故——」

 丁度区長の方目がけて、銃弾が飛んできた。すんでのところで当たらずに済んだようであったが、これはつまり、練馬の市民兵は、杉並区長にも——ひいては、杉並軍にも明確な殺意を向けているということだ。

「何故、我々を敵と見做みなしている……⁉」

 桃井区長は、絶望に満ち溢れた表情をしていた。老年の男のその顔は、妙に強く印象に残った。

「バレてしまったものはもう仕方がありません。桃井さん、約束通り、『共闘』していただけるんですよね?」

 樋里は、あくまで冷静な口調で、協力を仰いだ。

「ええ、もちろん——練馬の輩どもを、退散させようではありませんか」

 こうして、吉祥寺義勇軍と練馬軍との協力関係が、奇妙な形で幕を開けたのであった。

 すると、練馬の兵の中から、一人の男が出てきた。

「しかし区長、あなたがここに残るのはあまりに危険です。ひとまず身の安全を確保した上で、後方からの指示、そして増援の要請をお願いできないでしょうか」

 至極全うな意見だ。よわい六十四にして前線に立つというのは、流石に無理があろう。桃井区長の方も納得して、区長とその護衛の数人だけはいったん退避ということになり、増援要請も約束された。

「それでは——こちらのことは、お願いいたしましたよ、樋里数馬先生」

 区長は、そう言い残して、急いで去って行った。

 そう、ここで今現場指揮が執れるのは、樋里ただ一人だ。

 自衛隊を返り討ちにするほどの「東京軍」の軍事力から想像するに、「東京国」側には相当な手練れの軍人と、経験不足であろう市民兵ですらも一夜にして実力者に変えてみせるほどの「教育システム」、あるいは高性能な大量の武器を有しているのだろう。そう考えると、杉並の市民兵を活用するほかに有効な手立てはほとんどないと思われる。の方も大部分が市民兵のみで構成されていると仮定すると、増援さえ来れば、数で押し切ることができるだろう。時間稼ぎに成功さえすれば、勝機はある。

 樋里は、吉祥寺の人々、そして杉並の市民兵たちの方を向く。そして一度、深呼吸をして、こう呼びかけた。

「皆さん、聞いてください。練馬から攻め込んできた兵の数は百人以上と聞いていますが、こちらにいるのは精々七十人といったところ。単純に数で負けていますから、相手が杉並と同程度の武装でやって来るとすれば、こちらにとって明らかに分の悪い戦いということになります。しかしながら、現在、桃井区長が増援を呼んでくださっています。これがやって来るまで持ちこたえることができれば、こちらにも勝ち目はあります。もちろん、敵の方も数が増えるかもしれませんが……とにかく、今ここで、練馬軍をここから追い出すことができなければ、我々は今後、かなり不利な状況に陥ってしまうでしょう。最終的には東京奪還を見据えているというのに、ここで情けなく負けるわけにはいきません。ですから、どうか——」

 性に合わない雄弁を振るいながらも、窮地に陥った時に特有の、ある種の興奮状態にあった樋里は、意識するまでもなく右の拳を突き上げて、勇猛果敢にも大声で一同の士気を鼓舞した。


「僕のことを、信じてください! この戦い、必ずや勝ってみせましょう!」


 力の込められたその拳には、汗が——それが緊張に由来するもの否かなどはどうでも良い——美しく、ただ美しく、ギラギラと光っていた。

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