第19話 杉並区長・桃井和泉(二)

 彼は強い、そしてその強さは、多分「区民への想い」によって生み出されたものだ。区民からの信頼に裏打ちされた「区民を守る力」。それが、彼の強みだ。

 だから、おそらく彼のこの発言は、半分建前だ。彼の本当の願いは、「区民をこれ以上戦闘に巻き込まないこと」なのであろう。都知事からの指示とともに、この目標までもを達成しようとしているのだ。加えて、「敵に弾丸を当てるな」という指示があったらしいことを踏まえれば、彼が本質的には平和主義者で、戦闘によって犠牲が出ることを望んでいないことがよく分かる。それに——「皆さんの方も」という言葉からは、彼らの方もまた吉祥寺付近における戦闘は避けたいと思っていることが読み取れる。そう考えれば、初日の戦闘で樋里らがことは自然なことであった。

 だとすれば——解決の糸口は、ここにあるかもしれない。つまり、「余計な戦闘はどうしても避けたい」という最優先事項を、逆に利用してやるのだ。もちろん、これが最適な選択ではないだろう。樋里は、一世一代の大勝負に出るような気持ちで、「反撃」を始めた。

「桃井区長、あなたは……嘘を吐いていますね?」

「ほう……それは、どういう意味でしょうか」

「今、あなたは、『吉祥寺を手に入れること』は『甘んじて捨て去ることのできない願い』であるとおっしゃいましたが——それは違うでしょう。あなたには、もう一つ、もっと大切な願い、あるいは目標がある。それは——『区民を守ること』です」

「……はあ。何を言い出すのかと思えば、そんなことですか。それは、自治体の首長としては当然の想いであって、しかも、吉祥寺の件と両立し得ないようなものでは——」

「ええ、そうです。あなたはそれを両立させようとしている。この『交渉』によって。あなたは当初、余計な戦闘は極力避けつつも、最低限の威嚇——ここであなたは、『誰も傷付けるな』と指示したそうですね——で我々を追い出そうとしたが、退却を選択した。これは、都知事の方からの指示だったのですね。彼女の、この一見矛盾したような『無茶振り』にさぞお悩みになったことでしょう」

 樋里は、ひとつひとつ、慎重に言葉を紡ぐ。隣にいる八千代を横目に見ると、まるで自分のことのようにソワソワしている。

 区長も、負けじと反駁する。

「……なるほど、築地ついじ都知事の命令についてはご存知なのですね。ええ、そうです。奪還にあたって都知事が課した条件は『吉祥寺を傷付けないこと』。正直言って、力ずくの戦法では、それを守りつつ任務を遂行することなんて出来るはずもありません。最初のアレはダメ元というものですよ。それゆえ、こうして理性的な対話によって解決しようとしているわけです。だからこそ、さっき言った通り、こちらが強硬手段を取らずに済むように、吉祥寺を明け渡していただきたいのです」

「そうですか……」

 樋里は考える。都知事の命令が絶対であるならば、やはり吉祥寺で血みどろの戦いを行うわけにはいかないだろう。だから——仮に交渉が決裂したとしても、彼らが攻めてくることはないのではないだろうか? そして、「吉祥寺で戦闘を行いたくはない」「人を不必要に傷付けたくない」というのが、彼ら全員の——もちろん、一般的な市民感覚を有していれば、の話であるが——願いなのではないだろうか? このように考えれば、リスキーではあるが、こちらから言うべきことはただ一つだ。

「桃井さん、あなたは?」

「突然何を……まあ良いでしょう。もちろん、私は好きですとも。杉並区からは中央線で数駅と微妙な距離感ではありますが、私も若い頃にはよく吉祥寺に遊びに行ったものです」

「では、『吉祥寺に傷を付けたくない』という点においては、都知事と同意見ということでしょうか」

「ええ、まあ、そういうことになるでしょうね」

「なるほど、それは良かったです。安心しました。と、言いますのも——」

 樋里は、一度息を入れた。

「私に言わせれば、我々にとっての『吉祥寺を守る』とは、必ずしも『吉祥寺で戦闘を行わないこと』であるとは限りません」

 区長は、怪訝そうな表情を浮かべる。ついて来ていた味方からも、少々困惑の声が聞こえたが、樋里はそれを気に留めず話を続ける。

「我々、吉祥寺の義勇軍は、吉祥寺が敵の手に落ちることを阻止すべく結成された集団です。ですから、たとえ吉祥寺の中心部にまで攻め込まれたとしても、我々は最後まで戦い続ける所存です。昨日も同じようなことを言いましたが……少なくとも私は、どんな形、どんな側面であっても、この『吉祥寺』という町のことが大好きなのです。ですから——あなたの話を聞いて、安心しました」

「……と、言いますと?」

「あなたは、都知事からの命令とその想い故に、吉祥寺中心部での大規模な戦闘を行うことができない。しかもあなたは平和主義者で、決して人を殺さない——いや、殺させない。つまり、仮に我々があなた方の提案を拒んだとしても、あなた方は我々を攻撃することができない。だから、安心したんです。もちろん、提案を呑むつもりは全くございません」

「なッ……」

 桃井区長は、いかにも図星を突かれたという様子であったが、それを取り繕おうと、さらに反駁した。

「我々が、皆さんが身体的な外傷を負わないように配慮していたのは、あくまでこれまでのこと。平和的解決を拒むというのなら、何度も言っているように、全面戦争を仕掛けるということも当然あり得るわけですぞ! 忘れることなかれ、我々は『東京軍』なのであるということを——」

「いえ、それならばもっと手っ取り早い方法があるじゃないですか」

「何です! どうぞ言って御覧なさい!」

「吉祥寺に傷を付けず、ケガ人も出さず、これ以上区民を戦闘に巻き込まない方法……まず第一に考えられるのは、今ここで行われているような『交渉』でしょう。しかし、これらを同時に満たし得る方法はもう一つあります。それは——です。我々が『取引』を拒めば、その場で拘束してしまえばいいのです。吉祥寺の制圧にあたって邪魔くさい『吉祥寺前線基地』の人間を一掃することができます。あなた方の方が、動員できる人間の数では一枚、いや二枚ほど上手うわてですから、それほど難しいことではありません。残党の支援役を蹴散らすのは容易でしょう。しかし——あなた方は、敢えてかうっかりかは分からなないが、それを行わなかった。だからですよ。まあ、我々の方も、あなたの性格からして、拘束なんて物騒な真似はしないだろうと判断したために、ここまでのこのことやって来たわけですが」

「……」

 区長は、何も言わなかった。

「そこで区長、我々からご提案があります」

「どうぞ、言ってみなさい」

「我々は、吉祥寺を『東京国』に明け渡したくはない。あなた方も、吉祥寺を傷付けたくはない、そして必要以上に人を傷付けたくはない。ここから考えれば——双方の利害が一致する選択が、一つだけあると思うのです」


「桃井和泉区長。吉祥寺義勇軍われわれと、共闘しませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る