第6話 逃避、そして邂逅

「一体全体どうなってるんです! あれだけ威勢のいいことを言っておいて——撤退とは何事ですか! 今回は何故かあちらが深追いしてこなかったから助かりましたし、本当に奇跡的なことに負傷者も誰一人いませんでしたが——こんな事じゃあ、『吉祥寺を守り抜く』どころの騒ぎじゃあありませんよ! あちらの兵力が想像以上であったことは認めましょう。しかし、それにしてもあなたは弱かった。やはり政治家先生に『指揮』は無理だったんじゃありませんか? 違いますか?」

 激しい憤りをあらわにする金森の声が、お通夜ムードどころではないくらい重苦しい空気に包まれているショッピングモールに鳴り響く。そして、また樋里はまた、返す言葉もなくただ佇んでいる。再び嫌な静寂が訪れる。しばらくして、見覚えのある男性が、恐る恐る発言する。

「あの……あまり責めるのもやめてあげてくれませんか。あなたの班は直接見ていないから分からないかもしれませんが、あそこは本当にこわかったんです。あの弾丸の雨の中で正気を保っていられる方がおかしいですよ。僕も、思わず腰を抜かしてしまって——そんな時に咄嗟の判断で助けてくれたのは彼なんですよ。まだやって来たばかりのただの政治家に信頼が置けないのは理解できます、でも、少しくらい信じてあげたって良いと思うんです。それに、あの判断は至極全まっとうで——」

 彼は、先ほど助けた男性だった。周囲から怪訝な目で見られていることに気付いたのか、擁護の言葉を止め、樋里の方へ近づいて行って、「僕は箱根崎南平はこねざきなんぺいと言います。今は色々大変だと思いますが——頑張ってください」とだけ言って、元居た場所へ戻っていった。

 辺りを見回す。今は、あの押立でさえ、心底申し訳なさそうに顔を伏せている。励ましの言葉をかけてもらえたとはいえ、樋里はかえって虚しくなって、

「すみません、庇ってもらったところ申し訳ないんですが……どんな事情があれ、敵の強靭さを見誤ったのも僕、撤退を判断したのも僕です。政府派遣の代表者として、ここはしっかり責任を取って——」

「うお、すげー政治家っぽい発言……」

 反射的に漏れ出たような声が聞こえた。声の主は、あの、なんだか飄々とした感じの女性——長沼だ。

「あっゴメン、声出てた……うーんまあなんつーか、そんな責任とか遺憾の意とかそういうのは全然言わなくていいから、今回は何もなくてラッキー、って感じで、次からは作戦も兵力もガチガチに固めていこー、くらいでいいと思うんだよね、そう、個人的には? みんなもそうじゃない?」

 長沼は群衆に反応を求める。「うーん……」といった感じの声がぽつぽつと聞こえてくる。

「えーマジかあー……そういう感じなのね? いや、でも、だからなんつーか……」

「すみません、もう大丈夫です……ごめんなさい、本当に。でもとにかく、ここで謝罪させて頂かないと気が済まないというか何というか……」

 腰に閉じたてのひらを添える。ほとんど直角に近いような角度にまで腰を折って、謝罪の言葉を口にする。

「この度は……私の失態によって皆さんに多大なるご迷惑をおかけしてしまい……大変申し訳ございませんでした……ッ!」

 心からの謝罪の言葉だった。義勇軍の人々は、政治家とは上辺うわべだけの謝罪で事を済まそうとするものだとばかり思っていたから、彼の誠意に驚きを隠し切れない者もあったのだが、彼は下を向いていたから、そんなことには気付きもしなかった。

 そして、永遠にも感じられるような気まずい静寂の中、数十秒が経って、ようやく彼は顔をあげた——かと思えば、

「すみません……少々、失礼します」

 そう言って、建物の外へ走って出ていってしまった。

 押立も、金森も、長沼も、箱根崎も、誰も彼を止めなかった。いや、止められなかった、というのが正確だろう。もちろんそれは、彼が一瞬のうちに走って行ってしまったからなどではない。彼の無力感が、自分たちの感じているこの底無しの絶望よりもずっと、想像もできないほど深いのだということを、無意識のうちに感じ取っていたからだ。




 樋里は、建物を飛び出て、しばらく走ったが、ほどなくして立ち止まった。冷静になったわけではない。彼を先ほど突き動かしてしまった、文字通りの「たまれなさ」は、まだ腹の中にぐるぐると蜷局とぐろを巻いている。それに加えて、子供の家出のようなことをしてしまったという、自らの精神の幼稚さにも激しい嫌気が差していた。吐き気を催すほどの嫌悪感だ。樋里は、歩くことにした。それを紛らわすためにだ。

 樋里は、なんとなく中央線の高架下に入った。気分が沈んでいる時には、今すぐにでも明るい気持ちになりたいというのに、なぜか暗いところに行きたくなってしまうものだ。心の闇を癒すものは、光ではなく闇なのだと錯覚する。樋里もその例外ではなかった。だから、薄暗い高架下へ歩いて行ったのだ。

 吉祥寺付近における中央線の高架下は、そこはかとなく不気味な場所だ。駐車場を通り抜けていく。もう人が逃げて行ったからか、車はほとんどいない。だが——あの混乱から一夜が明けて午後三時半。それだけの時間しか経っていないのに、無造作に扉の開いた車もあれば、窓が割れている車もある。目が覚めた後の自分が発狂せずに済んだのは、運が良かったのかもしれない。そんなことを思った。

 さらに進むと、駐車場区間は終わりとなる。その後は、何もない空間が、金網で何回かにわたって隔てられている。どうやら、スケボー対策らしい。ここは住宅街のすぐ傍だから、苦情が来ると困るのだろう。まあ、今は誰一人家にはいないだろうが。しかし、こういった場所に来ると、「高架下活用」などというのが、所詮は立地の良い区間でしか出来ないことなのだと実感する——そんなことを考えながら、奥へ奥へと進んでいくと——。

 なんと、公園があった。「中央高架下公園」。薄暗くて不気味な高架下空間に、「普通の公園」と全く同じような遊具が並んでいる。都会ゆえの奇妙な光景だ。こんなところでも、子供は元気に遊ぶのだろう。例えば、あの滑り台を——。

「……⁉」

 脳内で独り言を言いながらトボトボと歩いていた樋里の目に、衝撃的な光景が映った。

「人がいる……!」

 走って滑り台に近付いていく。そこに座っていたのは——少女だった。見た目から推測するに、十四歳くらいだろうか。

「大丈夫ですか!」

 少女は何も答えなかった。

 悪夢にうなされているかのように、ただ苦しそうに眠っていた。

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