第5話 吉祥寺ヲ死守セヨ

「武蔵野市が二十三区の内で面しているのは、練馬区と杉並区。つまり、北から東にかけての全方位からの侵入を警戒しなければなりません」

 樋里は作戦について説明する。聴衆からは、「んなこたぁ分かってんだよなぁ……」といった声が聞こえる。険悪なムードに呑み込まれないように、彼は説明を続行する。

「敵がある程度の人数を送り込んでくると仮定すれば、侵入してくるであろう道路を絞り込むことができます。具体的には、練馬区に向かう道路一本と、杉並区に向かう道路三本です。これらそれぞれに、人を配置します」

 理解はしている様子だったが、やはり反応はまばらだった。


 ほどなくして、政府支援の武器運送車両が到着した。武器を受け取る。作戦決行前に、基地の全員を集合させた。

「改めて、我々の力で、吉祥寺を必ず守り抜きましょう!」

「……」

 もはや、反応はほとんど皆無と言っていいくらいだ。一方、これを金森がやるとこうなる。

「皆さん、早速ですがここが正念場とのことでね、それでは——気合い出して、行くぞォッ!」

「応ッ!」

 押立さんはともかく、金森さんは混乱の渦中にある人々をまとめ上げたんだから、やはり違うなあと、樋里は思った。


 遂に、吉祥寺防衛作戦が開始される。各班、持ち場に移動する。

 樋里のチームは、五日市街道方面に配置されることとなった。押立は井之頭通り方面を、金森は女子大通り方面を担当する。

 時刻は十二時半。いつ「東京軍」が攻めてきてもおかしくない状況だ。

 沈黙が訪れる。緊張が走る。晴れているにもかかわらず、空はなんだか不穏である。

 そして、午後一時。その沈黙が破られた。町中に響き渡る銃声。戦いの幕が切って落とされたのだ。

「樋里班から各隊、東京軍が攻撃を開始しました、どうぞ」

 無線でそう報告する。すぐに押立が呼応する。

「押立班から各隊、井之頭通りからも敵の軍勢が攻め込んできています、どうぞ」

 金森らからも返答が来た。どうやら、北側からの侵入はないようだ。ある程度兵力を集中させているらしい。

 戦場に注意を戻す。敵軍が一斉にやって来た——。


 かと思えば。

 

 すぐに轟音があたりを包み込んだ。銃声だった。一瞬にして、大量の銃弾が飛んできたのだ。とんでもない量だ。道路や建物、ガードレールなどに弾が当たる音も響いている。瞬間、「危ない!」そう叫んで、住宅街に入る通りに咄嗟とっさに身を隠す。隊員は無事だろうか——そう思っていると、大通りにまだ男性が一人、腰を抜かしているのが目に入った。

「早くこっちへ!」

 大声で呼びかけるも、男性は涙目で首を横に振っている。とても自分ひとりで動けそうには見えない。ならば仕方あるまいと、樋里は大通りへ飛び出した。また、ガードレールが銃弾を弾き返す音がする。そして、男性を抱え、すぐさま住宅街の方に逃げ込んだ。

「皆さん、無事ですか!」

 樋里は確認する。見たところでは、負傷者はいなさそうだ。しかし——これは奇妙なことだった。あれほどの集中砲火を受けて、誰一人、怪我一つしていないというのは、何とも不自然だ。

 そして、樋里はある一つの不可解な仮説に思い至る。

銃撃している……?」

 視認できた限り、敵兵は「昨晩の覆面武装集団」とは違い、自分たちと同じ有志兵のようではあったが、自衛隊を追い返したほどの軍事技術を持つ「東京国」側が我々に弾一つ当てられないなどということは考えづらい。

 その意図は到底図りかねるが——とにかく、「あれ」をまともに受けては、反撃どころではない!

 その時、押立の隊からも、絶望的な知らせが舞い込んできた。

「至急、至急、押立班から各隊、現在の状況での反撃は困難と判断、撤退します! どうぞ」

 作戦は——失敗に終わった。あまりにもあっさりと。本当に、あっという間に。

 苦虫を噛み潰したような顔をして、樋里は弱々しく、しかしはっきりと、こう言った。

「この圧倒的な攻撃を前に反撃するのは不可能と言っていいでしょう。非常に心苦しいですが……撤退しましょう」

 隊員の誰もが沈んだ表情をしていたが、その一方で誰もがその提案に納得していた。

 樋里は、無線に向かって報告する。

「至急、至急、樋里班から各隊へ、五日市街道方面も、反撃は不可能と判断! これより撤退を開始します。どうぞ」

「本部です、了解しました。撤退を開始してください」

 樋里の「走れ!」との合図のあと、樋里班は吉祥寺駅方面へ全力疾走した。杉並の兵も追ってくる。走った。走った。走り続けた。西へ、西へ、もっと西へ。通常、人間は数百メートルも全力で走れば息が切れるが、生きるか死ぬかの瀬戸際で、そんなことを気にしていたら死にまっしぐらだ。

 そして、数分走って、中央線の高架を潜り抜け、吉祥寺の中心街が見えてきた辺りで——驚くべきことに、追手の足が止まった。いや、それどころか、東の方へ退散していったのだ。

「ハァ……ハァ……た……助かったのか……?」

 ようやく足を止めて、樋里はそう呟いた。ありふれた物語であればこの発言は「フラグ」でしかなかっただろうが、その後も「東京軍」がこちらへやって来る気配はなかった。有り体に言えば彼らは、「見逃された」のだ。

 なんとも奇妙な「安心」に包まれた樋里班を、十一月の太陽がただ冷たく照らしていた。

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