第3話 押立是政の提案

 押立是政おしたてこれまさ。彼もまた議員の一人で、樋里と同じくかなり若手の方だった。「聖人エピソード」が数多く語られ、「政治家好感度ランキング」では殿堂入りを達成したことからも分かるように、誰にでも優しく接するが、樋里のことは特によく気にかけてくれていた。

「無事だったんだなあー! よかったよかった! 議員の大半が行方不明らしくてさ、本当に心配してたんだよ! いや、でもなんだかんだ無事でいてくれるだろうとは信じてたさ、樋里君は屈強な男だからな」

「ええ、おかげさまで。まあ、たまたま目が覚めたのが立川だったのが不幸中の幸いでしたね……」

「へえ、そりゃあ運がいい。とはいえ、さっき言った通り、『非東京人』議員は軒並み連中にやられていて、安否も場所も分かっていない。散り散りになったみたいでな。まだあの混乱の夜が明けただけだし。今ここにいても、出来ることは非常に限られているんだ」

 心底残念そうな顔で押立は言う。

「じゃあ、どうしましょう」

 樋里は、そう訊いてしまった。答えられるわけがないとは分かっていた。混乱の最中さなか、これからのことを見通せるはずがない。でも、だからこそ、何か道標みちしるべになるような答えが欲しかったのだ。

 そんな漠然とした問いに押立が返したのは、意外な答えだった。

「出来ることは、ある」

「えっ」

 樋里は驚いた。そして同時に、押立の冷静さに感服した。好感度ランキング殿堂入り政治家は、心の芯もしっかりしていた。

 押立は徐に口を開く。

「既に知っているかどうか分からないが、このたびの作戦で、自衛隊は壊滅的な被害を受けた。勢力を立て直すために、しばらく大規模な行動を行えない」

「ええ、それもニュースで見ました」

「しかし、それを知った市民たちの間で、既に『義勇軍』結成の動きがあるらしいんだ」

「義勇軍……ですか」

「だから……これはあまり大っぴらに言える話ではないが、政府はそれを支援しようとしている。例えば武器の支給なんかでな。それで、現場指揮のために自衛隊員を派遣しようとしているんだが——どうも人数が足りないらしい」

「まさか、そこまで深刻だとは……」

 樋里はうつむき加減になり、唇を噛んだ。

「そこでだ」

 押立はいつも通りの威勢を崩さず言葉を続ける。

「我々が現場に赴くってのはどうだ、ってことらしいんだ」

「我々……僕たちがですか⁉」

「ああ。安否が確認できている政府関係者が少ない以上仕方あるまい。どうだ、樋里君は乗ってくれるか? 別に拒否したって良い。身の安全を守るに越したことはないからな」

 樋里は葛藤した。

 樋里は、「地方格差——特に『多摩格差』——の是正」を訴えて当選した政治家である。檜原村出身で、幼いころから多摩地域のあらゆる場所を渡り歩いてきた。多摩のことなら、彼ほど詳しい者はなかなかいない。多摩への愛も、人一倍であった。

 それゆえ、今、『非東京人』が東京二十三区を追放され、虐げられている現状への怒りもまた、人一倍に強いものだった。

 しばらく考えたのち、遂に樋里は覚悟を決めた。

「是非、行かせてください」

 真剣な表情だった。その眉、瞳、口元、すべてに強い覚悟がにじみ出ていた。

「その答えが聞けると思っていたよ」

 押立は笑顔でそう言った。

「さて、じゃあ詳細について話そうか」

「はい」

「政府は、『東京軍』が吉祥寺を奪取しようと目論もくろんでいるとの情報を掴んだんだ。今日中には行動に出ると推測されている」

「今日中……⁉ じゃあ、今すぐ行かないといけないんじゃ……」

「ああ、我々が担当するのはその吉祥寺エリアの『義勇軍』を取りまとめることだ」

 押立はひとつ、大きな深呼吸をしてから、こう言った。

「『吉祥寺前線基地』に行こう、樋里君。総指揮は——君に任せよう」

「……!」

 それは、押立から樋里への期待そのものだった。重役を任されてしまったことへの不安などはどうでもよかった。ただ、喜びだけが樋里の中に湧き起こり、

「ありがとうございます!」

 その言葉だけが、口から出た。

 しかし、すぐにまた別の懸念事項が頭をよぎった。

「……とはいえ、ここから吉祥寺って、相当遠いと思いますが。鉄道も止まっていましたし……」

 そう言って樋里がグーグルマップを開いた瞬間、画面が切り替わった。見覚えのある顔。本能的に身の毛がよだつ。

 都知事だった。「昨晩」のように、不敵な笑みを浮かべて、彼女はこう宣言する。

「我々は今日、吉祥寺を手に入れます。昨日は失礼いたしました。多摩は東京ではないとはいえ——吉祥寺は『例外』です。吉祥寺が『完全な』東京にもたらすであろう利益は、計り知れません。故に、吉祥寺の掌握は急務です。必ず成し遂げます。それでは、ごきげんよう」

 樋里は気が動転した。周りが見えなくなった。息が荒くなった。どうしよう。多摩の民が蹂躙じゅうりんされるどころではない。多摩の地が侵略される! どうしよう、また為す術なく奴らの蛮行を許すのか。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……。

 しかし、すぐに押立の声がした。

「今すぐに行こう! 車を出す! 早く! 武器についてもすぐに手配する!」

 樋里は正気を取り戻した。そして、その声に答えた。

「はい!」

 二人は走り出した。


 かくして、衆議院議員・樋里数馬は、『吉祥寺前線基地』のちょうとなったのであった。

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