老竜に望む⑧
眠い目を擦りながらシアに連れられて廃洋館の一室に入ると、棚を退かしたあとがあり、元々棚があったらしい床に地下室への入り口があった。
「……よく見つけたな」
「埃がそこだけなくて動かした様子があったので。先に軽く中を見てみたのですが……どうにもきな臭くて」
「きな臭い?」
シアは見た方が早いとばかりに床の扉を開ける。酒の匂いがするかと思ったがそんなことはなく、籠った紙の匂いがする。
急な階段を降りると紙の匂いに混じって酒の匂いがする。だが、本来なら酒瓶があるような棚には乱雑に紙が置かれていた。
「……酒がない」
「あっても飲ませませんよ。それより、この紙の内容なんですけど……。回復魔法の研究です」
「回復魔法? きな臭いどころか、良さげな研究だと思うんだが」
「回復魔法の研究は実質的に禁止されています。火を起こす、水を動かす、などに比べて圧倒的に複雑であり、人間の構造を人間が理解しきれていないからです」
「はあ……つまり?」
「研究するだけで大量の人体実験を必要としますが、人体実験は禁止されていまく。それに……おそらく回復魔法の実現は無理でしょう」
「いける可能性があるかもしれないから研究してるんじゃないのか?」
「僕の家、エクセラ家が研究していましたから。僕自身、一通り研究資料に目を通しましたが、あと二百年は早いですね」
……いや、今禁止されてるって……とシアの方を見ると軽く頷く。
「禁止を提言したのはエクセラ家です。死刑囚を使って人体実験を重ねてきて「不可能」と結論付けたためです。ちなみに資料は城の資料室で閲覧可能です」
「あ、おう。……まぁつまり、違法な人体実験の資料ってことか?」
「禁止以前の資料の写しの可能性もあるので一概には言えませんが、まぁわざわざ隠していることを思うと、その通りでしょうね。……どれも男性の方、それも年齢が比較的若いのを見ると、戦場でさらってきた兵士を使っていそうです」
うへえ……。と思っているとシアが俺の手を握り「平気ですか?」と声をかけてくる。……こういうの男女逆ではないだろうか。
「俺個人として気になるのはメリアがこれを知っていたかだが……」
「状況が状況なので、関連がないとは思えないですね」
「だよなぁ。……ちなみに、罪はどれぐらいになるんだ?」
「国の法と教会のルールの両方に抵触するのでかなり面倒です。立場も聖女ですし、この法に触れた人も初めてですし、特例尽くしなので……無罪から死罪までありえます」
「幅広すぎだろ」
「まぁ、現実にはスパイや貴族の殺人の共犯や事件の隠蔽などもあるのでまず間違いなく死罪でしょうが……とりあえず、この資料を運ぶので手伝ってくれますか?」
「ああ……もしかして魔物は諦めて退散か?」
「そうですね。……この場の判断は立場上一番上の僕がすることになりますが」
シアは紙をまとめながら、仕方なさそうな目を俺に向ける。
「……いやぁ、まぁ、普通は一度戻って報告するところですよ。距離も一日で帰れるところですしね。まぁね、でも……ほら、僕とお出かけが楽しみで仕方なかったアルカディアさんが可哀想だなぁと、たった一日で帰ることになるのは」
「さっさと紙まとめて帰るぞ。食材余りまくってるし、今日の朝と昼は豪勢になるな」
面倒くさそうに「やれやれです。これだからツンデレは……」と馬鹿な妄想を口にしているシアを置いて紙をまとめて階段に足を掛ける。
「それにしてもたかだが回復魔法にたいした名前を付けたとのです」
シアは手に持った紙をパラリとめくる。
「……【光神の再誕計画】。おおかた、伝説上の光神の御業である回復魔法によって「光神」を名乗るつもりだったんでしょうかね」
「……ろくでもないな」
「まぁ、数枚パラパラとめくっただけなので詳しいことは分かりませんが、馬車の中で読んで精査しますか。……あ、でも、馬車の中で構わなければアルカディアさんが拗ねてしまう……やれやれです」
「純粋に腹が立つな……」
「アルカディアさんは僕に「君は夜の海のように美しい」とか口説き出してしまうタイプの人なので……うぷぷ」
「…………もう二度と口聞かねえ」
そう言いながら階段を登ろうとしたその時、馬の嘶く音が響き、直後に地響きが鳴って天井が崩れる。
「ッ──! シアッ、伏せろッ!」
地下の階段にまで降り注いでくる天井の破片を体で受け止めてシア庇う。
「あ、アル……アルカディアさん!? ち、血が、いったい……!」
──油断していた。まさか、堂々と襲ってくるなんてリスクを負ってくるとは考えていなかった。
降り立つだけで洋館を半壊させる巨体。その羽ばたきはそこら中の破片を全て吹き飛ばし、強制的に俺達の動きを封じる。
見ているだけで熱くなるような、紅い火焔のような鱗。
「……竜?」
シアがその正体を口にする。
今は、竜を相手にするには状況があまりに悪すぎた。
手元には紙しかなく、後ろは行き止まりな上にシアがいる。ひとりならばどうにでもなるが、シアを守りながら戦う方法がない。
どうする、どうすれば……と考えているとガガヤの声が上から降ってくる。
「アル! なんとかしろ!」
そう言いながらガガヤは手に持っていた剣を俺の方へとぶん投げる。
「助かった。……いい仕事だ」
手に持っていた紙を飛んできた剣に向かって振るい、空中で剣を細切れにして投げナイフ代わりの鉄片を作る。
「うわああ!? 俺の剣が細切れに!?」
「じゅ、重要な資料がボロボロに!?」
二人ともこんなピンチに文句を言うな。空中でガガヤの剣から作った鉄片を指の間で挟むように掴み取りそのままぶん投げる。
鉄片が竜の顔面付近に突き刺さり、竜は気持ちが悪そうにした瞬間にシアの手を引っ張って地下室の階段から出ようとして、竜の背中から何かが俺へと投げつけられる。
反射的に手に持っていた残りの鉄片で斬り裂くと、切った物の中から液体が漏れ出す。
「ッ……! 酸か!?」
「あ、資料がボロボロに……!?」
大半は俺の手で庇ったが、幾らかの液体がシアの手に持っていた紙に降り掛かってしまう。
「それどころじゃないだろ!」
「っ……それどころですよ! アルカディアさんの無罪がかかって!」
「どうでもいいだろうが! そんなもの捨ててさっさと……! っ、言い争っている場合じゃないか」
竜の炎が来る。どうすれば防げる。この状況で……躱す場所も防ぐ方法もない。
一瞬の逡巡のあと、シアの持っていた紙をひったくって丸めて壊れた壁の外にぶん投げる。
「な、何を──!」
とシアが言った瞬間、竜の背中に乗っていた誰かが竜に指示を出して竜の首が投げた紙の方へと向かう。
「ぁ……資料が……」
竜の口から吐き出された炎は俺たちではなく紙の方に向かい、紙を一瞬で燃やし尽くす。その間に建物の手すりを引っこ抜いて構えると、竜の背中に乗っていた鎧兜の目がこちらに向く。
……竜騎士の咄嗟の指示に反応し、俺の投げた鉄片で怪我をしても落ち着いた様子……かなり戦い慣れした老竜だ。
体格や鱗の色からして、百年以上生きているような歴戦の猛者。
「いや……なんでこんなところにいるんだよ。帝国の最高戦力だろ」
ただでさえ数の少ない竜の、しかも強力な個体……たかだかスパイをさせるにはあまりに過剰な戦力だ。
本気で回復魔法を作ろうとしている……いや、それにしては実験施設ではなく資料の保管庫だというのが妙だし、逡巡することすらせずに証拠の隠滅を図ったのもおかしい。
そもそも……思い切りが良すぎるだろ。見つかったら洋館ごとぶっ潰してしまおうとするのは。
とりあえずシアを逃して……と考えると、シアは地下室に戻ろうとしていた。
「ッ馬鹿! 何やってるんだ!」
「し、資料がまだ残ってるかもしれないじゃないですか……」
「俺の無罪なんかよりもお前の方が大切に決まってんだろっ!」
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