錆びたナマクラ②

 何故、俺を裏切った聖女が今になって訪ねてくるのだ。

 自分の表情を隠すように手で押さえながら歩く。

 ……いや、もしかして勘違いだったのか?


 俺が勝手に裏切られたと思っただけで……。

 不意にべとり、と、自分の頬に手が触れた瞬間を思い出す。『アルくんは……私のために死んでくれるって、そう言ってくれたよね?』いつもと変わらない声を思い出して吐き気がして壁に手を付く。


「大丈夫ですか?」

「……最近、ずっと寝ていたせいで立ちくらみしただけだ。運動不足解消に監獄の周りをランニングでもしようか」

「脱獄はダメですよ」

「夜には帰る」

「ダメですよ」


 自分は平気で人の牢屋に入ってくるくせに。歩幅が少しずつ遅くなり、それとは反対に心臓はドクドクと早鐘を打つ。

 ゆっくり、ゆっくりと歩こうとも……廊下はさして長いものではなくすぐに着いてしまう。


「お待たせしました。連れてきました」


 その言葉と共に面会用の中に引っ張り入れられる。

 あまりに見慣れた聖女の顔が見えて、ほんの一瞬……やっぱり全て勘違いだったんじゃないかという考えが浮かぶ。


 ずっと信じてきた彼女が俺を裏切るはずがない。

 全部、全て、俺が馬鹿だから勘違いをして……。


「お久しぶりです。アルくん」

「あ……ああ、久しぶり、メリア……様」

「もう、様なんて付けなくていいよ。メリアって呼んで」


 俺が困惑しながら言葉を返して席に着くと、聖女メリアは胸の前で手を合わせる。

 いつもと変わらない調子の話し方。……俺が死刑になる前だというのに、あまりにもいつも通りだった。


「アルくんとはたくさんお話ししたいんだけど、面会の時間が限られているらしいから、簡潔に言うね」

「……何を」

「今度、あの人との結婚が決まったの。……お祝いしてくれる?」


 ドクリ、と強く心臓が鳴る。頭は変に冷静で「あれは夢ではなかったのだ」と、強く強く、思わされる。

 俺を真っ直ぐに見ているはずのメリアの目に、俺が映っているようには見えなかった。俺は笑みを作ろうとして……作れているのかも分からない表情でメリアを見返す。


「ああ……その、お、お……おめで──」


 おめでとう、お幸せに、そう言おうとした俺の声が「パンっ」というシアノークの手の音に掻き消される。


「はい。面会終了です」

「えっ、アルくん今座ったばっかりで……」

「終了です。アルカディアさん、牢に戻ってください」

「あ……ああ……」


 大人しく従って席を立って部屋から出ると、すぐ後ろにシアノークがついてくる。

 数歩歩いているうちに少し落ち着いていき、シアノークはゆっくりと俺を落ち着かせるように声をかけてくる。


「そんなに……急いで戻らなくても平気ですよ」

「あ、ああ。……さっきの面会、めちゃくちゃ時間短くなかったか?」

「アルカディアさんは模範囚ではありませんから、面会時間も回数も、それなりの制限はさせていただきます」

「……手に持ってる砂時計、まだ置いてすらなかっただろ」

「……」


 シアノークは数秒間を置いてから足を止める。その視線は窓の外にいるメリアへと向けられていた。


「……あの人のことを聞いてから、明らかにアルカディアさんの様子が変わりました。それに、親しそうだったのに「アルカディアさんがやっていない」と疑う様子もなかったので」

「……元々粗暴だしな」

「そういう言い訳は聞きません。……あの人のために、自分が罪を被ろうとしていると……判断しました。あの人が訪れたのは、アルカディアさんが大人しく罪を被ろうとしているかを確かめにきたからでしょう」

「…………何言ってるんだ。見当違いだな」


 俺の言葉を無視するように、シアノークはメリアに向けてあ目を俺に向け直す。


「……好きなんですか?」

「…………年頃の女は、すぐに色恋と結びつけたがる」

「貴方の死を望んでいる女性ですよ」

「……」


 答えは出ない。裏切られた……俺を利用している、けれども、けれど……あの日、あの夜、あの時に手を差し伸べてくれたのはアイツなんだ。


「生きるのには……理由が必要だと思う。生きて、生きて、けれども飽きがきて、絶望がきて、倦怠がくる。楽しみだとか、憎しみだとか、誰かのためだとか、色々とあるだろうが……。俺の場合、アイツだった」

「矛盾しています。生きる理由があの人だとして、あの人のために死ぬなんて」

「それでも……俺は、自分のために生きられるほど強くはないんだ」


 吐き出した情けない言葉。シアノークは少し戸惑った様子を見せる。


「……生きるのって、そんなに難しいですか? ……アルカディアさんはとても強く、英雄しての身分もあります。幸福というものを目指すことも出来ると、思います」

「…………自分のために生きるのは、どこか億劫だ」


 俺の言葉を聞いたシアノークは、牢屋の前に戻ってきて鉄格子の扉を開けながら「あっ」と口にする。


「なら、僕に片想いすればいいんです」


 シアノークは名案を思いついたとばかりに笑みを浮かべ、俺はあまりのことに「ん、んん?」と疑問を口にしてしまう。


「だから、僕を好きになったらいいんです。あの人のように裏切って冤罪を被せようとなんかしませんよ。だから、とっとと真実を吐いてください」


 いや……コイツは本当に。名案とばかりに出されたアホな提案。

 シアノークは嘘偽りもなくそれが最善だと思っているようで、思わず笑ってしまう。


「バカだなぁ……」

「バカじゃないですよ。冤罪をすぐに見破る有能な人間です」

「……けど、何度かその背中の剣の素振りをしているところを見た。身の丈に合わない大剣の振り下ろし……けれども、その振り下ろしは剣聖である俺や、他の剣聖よりも遥かに美しいものだった」


 俺の賛辞を聞いたシアノークはパチパチと瞬きをして、ニヤリと笑みを浮かべる。


「ふふん。でしょう。僕はもはや剣聖よりも強い……!」

「いや、振り下ろしだけな。他は完全にド素人。そこら辺の子供と同レベル。雑魚」

「う、うぐぐ……。まぁ……処刑人として必要なのは振り下ろしだけですから。罪人をほんの少しでも苦しまないように首を斬り落とす。それが出来たらいいのです」


 ああ、そうなんだろうな。

 剣を使っているが剣士ではない。戦うためではなく、処刑という儀礼のための技。それゆえに……ただひたすら純粋で──。


「──綺麗だった。この剣で死にたいと思えるほどに」

「……え、えっと。それで、僕のことを好きになりましたか?」

「シアノークに惚れたら、あの剣で斬られたくなってしまうだろ。結局死ぬことになる」

「え、えぇ……そうはならないでしょう」

「じゃあ俺は自室に帰るから」

「牢屋を自室って呼ぶんだ……。もう、もういいです。こっちで勝手に調べますから、手がかりも手に入りましたし、真犯人を追います」


 俺が牢に入るとシアノークは鍵も締めずに出ていく。

 ……シアノークはバカだな。まぁ、なんでもいいか。どうせ俺は死ぬんだし。

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