草太、美桜と黒崎に深く感謝する

 草太と黒崎は、ドアを開けて事務所に入っていく。

 中では、ユリアが楽しそうにピョンピョン飛び跳ねていた。よく見ると、彼女はパジャマを着ている。ピンク色で、可愛らしいアニメキャラの三毛猫とカラス天狗がプリントされたものだ。

 草太はあれ? と思った。こんなパジャマ、見たことがない。そもそも、彼女はパジャマなど着たことがないのだ。

 だが、すぐに察知する。


「あの、そのパジャマは……美桜ちゃんが買ってくれたの?」


 草太が聞くと、美桜は横を向いたまま頷いた。すると、今度はユリアが勝ち誇ったような顔で草太の前に出て来た。さらに、胸を張りガッツポーズまで決めている。恐らく、着た姿を誉めてもらいたいのだろう。


「ユリア、そのパジャマ可愛いじゃないか。とっても似合ってるぞ」


 言いながら、草太はユリアの頭を撫でる。撫でられたユリアは、嬉しそうに笑った。

 だが次の瞬間、少女は美桜のそばに行った。美桜の腕をつつくと、何を思ったか黒崎を指差しながら、パンチやキックの真似をし出したのだ。

 ユリアのその動きに対し、三人は一斉に首を傾げる。ユリアは、いったい何が言いたいのだろうか。

 しかし、草太だけはすぐに言いたいことを察した。彼とて、伊達にユリアと生活を共にしているわけではない。


「ユリアは、黒崎のおじさんは凄く強いんだよ……って、美桜お姉ちゃんに教えてるんだよな?」


 草太の言葉に、ユリアはうんうんと頷く。さらに激しく、パンチとキックの真似をして見せた。

 それを見ている草太は、少し複雑な心境になった。ユリアの動きは、とても可愛らしいものだ。しかし、これをきっかけに、ユリアの中の暴力的な人格が目覚めなければよいのだが。

 草太は妄想する。いつか、ユリアが同級生の男の子をボコボコにしてしまい、担任の先生に呼び出されて叱られる自分と美桜の姿を……。




 そんな彼の気持ちも知らずに、ユリアはパンチとキックをぶんぶん繰り出している。空想上の敵に向かい、闘いを挑んでいるようだ。見ている美桜と黒崎も、さすがに困った顔をしている。


「ユリア、そろそろご飯にしようか」


 ためらいがちに、黒崎が声をかける。すると、ユリアの動きは止まった。嬉しそうに頷き、ソファーに座る。

 一方、美桜はサングラスを付け、ニット帽を被った。草太にそっと近づくと、耳元に顔を近づける。


「ユリアちゃん、さっきまでかなり怯えてましたけど、お風呂に入ってる間になんとか落ち着きました。明日も来ますから、安心してください」


 美桜は草太に囁いた後、今度はユリアに手を振る。


「ユリアちゃん、また明日ね」


 それに対し、ユリアもニコニコしながら手を振り返す。美桜は微笑みながら、マスクを付けて外に出て行った。

 草太は、すぐさま後を追い外に出る。立ち去ろうとしていた美桜に声をかけた。


「なあ美桜ちゃん、家まで車で送って行こうか?」


「大丈夫です。それより、ユリアちゃんのそばに居てあげてください」


「そうか、ありがとう。パジャマも買ってもらったし、美桜ちゃんには世話になりっぱなしだな」


 草太は、出来る限りのカッコいいキメ顔で言ってみた……つもりだったが、美桜には通じないらしい。


「草太さんのためじゃありません。ユリアちゃんのためです。本来なら、あなたがやるべきことのはずです。自分が、ユリアちゃんの親代わりであることに対する自覚が、少し足りないのではないですか?」


 横を向いたまま、美桜は冷めた口調で言葉を返した。草太は、すまなそうな表情で頭を掻いたが……その時、ある疑問が頭に浮かんだ。


「ところで美桜ちゃん、あのパジャマだけどさあ、どうやって買ったの?」


 そう、美桜は過去の苦い記憶から、ネットに関するものは全て遠ざけている。したがって、ネットによる注文は出来ないはずだ。

 また、電話の応対も苦手である。となると、電話の注文も出来ないはず。

 そうなると、店に行って買うしかないのだが……まさか、サングラスとマスクを付けた姿で買ったのだろうか。


「え、駅前の商店街で買いましたよ! いけませんか! 何か文句でもあるんですか!」


 それまでとは態度が一変し、美桜はヒステリックな声を出す。

 草太の方は、笑いをこらえるのに必死だった。駅前の今にも潰れそうな商店街で、ニット帽を被りサングラスとマスクを着けた美桜が可愛らしいパジャマを選んでいるのは……想像すると、中々にカオスな光景ではある。


「い、いや、別に悪くない。悪くないから」


 何とかごまかす。しかし、その時になってシャツとパンツも買ってもらっていたことを思い出してしまった。黒いコートを着てサングラスとマスクを付けた怪人が、店で子供用の下着を選んでいる……それは、通行人のほとんどが二度見してしまうであろうシュールな光景だ。

 目立ちたくないつもりが、返って目立ってしまっている……店員の方も、さぞやリアクションに困ったであろう。草太はこらえきれず、笑い声が漏れてしまう。

 当然、美桜は見逃さない。


「何がおかしいんですか草太さん?」


 低い声で凄み、草太に迫っていく。


「い、いや、本当にありがとう。そうだ! やっぱり車で送って行くよ! 軽トラで悪いけど、うちまで送るからさ──」


「結構です!」


 怒鳴りつけ、荒々しい歩き方で帰って行く。草太は仕方なく、後ろ姿を見送るしかなかった。すると、いつの間にかユリアも来ている。美桜のことを見送るために来たのだろう。

 しかし、今のユリアを外に出すのは非常にまずい。万一、先ほどの連中の仲間に見られたら……草太は彼女を抱き上げ、速やかに部屋に入っていく。


「ユリア、今ご飯作るからな。みんなで一緒に食べような」


 草太の言葉に、ユリアはこくんと頷いた。




 そして数時間後。


「寝たか?」


 黒崎の問いに、草太は頷く。

 果たして、いつも通りに眠ってくれるだろうか、という不安はあった。怖い夢を見て、うなされたりするのではないだろうか……と草太はひそかに心配していたのだ。

 しかし、その心配も無用のものだった。夕食の後、草太はユリアが寝付くまで、しばらく横にいてあげたが、少女は思ったより早く寝てくれた。これも、美桜がパジャマを買ってくれたお陰かもしれない。

 その時、草太は大事な用事を思い出した。


「そうだ……おっちゃん、実は明日、仕事にいかなきゃならないんだわ。ユリアと一緒に留守番してもらいたいんだけどさ、頼んでいいか?」


「留守番? 別に構わんぞ。だがな、逆にお前に聞きたい。俺みたいな人間に、留守を任せる気か?」


 黒崎の問いに、草太はきょとんとなった。こいつは何を言っているのだろうか、と。

 しかし次の瞬間、黒崎の言わんとしているところを理解した。彼に向かい、ニヤリと笑って見せる。


「おっちゃんよう、あんたがホームレスだの何だの、ンなこと気にしてる場合じゃねえよ。今、頼れるのはあんたしか居ない。それにな、こう見えても人を見る目はあるつもりだ」


 そう言って、草太は勝ち誇った表情で胸を張る。

 黒崎は、呆れた奴だ……とでも言わんばかりの表情で草太を見つめた。


「お前、思っていた以上の馬鹿だな。ところで、仕事とは何だ?」


「いやさ、加納春彦の事務所の便所掃除に行かなきゃならないんだよ。木俣ってボディーガードがおっかなくてさ……ま、すぐ終わるから」


「加納だと? 大丈夫なのか?」


 黒崎は、心配そうな表情を浮かべた。加納の名前は、ホームレスの間でも有名らしい。


「ああ、今のところは大丈夫だよ」





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