草太、黒崎の想いを知る

「そこにいるのは、何者だ?」


 鋭い口調で、黒崎は扉の向こう側にいる者に問いかける。だが、相手は何も答えない。無言のままだ。


「お、おい! お前は誰だ!」


 今度は、草太が怒鳴りつける。すると、扉の向こうから冷ややかな声が聞こえてきた。


「草太さん、私は毎日ここに来る約束になっていたはずです。しかし、今日は何やら取り込み中のようですね。では、失礼します」


 その声は、間違いなく夏目美桜のものである。草太は顔をしかめ、急いでドアを開ける。


「あ、いや、ちょっと待ってくれ! 今、事情を説明するから!」


 言いながら、草太は美桜を半ば強引に招き入れる。彼女は面食らった様子だったが、素直に入って来てくれた。


「便利屋……これは、お前の友だちか?」


 唖然とした表情で、美桜を眺める黒崎。だが、それも当然であろう。ニット帽を被り、サングラスとマスクを着け、全身を覆う黒いコートを着た奇怪な格好の人物が現れたのだから。しかも、ご丁寧にも片手に紙袋をぶら下げている。

 美桜の方も、黒崎を見て混乱し落ち着きをなくしている。汚い作業服を着た、ホームレスとしか表現のしようがない見た目の中年男が事務所にうろうろしているのだから。


「そ、草太さん! こ、この人は、だ、誰ですか!」


 草太の襟首を掴み、金切り声を上げる。彼女の人見知りは筋金入りのようだ。しかし、草太が相手だとやたら強気なのが困りものである。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 美桜ちゃん、まずは俺の話を聞いてくれ!」


 叫んだ後、美桜に向かい今しがたの出来事を語り出した、 




 話を終えると、草太は蛇口を捻り水を飲む。緊張のあまり、体がカラカラに乾ききっていた。さらに、この厄介な状況を説明したせいで喉が水分を欲していたのだ。

 一方、美桜は真剣な表情で黙りこんでいる。だが、それも仕方ないだろう。こんな想定外の事態が起きては、語るべき言葉も見つかるまい。

 ややあって、黒崎が口を開いた。


「便利屋、お前はどうするつもりだ?」


「ど、どうするって言われてもな……」


 草太は言い淀んだ。正直、どうすればいいのか分からない。この状況を打開するには、何をすればいいのだろう。

 その時、美桜が草太の腕をつねった。と同時に声を発する。


「あっ、ユリアちゃん! 起きたのね!」


 その声に、草太は慌てて振り向く。いつの間にか、ユリアは目を覚ましていたらしい。事務所と居住スペースを仕切るカーテンから顔だけを出し、不安そうな目でこちらを見ている。

 草太は、無理やり笑顔を作った。


「ユリア、起きたのか。ほら、美桜お姉ちゃんが来てくれたぞ。一緒にお風呂入るか?」


 すると、ユリアはこくんと頷いた。だが、美桜は不安そうな目で草太を見る。大丈夫か、とでも言いたげな様子だ。

 草太は、ポンと彼女の肩を叩いた。耳元に顔を近づけ、囁きかける


「悪いけど、いつもと同じようにしててくれ。ユリアを不安がらせたくないんだ。俺たちは外に出てるけど、すぐ近くにいる。何かあったら呼んでくれ」


 すると美桜は、了解とでも言わんばかりに小さく頷く。

 次に、草太はユリアの方を向いた。


「ユリア、美桜お姉ちゃんとお風呂に入るんだ。俺と黒崎のおじさんは、外で怪しい奴が来ないように見張ってるから。いいな?」


 その問いに、ユリアはこくんと頷いた。とことこと歩いて来て、美桜の手を握る。

 草太は優しく微笑んだ。


「そうだ。美桜お姉ちゃんの言うことを、ちゃんと聞くんだぞ。じゃあ、俺たちは外を見てくるから」


 そう言うと、草太は外に出ていきかけた。だが、途中で足を止め振り返る。


「美桜ちゃん、ありがとうな。お陰で助かったよ」


 そう言って、精一杯の爽やかな笑顔を作る。しかし、美桜の態度は冷たいものだった。


「あなたを助けるためにやってるわけじゃありません。ユリアちゃんを助けるためです。それより、黒崎さんを連れてさっさと出て行ってください。今から、ユリアちゃんをお風呂に入れますので」




「駄目だ。中田の奴、やっぱり電源切ったままだよ」


 スマホの画面を睨み、草太は舌打ちした。駄目で元々、という気持ちで電話をかけてみたが……またしても電源が入っていないらしい。

 中田は本当に、ユリアと一緒にとんでもないものを押し付けていってくれたのだ。いったい、あの外国人たちは何者なのだろう。何が目的でユリアを拉致しようとしたのだろうか。

 せめて、最低限の説明くらいはしておいて欲しかった。


「便利屋、お前はこれからどうする気だ?」


 横に座っている黒崎の問いに対し、草太は即答できなかった。下を向き、アスファルトを見つめる。


「こんなことは、俺が言うまでもなく理解しているだろうがな……常識ある一般市民ならば、ここは警察に任せるはずだ」


 黒崎の言葉に、草太は顔を上げる。


「分かってるよ、んなこと。俺だって、出来ることならそうしたい。でもなあ……警察に行ったら、ユリアはどうなる?」


「詳しくは知らんが、しばらくの間は施設に預けられることになるだろう」


「施設に行ったら、ユリアは幸せなのかな……」


 呟くように、草太は言った。




 草太には、両親がいない。

 彼が中学生の時、事故で死んだ。その後、高校を卒業するまで施設で生活していたのだ。草太のいた施設『人間学園』は、決して居心地のいい場所ではなかった。様々な事情を抱え、荒んだ精神状態の子供たち。その中で、良好な人間関係を維持していくのは大変だったのを覚えている。

 子供たちの間では陰湿ないじめが横行していたし、またガキ大将が絶対的な権力を持っていた。少なくとも草太のいた施設は、子供の発育に良い環境とは言えなかったのは確かだ。

 そんな可能性のある場所に、ユリアを入れたくはない。




「では、もう一度聞くぞ。お前自身は、どうしたいのだ?」


 黒崎は、なおも尋ねてくる。


「もうしばらく、ユリアを手元に置いて様子を見るよ。事情が分からない以上、下手に動きたくないんだ。それに、いったん引き受けた以上……こんな中途半端なところで投げ出したくないからな」


「そうか。わかった」


 言葉を返した黒崎だが、表情は淡々としている。この件に関心がないのだろうか……いや、それは違う。本当に関心がないのなら、初めから草太たちを助けたりなどしない。

 ならば、この男にも協力してもらおう。


「おっちゃん、頼みがある。ユリアのことを──」


 そこまで言った時、黒崎は右手を上げた。みなまで言うな、との意思表示だ。


「ユリアを守ってくれ、と言いたいのだろう? お前に言われなくても、そのつもりだ。こうなった以上、俺も公園にはいられなくなったからな」


 そう言って、黒崎は口元を歪めた。

 草太も、思わず顔をしかめる。そう、この男は見てみぬふりをすることも出来たはず。

 なのに、彼は草太たちを助けてくれた。挙げ句、住みかだった公園を追われる羽目になってしまった。


「すまねえな、こんなことに巻き込んじまって」


「いや、お前の責任ではない。俺が自分の意思でやったことだ。それにユリアには、おにぎりの借りがある。それを返しただけだ」


 おにぎりの借り? 草太は初め、何のことだか分からなかった。

 しかし、ユリアと黒崎が初めて会った時のことを思い出し、思わず笑みがこぼれる。

 そう、あの時ユリアは公園で黒崎におにぎりをあげたのだ。あの天然少女が何を考えて、そんな行動をとったのかはわからないが……恐らくは、純粋な気持ちからだろう。困っている人を助けたい、という優しい気持ちだ。

 その気持ちが、回り回って自らを救うことになろうとは……草太は、情けは人の為ならず、という言葉を思い出していた。


「便利屋、俺に出来ることなら大抵のことはするぞ。それに、こうなった以上は俺も無関係とは言えんからな」


 淡々とした口調ではあるが、黒崎の言葉からは固い意思が感じられる。頼もしい男が、仲間になってくれた……草太は礼を言おうとしたが、その時スマホが着信を伝える。

 見ると事務所からだ。


「よう美桜ちゃん、風呂終わったかい?」


 軽い口調の草太。しかし、スマホ越しに聞こえる美桜の声は相変わらず緊張感に満ちていた。


(は、はひ! お、お風呂終わりました!)


 草太は苦笑するしかなかった。いつになったら、美桜は電話でリラックスして喋れるのだろう。


「分かった。今行くよ」


 言うと同時に、草太は立ち上がる。事務所に入りかけたが、解決していない疑問があったのを思い出した。彼は振り向き、黒崎を見つめる。


「おっちゃん、ひとつ聞きたいことがある」


「何だ?」


「あんた、今までさんざんガキどもにボコられてたよな。でも一度もやり返してないんだよなあ?」


「ああ、それがどうかしたか?」


 訝しげな表情で、黒崎は聞き返した。


「何でだよ? あんなに強いのに、何で殴られっぱなしになってたんだ? あんたなら、ガキどもを全員ぶっ飛ばすのに一分もかからないだろうが」


 草太にとっては、どうにも不可解な点であった。彼らが公園で遭遇した外国人たちは、日本の不良少年など比較にならないであろう強さだ。

 その外国人を、一瞬にして叩きのめした黒崎。草太は、あれほど見事な喧嘩を見たことがない。

 いや、あれはもはや町の喧嘩レベルではない。黒崎は、達人と呼ぶのがふさわしい。そんな男が、自分よりも明らかに弱いはずの不良少年たちに一方的に殴られていたのだ。理解不能な話である。

 そんな草太の問いかけに対し、黒崎は下を向いた。

 ややあって、ポツリと呟くように言った。


「弱いからだ」


「弱い?」


「ああ。やり返せば、ぶっ飛ばすだけでは済まない。奴らは弱すぎる……下手をすれば、全員殺してしまうかもしれん。そうなるのが怖いから、やり返さなかった」


 淡々とした口調で、黒崎は言葉を返した。イキがっているチンピラが、喧嘩で負けた時に負け惜しみで言いそうなセリフではある。

 だが草太は、その言葉に嘘がないのは分かっていた。体の大きな外国人の男を、たったの一撃で倒してしまったのを間近で見ている。

 仮に、その拳がひ弱な少年たちに向けられたなら……恐ろしいことになるであろう。

 思わず沈黙する草太に向かい、黒崎はさらに語り続けた。


「それに、あのガキ共には……人を殴れば、己の拳も痛むということを教えてやりたかったのだ」


「えっ?」


 意外な言葉に、草太は戸惑いの表情を見せた。すると、黒崎は苦笑いする。


「だが奴らには、わかってもらえなかったがな」


 黒崎の顔には、自嘲するかのような表情が浮かんでいる。その言葉を聞いた草太は、笑みを浮かべながら黒崎の肩に軽いパンチを食らわした。


「おっちゃん、あんたカッコいいよ。俺が今まで見た中でも最高にカッコいいオヤジだよ。顔は不細工だけどな」


「余計なお世話だ」


 黒崎は、初めて笑顔を見せた。




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