草太、またしてもジェスチャーゲームをする
草太は、ずっと考え続けていた。
今日もまた、朝の六時に目を覚ましたのだが、事務所のソファーに腰掛けて、ぼんやりとテレビを見つめている。もっとも、画面には何も映っていない。
真っ暗なテレビ画面を見つめながら、溜息を吐いた。
昨日、情報屋の名取淳一から聞いた話は、全く想定外のものであった。
中田健介は、ロシアから女を密入国させたらしい。それはそれで構わないが……ユリアと、その件は何か関係があるのだろうか?
しかも、あの男の所属する組織『士想会』の組員たちも、中田の行方が分かっていないらしい。
では、どこに消えたのだ?
いきなり肩をつつかれ、草太は顔を上げる。
目の前には、ユリアの顔があった。不安そうな表情で首を傾げ、こちらをじっと見つめている。彼のいつもと違う様子に、子供ながら何かを感じとったのだろうか。
草太は笑顔を作り、ユリアの頭を撫でた。今は自分がこの娘の親代わりなのだ。余計な心配をさせてはいけない。
「どうしたユリア。お腹が空いたのか?」
だが、ユリアはおかしなリアクションをして見せた。一度は、こくんと頷いたものの……両手で前ならえ、のようなポーズをしたかと思うと、その手を横に動かす。何が言いたいのか、さっぱりわからない。草太は首を傾げた。
すると、ユリアはまた同じ動きをする。あたかも、見えない箱をどかしているような……。
その時、ピンと閃いた。
「それはおいといて、ってことか?」
草太の言葉に、ユリアは真顔でウンウンと頷く。いつの間に「それはおいといて」などというリアクションを覚えたのだろう。草太は、ユリアの学習能力の高さに感心した。と同時に、先ほどまでのどんよりしてい気持ちが、少し晴れてきたような気がした。
そんな草太の思いをよそに、ユリアはふたたびジェスチャーを始める。今度はいかめしい顔になり、両手を上げては降り下ろしている。
「えっ?」
草太は首を捻る。ユリアは、いったい何を言おうとしているのだろう。
すると、ユリアはまたしても同じ動きをした。いかめしい表情で両手を上げたかと思うと、直後に両手を振り下ろす。何かを振っているのだろうか……両手に何かを持って振り下ろす。
「剣道か?」
草太の言葉を聞くと、違うの……とでも言いたげに、ユリアは顔をしかめた。首を横に振り、また同じ動きをする。
「えっと、チャンバラごっこがしたいのか?」
だが、ユリアはまたしても首を横に振る。彼女はいったん手を止めると、今度は自身の手のひらを顔に当てた。さらに、手のひらを胸や腹にも当てていく。まるで、何かを身に付けているように。
一通り全身に当てた後、ユリアは先ほどと同じ動きを始める。いかめしい顔で何かを構え、振り下ろす動きだ。
見ている草太は、首を捻るばかりだ。何かを身に付け、いかめしい顔で何かを振り下ろす。剣道ではない、となると……。
その時、昨日ユリアと一緒に観たものを思い出した。あれは、昔なつかしいアニメだ。強化服を着て、刀を振るい怪人を倒していく超人が主人公だった。
「もしかして、サムライ戦士ブシドーか?」
答えた草太に向かい、ブンブンと首を振るユリア……もちろん縦に振っているのだ。次いで、テレビを指差す。
「ユリアは、ブシドーが観たいのか?」
微笑みながら尋ねる草太に、ユリアはこくんと頷いた。
「そうか。残念だけどな、今日はブシドーはやってないんだよ」
その言葉に、ユリアは残念だ……とでも言いたげな、悲しそうな表情をして見せる。草太は笑みを浮かべながら、ユリアの頭を撫でた。
「来週の火曜日にまた観られるよ。早起きして一緒に観ような」
言いながら、朝食の支度を始める草太。ユリアはウンウンと頷くと、洗面所に顔を洗いに行った。
朝食を食べた後、ユリアはソファーに座りテレビを観ていた。時おり、近づいて来る猫のカゲチヨと遊んでいる。カゲチヨが、ユリアの遊び相手を務めてくれるのはありがたい話だ。
一方、草太はその近くで一緒にテレビ画面を眺めてはいるものの……頭には、何も入らない状態である。これから、どうすればいいのだろうか。中田との連絡が取れない以上、このままユリアとの生活を続けていていいものか、草太には判断がつかずにいる。
もちろんユリアを見捨てる気はないが、事情も分からないのに、このまま何もせず生活を共にしていていいのだろうか……という疑問もある。
だが、考えていても結論は出ない。草太は仕方なく、事務所にて領収書の整理や客のリストのチェックなどをすることにした。何もせず、ただ考えているだけでは頭がおかしくなりそうだ。
事務所にて久しぶりのデスクワークをしているうちに、気がつくと午後二時を過ぎていた。いかんと思い、ソファーに座っているはずのユリアを見る。
ユリアは、ソファーに座ったまま熟睡していた。草太は頭を掻きながら、ユリアのそばに行く。ふと見ると、カゲチヨも彼女のそばで丸くなって寝ていた。
「ユリア、起きようか」
言いながら、草太はユリアを軽く揺すった。すると、ユリアはパッと目を覚ます。あちこちキョロキョロ見たかと思うと、草太に気づきニッコリ笑った。
つられて、草太もニッコリ笑う。
「なあユリア、美桜のお姉ちゃんが来る前に買い物に行こうか」
草太の言葉に、ユリアはウンウンと頷いた。
コンビニで買い物を終えたふたりは、流九公園の前を通りかかった。時刻はまだ三時過ぎだが、遊んでいる子供はいない。これは、ホームレスの黒崎のせいかもしれない。ホームレスが不良少年たちに、サンドバッグ代わりにされている公園……親たちにとって、遊ばせたくなる環境ではないだろう。
そんなことを思いながら歩いていたが、ふと立ち止まりユリアの顔を見た。
「おいユリア、公園で遊んでいくか?」
草太の言葉に、ユリアは嬉しそうに頷いた。そして公園へと走って行く。
怪獣の顔を模したようなデザインの、大きな滑り台に昇るユリア。草太は下から、その様子を見守っている。
「足元には気をつけろよ」
声をかけるが、ユリアは聞いていないらしい。楽しそうに上に昇ると、ドヤ顔で草太を見下ろしビシッと右手を高く上げる。まるで、行くぞ! とでも言っているかのように。
次の瞬間、ビュンと滑り降りて来た──
「おいおい、大丈夫かよ」
そう言いながら、草太はユリアのそばに歩いて行く。だが、彼女は怖さよりも楽しさの方を強く感じたようだ。しゅたたた……と小走りで階段へと向かい、ふたたび滑り台のてっぺんへと登っていく。よほど楽しかったのか、満面の笑みを浮かべている。
そんなユリアの姿を見て、草太は今まで彼女を外で遊ばせていなかったことに気づいた。やはり、小さな子供には外遊びも必要である。自身の体を動かすことで、いろいろと学べるはずだ。
「お前ら、何をしている」
不意に、背後から声が聞こえてきた。草太が振り返ると、そこには黒崎がいた。いつものように汚い作業服を着て立っている。
「おう、おっちゃん。ユリアと遊びに来たぜ」
軽い調子で草太は言葉を返した。だが、直後におかしな点に気づく。黒崎の表情は、いつもと違い堅く険しいのだ。
「便利屋……お前、今の状況が分からんのか?」
黒崎の口調は冷たく、目つきも鋭い。草太はたじろぎ、目を逸らした。その時、ユリアも滑り落ちて来たのだが……黒崎のただならぬ様子に怯え、草太の後ろに隠れて見ている。
「あ、遊びに来ただけだよ。公園で遊んじゃいけないのか──」
「今すぐに、ここを立ち去れ」
草太の言葉を遮り、とんでもないことを言う。黒崎のこの態度には、さすがにムッとなった。
「はあ? 何でだよ? 何でお前に指図されなきゃいけねえんだよ?」
だが、黒崎はその言葉を聞いていなかった。今の彼は、草太とは違う方向を向いている。
つられて、草太も同じ方向に視線を移す。そのとたん、彼の表情は凍りついた。
二人組の外国人が、ゆっくりとこちらに歩いて来ているのだ。身長は、どちらも百八十センチを超えているだろう。片方は、四月だというのにタンクトップを着た金髪の白人である。筋骨逞しく、肩にはタトゥーが彫られている。
もう片方は、白いTシャツを着た黒髪の白人である。こちらも肩幅が広くがっちりしていた。
まだ四月だというのに夏を先取りした服装の外国人コンビは、真っ直ぐこちらに歩いて来ている。
そんな彼らの目は、草太とユリアを捉えていた。
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