草太は仕事し、ユリアはオムライスを食べる

「ちょっとぉ、何なのよアンタ……この娘、可愛いじゃないの。こんなの、反則よ反則」


 ラジャは巨体をくねらせながら、目の前のユリアを見つめる。照れ臭いけど、同時に嬉しくてたまらない、という感じだ。

 対するユリアは、首を傾げながら巨漢の女装家を見上げていた。ちょっとだけ困っているような表情である。

 そんな両者を横目で見ながら、草太は掃除の準備をする。今日はラジャの経営する喫茶店兼ゲイバー『虎の穴』の換気扇を掃除するべく来たのだが……昨日と同じく、ユリアが付いて来てしまったのである。

 草太は仕方なく、ユリアのことをきちんと説明した上で頭を下げた。仕事の間はおとなしくしているから勘弁してくれ、と。もっとも、ラジャは一目でユリアのことを気に入ってくれたらしいが。




 ラジャの本名や来歴がどんなものなのか、草太はよくは知らない。知っているのは、彼女……いや、彼が昔プロレスラーであったことだ。


 数年前、プロレス界に衝撃的な事件が起きた。真・国際プロレスのナンバー2であった覆面レスラーのラジャ・タイガーが、突如として引退を表明したのである。

 ラジャは身長二メートル近く、体重百四十キロという日本人離れした巨体を誇る大型レスラーであった。しかも、ただ大きいだけではない。運動神経も良く、ドロップキックのような技も使いこなしていたのだ。

 将来は、真・国際プロレスのエースだろう……といわれていたラジャ・タイガーであったが、数年前に突如引退を表明したのであった。

 さらに引退会見には素顔で、しかも女装した姿で登場し、ファンを驚愕させたのである。


 その後、ラジャはこの流九市に住み着いた。昼間は喫茶店、夜はゲイバーとなる店『虎の穴』を経営している。草太はなぜか、この巨漢の女装家に気に入られており、ちょくちょく小さな仕事を頼まれていた。

 草太もまた、ラジャのことを信頼している。この巨漢の女装家は、流九市の住人の中でも、本当の優しさを知っている数少ない人間のひとりである。




「ねえユリアちゃん、オムライス食べる?」


 カウンター席に座っているユリアに、ラジャはニコニコしながら尋ねる。加納春彦のボディーガードである木俣源治が、小さく見えるほどの巨体である。当然ながら、顔も大きくゴツい。

 さらに、その巨大な顔に施された化粧は濃く、けばけばしいものである。ショートカットの金髪、どぎつい色のアイシャドウ、さらには紫の口紅……子供が見たら、確実に怖がるだろう。いや、気の弱いおっさんが見ても怖がるはずだ。

 しかし、ユリアには怯む様子がない。巨大かつ化粧の濃い顔を寄せてきたラジャに対し、小首を傾げてみせる。困ったなあ、とでも言いたげな様子だ。

 次の瞬間、ラジャの巨体が震え出した。


「可愛い! ユリアちゃん可愛い! こら草太! ユリアちゃんが困ってるでしょ! ちゃんと説明してあげなさい!」


 ラジャは店の奥を向いて怒鳴りつけた。すると、草太が顔を出す。


「あのお……俺は今、換気扇の掃除で忙しいんですけど?」


「そんなの後でいい! さっさとこっち来て、ユリアちゃんを助けてあげなさいよ!」


 草太は仕方なく、仕事を中断しユリアのそばに来た。一方、ユリアは困った顔で彼の顔を見上げる。


「ねえユリアちゃん、オムライスって知ってる?」


 ラジャが尋ねると、ユリアは首を横に振る。さらにその後、困ったような表情で頭を抱えて首を傾げる。

 すると、ラジャの顔が歪んだ。


「ああん! 何なのよ、このバリエーション豊富なリアクションは! 可愛すぎるじゃない!」


 言いながら、ラジャはキャッチャーミットのような巨大な手でユリアの頭を撫でる。見ている草太は、苦笑するしかなかった。


「ユリア、オムライスっていうのはな、卵焼きとケチャップがかかったご飯だ。ラジャ姉さんの作るオムライスは、凄く美味しいんだぞ。食べてみるか?」


 草太の問いに、ユリアはこくんと頷く。次いで、大きな瞳に期待を込めてラジャを見つめた。

 すると、ラジャは真剣な表情になる。何を思ったか、じっとユリアの顔を見つめた。

 ややあって、口を開く。


「ねえユリアちゃん、お願いがあるの。頬っぺをプニプニしていい?」


 真顔で、とんでもないことを言い出す。横にいる草太は唖然となった。この巨漢は、いったい何を考えているのだろう。

 だが、ユリアは事の重大さが分かっていないらしい。困惑した表情を浮かべながらも、こくんと頷いた。

 直後、ラジャは手を伸ばし彼女の頬っぺたをつまむ。ユリアは、ちょっと微妙な表情を浮かべながらも、されるがままになっていた。


「なんて素敵な頬っぺたなの……触りがいがあるわ」


 あえぐような奇怪な声を出しながら、ラジャはなおも頬っぺたをつまみ続ける……さすがの草太も、これはマズイと思った。


「あ、あのう、ラジャさん? そろそろオムライス作っていただきたいなあ、なんてね。ユリア、お前もお腹空いてるだろ?」


 草太の言葉に、ユリアは頬っぺたをプニプニされながらも頷いた。すると、ラジャは名残惜しそうな顔をしながらも手を離す。


「わかったわよ。続きは、また今度ね」


 ラジャは巨体を揺らしながらキッチンへと入っていく。その時になって、草太は今がお昼時であるのを思い出した。そろそろ、ユリアもお腹が空く頃だ。彼は、ユリアの頭を撫でた。


「ちょっと待っててね。あの人、見た目は変だけど料理は上手だから」




 やがてラジャが、出来上がったオムライスを運んできた。

 美味しそうな匂いに、ユリアは瞳を輝かせる。


「さあて、ラジャ姉さん特製のオムライスよ。今から、美味しくなる魔法をかけてあげるから」


 そう言うと、ラジャは皿を置いた。ケチャップを出し、オムライスにハートマークを描いていく……横で見ている草太は、あまりのおぞましさに震え上がった。昨日の木俣といい、今日のラジャといい、ユリアは巨体の男を狂わせる何かを持っているのだろうか。


「美味しくなーれ、はいどうぞ」


 その巨大な顔に笑みを浮かべながら、オムライスの皿を差し出すラジャ。

 ユリアもニッコリ笑い、スプーンでオムライスを一口食べた。

 直後、ユリアの表情が変わる。大きな瞳をまんまるに見開き、ラジャに向かって首を縦に振り出したのだ。まるで、ヘッドバンキングでもしているかのような勢いである。恐らく、美味しい! ということを全身全霊で伝えているつもりなのだろう。


「ちょ、ちょっとユリアちゃん!? 大丈夫!?」


 ユリアの思わぬ動きに、さすがのラジャも驚いたらしい。だが、ユリアはひとしきり首を振った後、猛烈な勢いでオムライスを食べ始めた。

 そばで見ていた草太は苦笑し、作業に戻る。来る前は不安だったが、ユリアはここでも上手くやれている。ラジャにも気に入ってもらえた。

 とはいえ、いつまでもこのままではいられない。仕事場にユリアを連れ回していては、この先何が起こるか分からないのだ。

 まずは、一刻も早く中田健介を見つけなくては。情報通の名取淳一に頼んではいるが、あの男は頼りない。

 そんなことを考えながら、ラジャの方を見てみた。彼女(?)は幸せそうな顔で、オムライスに舌鼓を打つユリアを眺めている。まるで、我が子を見ている母親のようだ。

 そんなラジャに、そっと近づいた。耳元に顔を近づけ囁く。


「ねえラジャさん、もし中田に関する情報を小耳に挟むようなことがあったら、俺に教えてくれると助かるんだけど」


 すると、ラジャは大きく頷いた。こちらを向き、囁き返す。


「アタシに任せといて。ユリアちゃんのためなら、アタシは何でもしちゃうからね」


「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」


 草太は笑みを浮かべ、換気扇の掃除を再開した。




 やがて作業が終わり、草太はユリアの手を握る。


「ラジャさん、終わったよう。今日は、ユリアが世話になっちゃったね。あ、それとオムライスの代金を──」


「いいのよ。あれは、アタシがご馳走してあげたんだから。そうよね、ユリアちゃん?」


 ラジャの言葉に、ユリアはニッコリ笑った。直後、とことこ近づいていく。

 そして何を思ったか、その大木のような足をギュッと抱きしめた。


「うわっ……凄いな、お前は」


 見ている草太の口から、そんな言葉が洩れた。ユリアのオヤジ転がしの上手さは、どうやら天性のものらしい。

 一方、ユリアはラジャの足を抱き締めたが……それは一瞬であった。すぐに離れペコリとお辞儀をして、草太のそばに行く。

 そんな一連の動きを見ていたラジャは、いきなり頭を掻きむしった。


「何なのよ、この娘は! 反則よ反則! 何もかもが反則だわ!」




 帰り道、ふたりは軽トラックに乗ってのんびりとドライブをした。ドライブといっても、狭い流九市内を車で走るだけだが。

 しかも見える風景といえば、今にも崩れそうな木造住宅や草が伸び放題の空き地、酒瓶を片手に道路に座り込んでいるホームレスや不良外国人などである。

 もっとも、ユリアは楽しそうに外を見ている。好奇心旺盛なユリアにとって、この流九市もテーマパークのようなものなのかもしれない。

 それにしても、最近は外国人の数が多いな……などと思いながら、草太は事務所へと向かった。そろそろ、美桜が来てくれる時間帯である。




 事務所に戻ると、にゃあと鳴く声がした。カゲチヨの挨拶である。尻を床に着け、前足を揃えた姿勢で草太とユリアを迎える。

 ユリアは嬉しそうに、カゲチヨを撫でた。カゲチヨもまた、喉をゴロゴロ鳴らしながら彼女の手に顔を擦り付けていく。ひとりと一匹の楽しげな挨拶は、見ていて本当に微笑ましい。

 草太はふと、こんな可愛い少女が自分の実の子供だったら、と考えた。ランドセルを背負って小学校に通い、やがて制服を着て中学校に入るのだ。そして受験の後、晴れて高校生になる。さらに、彼氏なんかを連れて来て……チャラい奴だったら、ラジャさんにぶっ飛ばしてもらおう。

 その時、彼の妄想はストップする。


 そういえば、ユリアの実の親は今どこにいるんだ?







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